第三章:偽りの夫婦(9)
「どうだ?」
遼真が尋ねれば、俊介は黙したまま、遼真の全身に視線を這わせる。
「ええ、妖力が感じにくくなりました」
「だろうな。俺もその自覚はある。じいさんにやってもらったときと、同じような感じだ」
遼真の視線の先には、落ち着いた様子で大福を食べている乃彩がいた。
啓介はニコニコとしており、乃彩に幾言か声をかけている。彼女もそれを無視することなく、首を縦に振ったり横に振ったりと、口が塞がれている分、何かしら反応を示していた。
「乃彩。食べ終わってからでいい。話が聞きたい」
やはり口の中に大福が入っているのだろう。彼女はコクコクと頷いた。
「可愛らしい奥様ではありませんか」
「ああ、顔はあの狸に似ているところもあるが……性格はまったく似ていないな」
乃彩は狸というよりはリスだろう。もしくはハムスターか。
「奥様は、他にはどのようなお菓子が好きですか? 用意するので遠慮なくおっしゃってくださいね」
啓介も上機嫌で尋ねている。
「ありがとうございます」
啓介に礼を言った乃彩は、ごちそうさまでしたと口にする。
「乃彩、こっちに来い」
食べ終えたところを見計らって、遼真は彼女を呼び寄せた。
「ここに座れ」
話をするのであれば、隣にいてもらったほうが都合はいい。
「はい。失礼します」
スカートの裾を巻き込まないように、手を添える姿も様になる。
「おまえは、この妖力を完全に取り除くことができるのか?」
その問いに、乃彩は何やら考え込み、麗しい唇を震わせる。
「妖力に侵された人は、自身の霊力を使ってその妖力に対抗します。ですが霊力が負けてしまいますと、妖力が霊力を奪っていく形になりますので、すぐに解呪を施す必要があります。……日夏公爵様の場合ですが、妖力に侵されているわけではない……ですよね? それに昨日も、解呪はできないと、そうおっしゃっておりましたよね? うまく説明できないのですが、体内から妖力が生まれてくるような、そんな感じを受けました」
「なるほど。だが、恐らくおまえのその感覚は正しい」
「そうなりますと、やはり完全に取り除くことはできません。わたくしが解呪を施しても、次から次へと妖力が生まれてくるのですから。まるでイタチごっこの状態です……ん?」
そこで彼女は何かに気がついたようだ。
「どうした?」
「いえ、この結婚は日夏公爵様の妖力がなくなったら終わりだと、そういう約束でしたよね?」
「そう言ったな」
「ですが、妖力は次から次へと生まれてくる。それをわたくしが取り除く。取り除いてもまた、妖力は生まれる。これに終わりはあるのでしょうか?」
「知らん」
くくくく……と笑いをかみ殺しているのは俊介だ。
「遼真様。そのような約束をされたのですか?」
「あぁ。まだ彼女は高校生だしな。この結婚は俺の解呪をしてもらうのが目的だ。契約のようなものだ」
「ですが……」
そう言いかけて乃彩はまた遼真の手に触れてきた。
「妖力が生まれるのは霊力に複雑に絡みついているからです。こんな霊力、初めてですが……霊力と妖力を切り離せば、もしかして妖力だけ取り除くことも可能かもしれません」
「ほぅ。おまえ、そこまで気がついたのか?」
「そこまで?」
乃彩は不思議そうに首を傾げる。
「言っただろ? 俺が妖力に侵されていることを他の者は気づかないと。その原因がそれだ。霊力に絡みついているから、霊力によって隠されている。まぁ、擬態みたいなものだ」
「日夏公爵様は、これは鬼の呪いだとおっしゃいましたね。いったい、いつからこのような状態なのですか? 鬼に呪われるだなんて……」
「生まれたときからだな。まさしく、こんなときから」
そう言った遼真は、左手の親指と人差し指でCの形を作る。
「それでは胎児ではありませんか」
「だが、きっとそうなんだろうな……俺の父親がどうやら鬼らしいからな……」
乃彩が息を呑むのがわかった。ひゅっと喉が鳴る。
鬼といっても昔話や絵本に出てくるような角をもった異形ではない。その姿は人と変わらず、人の生活に紛れ込んでいる。だから彼らは、人を操るのだ。
「そう、驚くな。別に隠していることでもない。啓介も先生も知っている」
それでも乃彩の目はきょどきょどと宙を泳いだ。
「どういった経緯で母親が父親と出会ったのかはわからない。だが、俺が生まれてすぐに妖力に侵されていると母親は気がついたようだ。このまま苦しむくらいならと悩んだようだが、祖父が俺の妖力を取り除く約束をしてくれたから、生かされた」
「そう……なのですね? ですから、お祖父様が亡くなられてからは……」
「そういうことだ」
遼真の話を聞いた乃彩は、長い睫を伏せた。