第五章:忍び寄る悪意(4)
「終わりました……。気分は、悪くありませんか?」
「あぁ、問題ない。むしろ、日に日に身体が軽くなっていく感じがする」
「それだけ、今まで妖力をため込んでいたせいですね……ですが、なぜ、今になってわたくしは力を使えたのでしょう?」
莉乃の霊力を回復しようとしたときには、なんの反応もなかった。だというのに、今は彼の妖力を押さえ込んだうえに、その霊力の回復ができた。
「何も難しい問題ではないな。俺がおまえの夫で家族だからだろ? おまえの力は家族にしか使えない」
「ですが、莉乃……妹には使えませんでした」
「てことはだ。その妹はもうおまえにとっては家族ではないのでは? なによりも、あの狐がおまえを勘当したわけだからな。親子の縁を切った。だから、妹との縁も切れた。そういうことなんじゃないのか?」
「莉乃はもう……家族ではない……?」
だが遼真の言うことは、理屈が通っている気がする。
「もう、春那の家の者には力を使えない?」
となれば、今、乃彩の家族と呼べる人物は、遼真と百合江だけ。
「どうした? やっぱりショックだったか? もう少し遠回しに言うべきだったな」
「い、いえ……ただ、驚いただけです。ずっとこの力を、春那の家のために使っていました。ですがもう、彼らのためにこの力を使う必要はないのかと思うと……」
「だが、悪いが俺はおまえの力を利用させてもらうぞ? そういう約束だからな」
「は、はい……それは、問題ありません」
力が使えなくなったと思ったときに、すぐに思い浮かんだのが遼真のことだった。彼の妖力を浄化できなくなったかもしれないという考えが頭の中を駆けていき、それと同時にむなしさとか悔しさとか、わけのわからない気持ちが一気に押し寄せてきたのだ。
「じゃ、これでおまえの力については問題ないな? そろそろ時間だからさっさと着替えてこい。ばあさんを待たせたら、嫌みが飛んでくる。言い返せば十倍になって返ってくる。だから時間厳守だ」
「はい。失礼します」
すくっと立ち上がった乃彩は、自室に爪先を向けた。ほんの十数分前までどんよりと沈んでいた気持ちだというのに、今は晴れ晴れとしている。
制服を脱いで、花柄の半袖ワンピースに袖を通した。五月も下旬となれば半袖でもおかしくはない気候だが、それでも太陽の光が届かない場所は肌寒い。カーディガンを羽織る。
「おい、着替えたか?」
ノックと同時に、扉の向こう側から遼真の声が聞こえてきた。
「はい。今、行きます」
扉を開ければ目の前に遼真が立っている。
「あっ……」
「そんなに驚かなくてもいいだろう、奥さん。俺たちはラブラブ夫婦なんだろ?」
ラブラブ夫婦であるかどうかはおいておき、そういった関係に見えるように演じる必要はある。二人の仲が偽物であると思われてしまえば、この結婚の真意を見破られてしまう。特に、春那の家の者に知られたら厄介だし、そうなればまた、あの家に連れ戻されるかもしれない。
それだけは絶対に避けたかった。
だが、なんて答えたらいいかわからず、目を細めて誤魔化した。
遼真と一緒に応接室に入ると、すでに百合江が見知らぬ男性と向かい合ってソファーに座っている。部屋には加代子や啓介の姿も見えた。
「時間はぴったりね。あなたたちはそこに座りなさい」
二人がけのソファーに、乃彩は遼真と並んで座った。肩が触れ合うほど距離が近いのは、見知らぬ男性にラブラブっぷりを見せつけるためだろうか。きっと彼が呉服屋の関係者にちがいない。
「よう、遼真」
その一言で、遼真は迷惑そうに顔をしかめる。
「お知り合いですか?」
彼らのやりとりを見ていたら、誰だってそう思う。
「ああ、残念ながらお知り合いだ。大学で一緒だった、櫻井尚之。総合アパレル会社のブロッサム、知ってるか?」
「はい。ニュース記事で名前を見たことはありますが……」
「そこの役員の一人」
「相変わらず、雑な紹介の仕方だな。はじめまして、奥様……でよろしいでしょうか? 私、株式会社ブロッサムの取締役兼営業本部長の櫻井尚之と申します」
ツーブロックのおしゃれ坊主と呼ばれる髪型の尚之は、柔和な笑みを浮かべつつ名刺を差し出した。野性味溢れる顔立ちの男性だ。
「ご丁寧にありがとうございます。わたくしが遼真の妻。日夏乃彩と申します」
「可愛らしい奥様で。このたびは、ご結婚おめでとうございます」
「尚之さん。早速で悪いのだけれど、乃彩さんの着物とドレスをお願いしたいのよ。着物は急ぎなの」
百合江が明るい声で話を進め始めた。
「いつもご贔屓にしていただきありがとうございます」
「着物のほうはね、私のほうである程度候補をしぼったのだけれど、やはり最後は乃彩さんの意見も聞きたいでしょう?」
テーブルの上に次々と着物とドレスの写真が並び始める。
「着物とドレスはパーティー用よ」
百合江が主導をとって、会話を進めていく。
ふと、遼真に小突かれた。
「朝からこの調子なんだ……」
小声でそう呟いた彼は、どこかげんなりとしている様子。乃彩が学校に行っている間、百合江に付き合っていたのだろう。啓介も車の中で似たようなことを言っていたのを思い出した。