第五章:忍び寄る悪意(6)
六月に入れば衣替え。制服も長袖のブレザーを脱ぐ。黒から白の世界に一気にかわって、教室もどことなく明るく感じるものの、乃彩にとっての学校の居心地の悪さはかわらない。
日に日に余計にそう感じるようになるのは、日夏の家での生活が楽しいからだ。
そしてあれ以降、莉乃が乃彩を呼び出すことはなかった。力の使えない乃彩など、利用する価値すらないのだろう。
日夏の家に帰ると、すっかりと元気を取り戻した百合江からパーティーでの立ち居振る舞いについて教えてもらいつつ、パーティーの準備の進捗を共に確認する。だが、中間テスト前ということもあり、それはほどほどにしている。
そして遼真がいないときには、二人で南屋に足を運び、こっそりと生大福を食べてくるのだ。それでも夕食時に乃彩と百合江の箸の進み具合が悪いと、遼真は感づくらしい。
「二人で、何か食べてきたのか?」
離れで暮らしていた百合江だが、夕食時だけは家族揃ってとるようになった。それは乃彩が望んだことでもある。
「そういうことは詮索してはなりませんよ」
百合江にそう言われてしまえば、遼真もそれ以上は突っ込んではこない。
乃彩は内心ほっとしつつも、並べられた料理を全て食べられないことに胸が痛んだ。だから、百合江と二人でおやつを食べたときなんかは、夕飯を減らしてもらうようにとお願いするのだが、そうなるとやはり遼真に気づかれてしまう。
そして彼は百合江がいないとき――乃彩が遼真に治癒を施している最中に声をかけてくるのだ。それも啓介が他の用事で離れているときをねらって、二人きりのときに。
「今日は、ばあさんとどこかに行ったのか?」
「はい。今日は、パーティーの準備のために、会場のホテルに行くと伝えていたはずですが?」
「そうだったか?」
「そうです。決して、遼真様に内緒で出かけたわけではございません。料理の確認をしてまいりました」
「なるほどな。だが、テスト前はパーティーの準備もほどほどにしろと、俺は言ったはずだが?」
「テストは、問題ありませんから。ご心配なさらず」
と言ってはみたものの、もちろん実技のテストは問題だらけだ。
「俺の奥さんは、テストによっぽど自信があるらしい。夏休みに補習を受ける必要はなさそうだな」
「遼真様は、意地悪ですね」
乃彩の実技の成績が悪いことを知っていて、わざとそう言っているのだ。それを意地悪と言わずしてなんというのか。
「意地悪? 俺は夏休みの予定を確認しただけだ。補習があるなら……日程が決まったなら教えろ」
「あ、はい。送り迎えの都合ですよね?」
「違う。せっかくの夏休みだ。どこかへ旅行なんかはどうだ?」
「旅行、ですか?」
突然の提案に、乃彩も面食らう。
「結婚したんだから、新婚旅行くらいには行くべきだろう? ばあさんだってあの調子だ。加代子さんと啓介に任せておけばいい」
「つまり……その旅行は二人きりで?」
「新婚旅行に、自分の家族を連れていくやつがいるか?」
「新婚旅行……そうですね……」
いきなり新婚旅行と言われてもピンとこない。
「まあ、補習を終えて、単位が取れる前提での旅行だ。ここまできて単位落としました、卒業できません。では困るだろ?」
「はい……努力します……」
乃彩だって霊力を高めるために、努力をしなかったわけではない。授業だって真面目に受けていたし、小学生の頃は祖父に付き合ってもらい、霊力を高める訓練なんかもした。
それでもまったく使えなかった力。
今になって力をほんの少し使えるようになったのは、その力を使うときに「家族を助ける」ことを想像するからだ。家族が亡者に襲われている。家族が悪鬼に襲撃されている。そういったことを想像して力を使おうとする。
その結果、小学生なみの霊力を発揮できるようになった。
しかし、それだけでは不十分だ。
高等部を卒業したら、一部の者は術師華族として名を連ねることとなる。目的はもちろん、鬼を一掃すること。今の乃彩の実技の成績では、鬼どころか亡者だって祓うことはできない。
本来であれば、術師華族として認められないような霊力。
だというのに、それを特別にしているのが、公爵令嬢という地位と学業における成績。そして、一部の人間にだけ知られている治癒能力。
今では春那公爵令嬢という肩書きは失ったが、それだって他の術師華族らに周知されているものではない。
また日夏公爵夫人という立場も、少しずつ知られていってはいるものの、学校ではまだ『春那』の姓を使っているため、そういった話が耳に入ったとしても、信じる者のほうが稀なのだ。
しかし、次のパーティーでは遼真との関係が大々的にお披露目される。
今まで結婚した相手、清和侯爵、茶月男爵、雪月子爵らも参加する。そして同じクラスにいる令月茉依は雪月子爵の婚約者だ。だから彼女も出席することになっている。
その結果、乃彩が遼真と結婚した話が、どこまで広がっていくのか。それが少しだけ不安でもあった。