第五章:忍び寄る悪意(8)
会場に近づくにつれ、乃彩は変な空気を感じていた。それは緊張ともまた違う。不審、不穏、そういった雰囲気。
だが広間へと続く扉の前でその原因がはっきりとした。
「遼真様……」
乃彩が小声で遼真の名を口にするものの、その視線は会場の中の気配を探るかのように扉に向けられたまま。
「妖気を感じます……」
彼と触れている腕にきゅっと力を入れた。
「わかった。他に何かあったら、すぐに教えてくれ。俺にはおまえの言う妖気が感じられない」
「恐らく……うまく霊力と絡めて隠しているようです。意図的に」
これは百合江から感じた妖気と似ている。
誰かが気づかれぬよう、この空間を妖気で満たしたいのだ。だから霊力を使ってそれを誤魔化している。
「となれば、術師の仕業か……」
そこで乃彩の背丈の倍以上もある重々しい扉が開かれた。遼真にエスコートされ、足を進める。
今日の参加者は五百人程度。夏至を過ぎてすぐの土曜日ということもあり、昼は長い。また未就学児の参加も可ということもあって、パーティーは四時から始まり、七時までには一通りの内容が終わる。それ以降も飲み食いしたい者は、気の合う者たちと夜の店にと足を運ぶ。
ひな壇に近い席から、公爵家、侯爵家と序列に基づき席を配置している。だから乃彩の目の前に両親の姿が見えるのだ。一つのテーブルに四大公爵家のうちの三家が揃っており、挨拶が終われば乃彩も遼真と一緒にその席につくことになっている。
司会は会場となったホテルに頼んであるため、遼真や乃彩が何か仕切らなければならないわけではない。ただ、その司会進行については、事前にびっちりと打ち合わせた。
遼真がマイクの前に立ち、パーティーの開会宣言をした後、乃彩との結婚を報告する。会場内にざわめきが走るものの、そのざわめきをうまく利用して北秋公爵が乾杯の音頭をとった。北秋公爵は公爵の中でも五十代後半と最年長だ。
ここから、遼真の言う「くっちゃべる」が始まるのだが、乃彩は結婚の挨拶のために各テーブルを回ることになっている。しかし、その前に目の前の公爵らとの歓談が待っている。
「噂では聞いておりましたが……」
そう言い出したのは、北秋公爵だった。円卓に座った乃彩の左隣に座っている。
「春那公爵。このようなお嬢さんがいらっしゃるなら、紹介してくださればいいものを」
「未成年でしたからね。高校を卒業したら、然るべき場でお披露目する予定でしたが……」
そこで琳はチラリと遼真に視線を向けた。
「この二人は恋愛結婚なのですよ。やはり、若い者の考えることは我々にはわかりませんな」
公爵位ともなれば、政略的に結婚する者のほうが多い。乃彩の両親もそうだ。母親の彩音は春那の分家、花月侯爵家の令嬢で、年が近いこと、学園での彩音の評価が高かったことなど、そういったことから前公爵が花月侯爵に打診したと聞いている。人前では穏やかな琳と、見た目は派手な彩音だが、なんだかんだで夫婦仲は悪くはない。
また、たいていは同じ一族内で婚姻を結ぶ。
だから遼真が春那公爵家の娘と結婚したことは、異例中の異例でもあった。四大公爵の力の均衡すら崩れる可能性もあるからだ。
「親の反対を押し切ってまでの結婚ですから、もう娘だとは思っておりません」
「これはこれは、手厳しい」
そう言って豪快にグラスを煽った冬賀公爵に、隣に座っている彩音がすかさず酌をする。冬賀公爵は四十代後半で、遼真より一回り以上も年上だ。
「ご子息の縁談が決まったとお聞きしました。おめでとうございます」
グラスに酒を注ぎながら、彩音が微笑を浮かべる。
「おぉ、ありがとうございます。だが、やはり日夏公爵がうらやましいですなぁ。もう少し早く、ご令嬢を紹介していただければ……」
その後の言葉は、口につけたグラスによって、酒と共に飲み込まれていった。
全てを言わずとも、冬賀公爵が何を言いたいか予想がつく。
「乃彩、北秋公爵に……」
遼真がそっと声をかけてきたため、乃彩は北秋公爵に声をかける。
「お飲み物は、同じものでよろしいですか?」
「是非お願いしたいところだが、この頃、妻がうるさくてね。アルコールではないものを頼みたい」
「承知しました」
乃彩はにっこりと微笑み、給仕を呼び止める。
穏やかな歓談に見えるが、腹の探り合いだ。特にこのテーブルはそうなのだ。いつも顔を合わせている遼真にとっては慣れたものだろうが、乃彩には変な緊張が走っていた。特に、両親が遼真を挟んだ隣にいるのも原因の一つ。
それでも新婚の二人がいて、恋愛による結婚となれば、公爵夫人らは馴れ初めなどを聞きたがる。
「どこで出会ったのかしら?」
「お父様には内緒だったの?」
「どちらから告白したのかしら?」
「結婚式はいつ頃を予定されているの?」
次から次へと質問が飛んできたが、乃彩は答えられずしどろもどろになってしまう。
「あまり妻をいじめないでください。恥ずかしがり屋なのです。そのかわり、私がお答えしますから」
そう言って遼真は、夫人らの好奇心に一つ一つ対応していった。