第五章:忍び寄る悪意(7)
中間テストも終わり、乃彩は術師実技を除く全ての教科でほぼ満点を採った。それは予想していたとおりの結果で、実技はやはり夏休みに補習が必要な点数であった。
また、耳に入ってきた噂によれば、莉乃の成績が震わなかったらしい。術師実技の試験中に、霊力を使いすぎて倒れたという話も聞こえてきた。
もしかして、乃彩が莉乃の治癒――霊力回復を行わなかったから、だろうか。
そんな考えがチラリと脳裏をかすめたが、今はパーティーに向けて最終調整を行わねばならない。
そうやってパーティーに向けて慌ただしく日が過ぎ、やってきた当日。朝から、乃彩は着物を着付けられていた。
「大奥様。髪の毛はどうしましょう?」
乃彩の帯をビシッと締めてくれたのは百合江だ。そして加代子が髪をすき、どうしたものかと悩んでいる。
「背中に流す感じがいいわね。だけど、顔には髪がかからないように、この辺を編み込みにしてちょうだい」
乃彩は立ちっぱなしであるものの、まるでマネキンのようにされるがまま。
「化粧は、ファンデーションまでやる必要はないわ。若いし、この肌を生かしたほうがいいわね。乳液クリームまでにしましょう。目の周りは簡単に化粧いれて、あとは口紅」
百合江の指示で使用人がてきぱきと動いていく。
「やはり、私の見立ては間違っていなかったわ」
着物を身につけ、化粧を施し、髪も編み込みにした乃彩に百合江は満足したようだ。
「乃彩さん。椅子に座るときは浅く。帯がくずれたなら、すぐに直しますから、私に声をかけてちょうだいね」
今日のパーティーには、日夏公爵家主催ということもあり、百合江も参加する。
「はい。わかりました」
着物に袖を通してこういった催しものに参加するのは、乃彩にとってはじめてだ。お腹周りにはぎゅうぎゅうといろんなものを詰められ、少し苦しい気もする。
「では、いきましょう」
百合江の声に促されて部屋を出たところ、遼真が待っていた。今日の彼は、前髪もすっきりと後ろになでつけていて、いつもよりも凛々しい雰囲気がある。また、濃紺のスーツ姿も上品さに溢れていた。
「急に大人びたな」
乃彩の着物姿に全身くまなく視線を走らせた遼真は、感心したように呟く。
「遼真様も、今日は真面目に見えます」
「俺はいつも真面目だ」
「はいはい、お二人とも。惚気はそれくらいにして。急がないと時間に遅れますよ」
百合江の言葉に従い、二人は啓介が運転する車に乗り込んだ。
会場は、日夏家が昔から利用しているホテル。結婚式の披露宴などにも使われることも多い場所だ。そこで今日の流れの最終確認をして、招待客が来るのを待つ。
控え室の鏡台の前に、乃彩は背筋を伸ばして座っていた。
「なんだ。緊張しているのか?」
乃彩に飲み物の入ったグラスを手渡し、遼真はソファーにどさりと座り込む。
「そうかもしれません……。今日来られた方は、わたくしが遼真様と結婚したということを知るわけですよね?」
「まあ、そうだな。だが、総会では報告しているし、俺としては隠しているつもりもなないしな。今さらだと思う者もいるだろう」
「ですが、わたくしは遼真様とは逆の立場なのです。わたくしが遼真様と結婚したと知っている者は、わたくしの周囲にはほとんどおりません。それが、このパーティーで周知されることにより、いつみんなに知られるのか、というのが怖いのです」
「怖い? なぜ怖がる必要がある。おまえは俺の妻で日夏公爵夫人。堂々としていればいい」
そうは言われても怖いものは怖い。そして、なぜ怖いのかという理由もよくわからない。
「俺はおまえと結婚したことを後悔していない。おまえはどうだ?」
「わたくしも、後悔はしておりません。どちらかといえば、感謝しております」
「だったら、何も怯える必要はない。周りの言葉など気にするな。ただの戯れ言だ」
そこへ啓介が「時間です」とコンと一度だけ扉を叩いてすぐに入ってきた。
「啓介。ノックと共に入ってくるな」
「すみません。以後、気をつけます。が、もう時間なんで、いいですか?」
「おい、雑だな。まぁ、今に始まったことではないが」
乃彩が手にしていたグラスを奪い、テーブルの上のトレイに置く。まだ飲みかけであったが、時間と言われてしまえば仕方ない。
そして遼真が乃彩の手を取り、椅子から立たせた。
「奥様。こうやって見ると、本当に素敵ですね。あ、遼真様も今日はかっこいいですよ」
「その、とってつけた感、やめろ」
「なんですか。僕はお二人の緊張をほぐそうと思ってですね……」
相変わらずの二人のやりとりに、乃彩はくすりと笑みをこぼす。
「ありがとうございます、啓介さん。おかげさまで緊張もほぐれました。遼真様、行きましょう」
乃彩が見上げて遼真に声をかける。
「あ、あぁ。そうだな。では、行くか」
「遼真様、今、絶対に奥様にときめきましたよね? っていうか、今の笑顔は反則ですよね?」
「おまえは黙っていろ」
やはり、いつもの二人だった。