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第七章:最愛の妻(1)

 逃げ出すようにして遼真の部屋を出てきた乃彩は、自室に戻るとそのままベッドに倒れ込んだ。


 抱きしめられ「大切な人」と言われたときは、心臓が痛いくらいに高鳴っていた。けれども彼が乃彩を「大切な人」と口にするのは、乃彩だけが彼の妖力を取り除けるから。だから遼真が生きるためには乃彩がいなければならない。


 その事実を突きつけられるたびに、胸が痛んだ。それは、茉依から憎しみを向けられたときよりも、ひどく。

 はじめからわかっていたことなのに、どうして遼真に期待してしまうのか。


 きっと彼らが乃彩に寄り添ってくれるからだ。

 ずっと家族に利用され、搾取され続けた乃彩は、日夏公爵家にやってきてから、家族のぬくもりを知った。


 それがいっときの関係であると頭の中では理解しているはずなのに、一度知ってしまったあたたかさを手放すことに躊躇いが生まれている。


 いつかくるそのときを考えては、胸がぎしぎしと音を立てるのだ。


 せつなく軋む胸に手を当て、乃彩はごろりと寝返りを打つ。


 雨風しのげるうえに、このような快適な部屋まで与えられ、三食もしっかりと用意されている。挙げ句、美味しいデザート付きだ。場合によっては昼寝まで。

 この生活を失った先など、考えることができない。


 ふと、補習を受け持ってくれたあの女性教師の言葉が思い出される。


 ――だから、あなたは生きたいように生きればいいのよ。


 何気ない一言ではあるが、あのときの乃彩にとっては呪縛から解放してくれるような、そんな魔法の言葉だった。


 今でもその言葉だけは胸に刻みつつける。


 そうやってぐるぐると悩んでいる内に、眠ってしまったようだ。

 気がつけばカーテンの隙間からぎらぎらとした日差しが部屋にまで入り込み、光の道を作っていた。


 何時だろうと、ヘッドボードの目覚まし時計に手を伸ばす。まだ、朝の五時前。

 それでも喉が渇いた乃彩は、ベッドから下りた。


 机の上で光を点滅させているスマートホンを手にしてから、テーブルに向かう。このテーブルの上にはちょっとした飲み物が用意されている。寝る前に加代子が用意してくれるもの。


 ペットボトルからグラスにお茶を注ぎ入れ、一口飲む。グラスをテーブルの上に戻し、スマートホンをスライドする。


 メッセージが一件。


 莉乃かと思えばそうでもない。見たことのない、知らないアドレス。そのまま読まずにゴミ箱に直行させようかと思ったところで、修一の名前が目に入った。


『修一です。おじさんから連絡先を聞きました』 


 彼と会ったのは十日以上も前のこと。そのときに、乃彩の連絡先は琳から聞いていたと言っていたが、実際に連絡がきたのはこれが初めてだ。


『会って、話がしたい。おじさんから許可はもらっています。都合のよいときに』


 内容は端的だった。


 しばらく画面を見つめながら、どうしたものかと思案する。補習は終わったので、自由になる時間はそれなりにある。


 しかし、遼真との旅行が控えているし、それを考えると修一と会えるのは、明日か明後日か。


 それにこんな時間だ。返事をするなら、もう少し日が高くのぼってからのほうがいいだろう。スマートホンをテーブルの上に置き、乃彩は深くソファーに座り直すと、背もたれによりかかりつつ目を閉じた。


 修一は何を思ってこんなメッセージを送ってきたのだろう。やはり、結婚のことだろうか。


 莉乃のこと。

 茉依のこと。

 修一のこと。

 そして遼真のこと。


 考えれば考えるほど、頭が痛くなるようなことばかり。いや、遼真のことを思うときだけは胸が痛む。


 小さく息を吐いてから、乃彩は立ち上がり着替えを始めた。


 五時になれば、百合江は外に出ている。夏の暑い時間帯を避けるかのようにして、彼女は庭の花に水やりをする。使用人の仕事といえばそれまでかもしれないが、百合江にとって庭いじりは趣味のようなもの。


 彼女にまとわりついていた妖気を祓ってからというもの、すっかりと元気になって朝早くから動き回っているようだ。


 たまにそれに付き合う啓介の姿を目にするが、「元気になりすぎです」とぼやいていたことを思い出す。


 花柄のワンピースに着替えた乃彩は、百合江がいるだろう庭に足を向けた。


「おはようございます、おばあさま」


 百合江はつばの大きな麦わら帽子をかぶって、じょうろを手にしている。


「おはよう、乃彩さん。今日は早いのね」

「はい。今日から学校に行かなくてもいいので」


 そう言って乃彩は肩をすくめた。


 百合江と他愛のない話をしながら、一緒に花木を愛でていたところ、母屋のほうが慌ただしい。


「奥様! ここにいらしたのですか? 遼真様がお探しです」


 慌てた様子で啓介が駆け寄ってきた。母屋のほうが忙しなかったのは、乃彩を捜していたからのようだ。


「遼真様が? こんなに朝早くから?」


 百合江と顔を見合わせた乃彩だが、百合江もわからないというように少しだけ首を傾げる。


「では、大奥様。奥様をお借りします」


 啓介は乃彩の手を引っ張り、その場から連れ出した。


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