第三章:偽りの夫婦(3)
「ご丁寧にありがとうございます。春那乃彩と申します。このたびはわたくしのわがままで日夏公爵様と結婚することとなりました。突然のことで申し訳ありません」
「そうそう、そうですよ、遼真様。結婚って本気なんですか。って、本気なんですね。証人欄、とりあえず僕が名前を書けばいいですか?」
「啓介、うるさいから黙っていろ。証人は頼む。それからもう一人、適当なのを見繕っておいてくれ。乃彩がこれを書いているうちにな」
「わかりました」
部屋を飛び出した啓介は、年配の女性を連れて戻ってきた。
「やはりここは大奥様でしょう」
「大奥様……」
乃彩がぼそりと呟くと、遼真が「祖母だ」と答える。
「まあまあ、遼真さん。急に結婚だなんて。驚きのあまり心臓が止まるかと思いましたよ」
「お初にお目にかかります。春那乃彩と申します」
「まあまあ、可愛らしいお嬢様ね。春那……公爵家の……?」
「長女です」
「まあ、なんてことでしょう。春那公爵もいらしているのかしら?」
そこで遼真は啓介に目配せをする。
「大奥様。今日は、日取りがよいので先に婚姻届を出したいという二人の強い希望によるものなのです」
「おばあさまには以前より結婚したい女性がいると伝えていたはずですが? やっと相手の許可が出まして」
「そうだったかしら?」
「そうです、そうです。以前から遼真様はこちらのお嬢様に懸想されていたのですよ。やっと彼女が成人を迎えましてね、それで春那公爵からもこうして許可をいただけたというわけです」
乃彩も知らない話が次々とできあがっていく。
遼真の祖母には悪い気がしたが、背に腹はかえられない。下手に口を挟まず、全ては遼真と啓介に任せる。
「大奥様はこちらに名前を書いてください」
啓介が促し、女性が震える手つきで名前を書いた。
「おばあさま、挙式の日取りが決まりましたら連絡しますから」
「楽しみにしているわ」
「大奥様、それでは部屋に戻りましょう」
啓介は遼真の祖母を連れて部屋を出ていった。
「慌ただしくて悪いな。祖父が亡くなってから、祖母の気鬱が酷くてな。まぁ、今回ばかりはそれを利用させてもらったが……」
記憶が曖昧なところがあるのだろう。だから結婚に対して強く言えなかったのだ。
そうでなかったら「結婚、反対」と強く言われても仕方のないことだ。
「おばあさまを騙しているようで、申し訳ない気持ちになります」
「気にするな。あの人は、俺が結婚したという事実さえあれば喜ぶからな。それに、これからもっとたくさんの人を騙す。俺の祖母一人相手に、心痛めるな」
むしろ相手が遼真の祖母だから心が痛むのだ。震える手で名前を書いていた嬉しそうな表情。彼女はこの結婚が互いを違いに利用する偽りであることを知らない。きっと、愛する二人が結ばれたと、そう思っているのだ。
「俺の祖母に悪いと思うなら、うんと綺麗な花嫁衣装を着て、その姿を祖母に見せてやってくれ。あの人を喜ばせてくれれば、それだけでいい。俺が用意する」
「はい」
複雑な家庭は、遼真も同じなのかもしれない。
書き終えた婚姻届けを手にし、役場にすべり込んだ。婚姻届受理証明書を手にして役場を出たのは、閉庁三分前だった。これから夏至を迎えるこの季節は、この時間はまだじゅうぶんに明るいものだ。
「では、戦場に行くか」
駐車場に向かう前に、遼真が右手を差し出した。
きょとんとした乃彩が首を傾げると「手を繋げ」と言う。
「それから、俺のことは遼真と呼べ。結婚したから、おまえも日夏だ。わかったな?」
「はい」
「おまえの両親の前ではラブラブ夫婦を演じるぞ」
「ラブラブ……」
遼真とのキャラからかけ離れすぎていて、ラブラブとはどういったものを指すのかがピンとこない。
「まぁ、無理そうなのはわかっている。主導は俺がとる。おまえは頷くか、聞かれたことだけ答えればいい。両親が暴言を吐いたとしても気にするな。あれはクズだ。クズが何を言ってもクズにしかならない。それから念のため確認するが……」
「はい?」
「今日から俺の屋敷に来るか? それとも学園卒業までは春那の屋敷で暮らすか? 学園の手続きもあるな」
遼真が戦場だと言った春那の屋敷で、今から卒業まで暮らすとなれば戦死しそうだ。
「日夏のお屋敷にお世話になりたいです」
「よし、わかった。そうであれば、必要最小限のものだけ持ち出してこい。服なんかは買ってやるから、持ってくる必要はない」
「わかりました。教科書くらいは、持ってきます。あとは特に……」
思い入れがない。
「よし、話はまとまった」
遼真は乃彩の手をしっかりと握りしめた。




