第七章:最愛の妻(8)
――バシッ! バシッ!
鋭い霊玉が茉依の手めがけていくつも飛んできた。突然の出来事に茉依もたじろぎ、手にしていた刀を思わず放す。その隙を突いて、乃彩は思いっきり足を後ろに向かって蹴り上げた。
「うぐぅっ」
別に狙ったわけではないのだが、どうやら祐二の大変なところを蹴ってしまったようだ。拘束が緩んだ瞬間にそれを払いのけて、彼らから距離をとった。
「乃彩!」
名を呼ばれたほうに顔を向ける。
「遼真様!」
「まったく。おまえはいつも無茶ばかりする」
遼真は乃彩の手を引き、彼女を背に隠す。
「また、日夏公爵……私たちの邪魔ばかりしやがって……邪魔だ、邪魔だ、邪魔だ……邪魔、邪魔、じゃま、じゃ、じゃ、じゃ……」
茉依がゆらゆらと身体を揺らしながら遼真に迫ってくるものの、祐二はうずくまったまま。
「遼真様、これってもしかして……?」
「もしかしなくても、憑依されている。啓介!」
「はいはい。本当に人使いが荒い主様ですね」
いつの間にか啓介までこちらにやってきて、茉依とにらみ合う。
だがやはり乃彩はこの状況を把握しきれていない。
悪鬼がぞろぞろとやってきているというのに、遼真と啓介がここにいてもいいのだろうか。もしや、琳が一人で悪鬼を相手にしているとか。となれば、やはり自分は彼らの足手まといになっているのでは。
「あの、お父様は……?」
「あぁ。あの二人のバカをとっ捕まえているところだろうな。まぁ、話はあとだ。先にこいつらをなんとかする」
そう言って遼真は顎をしゃくる。あいつらとは、もちろん茉依と祐二。
「乃彩。そこから動くなよ。……まったく。こいつらは、留置施設にいるはずじゃなかったのか?」
ぼやいた遼真の手のひらには、バスケットボールほどの大きさの霊玉が作られていた。
「憑依だからな。とにかく取り憑いている亡者を追い払う必要があるんだが……近くに鬼の妖力は感じるか?」
亡者を操り人に憑依させる力があるのは鬼だ。悪鬼のような下等の鬼ではない。その親玉。
「ごめんなさい、わかりません」
乃彩が感じるのは、遼真から漂う妖力のみ。
「近くにいないならいい。とにかく、ここから動くな」
そう言って遼真は球状にした霊力を茉依に向かって投げつけた。
遼真の霊力によって顔を覆われた茉依は、苦しそうにその霊力を取り除こうともがいている。
「啓介」
「はいはい」
いつもとかわらぬ返事をした啓介は、霊力で練った短刀のようなものを茉依の額に突き刺した。
その間、遼真は同じように霊力を練って祐二に投げつける。
「憑依だからな。とにかく亡者を切り離す必要があるんだよ」
理屈はわかる。だが、その方法を間近で目にしたのは初めてだ。短刀を突きつけられた茉依だが、その額からは血が出ていない。そして啓介は祐二にも同じように額にそれを突き刺した。
二人はそのまま床に倒れ込んだ。とりあえず、乃彩はなんとか助かったわけなのだが。
「あの……エントランスにいた悪鬼は……?」
「全部倒した」
「ですが、異界と通じる道が……」
「それを塞いでくれたのはおまえだろ?」
「え?」
「ああやって悪鬼が次から次へとやってこられては埒が明かないが。異界への穴が塞がれたからな。それ以上、悪鬼らが増えなければあとは倒すだけだ」
理解はできた。だが、それよりも。
「わたくしが、塞ぎました?」
乃彩はきょとんとして、遼真を見上げた。
「あぁ。こっちから、変な霊玉がふわふわと飛んできてな。まぁ、なんていうか……とにかく、軌道が変だった。その変な動きのおかげで、あいつらは気づかなかったみたいだが……その霊玉が異界の穴に埋まって、そのまま塞いだ」
修一に教えてもらった通り、霊玉に癒しの霊の力をかぶせてみただけだ。それがうまくいったということなのだろう。それに、不安定な動きをしている霊玉といえば、間違いなく乃彩のものだ。
「そうですか……それは、よかったです」
エントランスが騒がしくなってきた。
「なんだ? 他の術師も来たのか?」
「あ、先ほど。電話で応援を頼んでおきましたから」
「なるほどな。で、誰に応援を頼んだんだ? 清和侯爵か?」
それは、清和侯爵夫人が乃彩の友達だからだろう。
「いえ……修一さん、です……」
遼真のこめかみがひくついた。
「はいはいはいはい。二人きりの世界のところ申し訳ないのですが!」
いきなり啓介が割って入る。
「この二人はどうしたらいいですかね? まさかの昨日のお二人さんじゃないですか。まったく、監視はどうしているんだか」
「監視の目をかいくぐったか、内通者がいるのか、だろうな。そうでなければ、憑依されている状況が理解できん」
「昨日は、憑依されていませんでしたからね」
啓介の言うように、昨日の茉依と祐二は憑依状態ではなかった。となれば、こちらに来てから憑依されたと考えるのが妥当だろう。
「乃彩、無事でしたか?」
額から血を流す琳が、駆けつけてきた。