第四章:信頼の証(11)
大福をすっかりと食べ終えた百合江は、先ほど言ったように乃彩と外に出ていった。啓介が彼女たちの後ろについているから、心配はないだろう。
遼真は俊介に声をかける。
「先生。乃彩が、おばあさまの気鬱は妖気のせいだと」
俊介がこめかみをひくっと動かす。
「妖気ですか?」
「えぇ……」
妖気と妖力は異なる。妖気は鬼たちの気配のようなもので、妖気そのものに力はない。
逆に妖力は鬼たちの力そのもの。妖力を用いて人間やら術師を操ろうとする。
「俺は何も感じなかった」
「私もですね。ですが、奥様はそれを感じたと?」
「今、彼女がおばあさまの妖気を祓うよう、試みている」
「なるほど」
頷いた俊介も、遼真が彼女に散歩を提案した意図をくみ取ったのだろう。
「遼真様のお加減もよろしいようですね。以前よりも、だいぶ霊力が安定しているようです」
「おかげさまで」
乃彩の治癒能力は本物だった。妖力によって失われつつあった霊力すら回復し始めている。
「ただ大奥様の妖気の件は、私としても気になりますね。一年も私たちが気づかなかったと、そういうことになりますよね?」
俊介の言葉に間違いはない。
百合江が離れに閉じこもるようになったのは、一年前の日夏公爵家主催のパーティー以降だ。乃彩の言葉を借りれば、そのときに妖気を持ち帰ってきたのではないか、とのことだが。
「遼真様の妖力のように大奥様の霊力とうまく絡みつかせていたのでしょうか? 妖気だけであれば特に意識する者も少ないでしょう。まして霊力に溶け込んでしまえば、私の霊力では感知できないかもしれません」
俊介の言うように妖気だけであれば特に意識しない。鬼の残り香のようなもので、悪さをするものではないからだ。まして、霊力とうまく混じり合ってしまったのであれば、その辺の術師の霊力ではわからないだろう。
それに遼真は妖力に冒されており、霊力が弱まっている事実は否定できない。だから百合江にまとわりつく妖気も感じなかったのだ。
「春那公爵家のご令嬢と結婚されたと聞いたときは驚きましたが。遼真様にとってはいい縁談でしたね」
「そうだな」
ほんの数日前だというのに、彼女から「結婚してください」と迫られたのも、遠い過去のように思えてくる。
「遼真様がそのような顔をされるのも、珍しいですね。それだけ、奥様は特別なのですね」
「特別ではあるな。何より彼女は俺の妖力に気づいたからな」
二十年も以上、家族以外の誰にも気づかれなかった。それをいとも簡単に見破った。興味を持つなと言われるほうが無理だろう。
そうやって遼真と俊介があれこれ話をしていると、庭の散策を終えた三人が戻ってきた。
「久しぶりに歩いたからかしら? 喉が渇いたわ」
部屋に入ってくるなり、百合江が明るい声をあげた。
「では、僕が飲み物でも準備してきます。冷たい飲み物がいいですか?」
「そうね。少し汗ばんでしまったわ」
百合江は右手で仰いで、自身に風を送っている。
「大奥様。気分はいかがですか?」
俊介が百合江の顔をのぞき込んだ。
「えぇ。今日はとっても気分がいいわね。乃彩さん、またお散歩に付き合ってくださるかしら?」
「はい。もちろんです」
答えた乃彩の頬も赤らんでいるのは、歩いてきて暑くなったからだろう。
遼真と視線が合えば、乃彩はコクリと頷く。彼女は、百合江に浄化を施したにちがいない。いつも遼真の手に触れ、妖力を取り除くのと同じように。
「はいはい、お待たせしました。思っていたより、外が暑くてですね。アイスなんていかがでしょう?」
啓介はガラス皿の上に、バニラアイスを丸く盛り付けてきた。グラスにも冷たい麦茶が入っている。
「奥様もどうぞ」
乃彩の前にもアイスが置かれ、彼女はそれをすぐに手に取った。
「乃彩」
「なんでしょう?」
「太るぞ?」
ツンとそっぽを向いたまま、彼女はアイスクリームを食べ始めた。
「大奥様。遼真様ったら、本当に素直じゃないんですよ? ほら、小学生がよくやるじゃないですか。好きな子ほどいじめたくなるアレなんですよ、アレ」
啓介が余計なことを言い出したから、遼真もどう反論したらいいかがわからなくなってしまった。いや、ここで言い返したら、啓介の言葉を認めるようなことになるのでは、という考えも働いたのだ。となれば、話題を変えるのが手っ取り早い。
「おばあさま。今年のパーティーの件ですが、今、乃彩が準備を手伝ってくれているのです。ですが、彼女も高校生ですから勉学もありますからね。できれば今年も、おばあさまに手伝っていただきたいのですが……」
「あら? もうそんな時期……? もう五月ではないの。遼真さん、そういう大事なことは早くおっしゃいなさいな」
きびきびと動く百合江を見て、やはり乃彩の浄化がうまくいったのだと、遼真は確信した。