第二章:運命の旦那様(5)
「わかった。今、車を呼ぶ」
上着の内側からスマートホンを取り出した遼真は、タップする仕草ですら洗練されたものだ。その所作を目にしただけでも、彼がそれなりに教育を受けたものであるとわかる。
「……啓介か? 車を頼む。場所は……」
迎えの車が来るまで近くの珈琲店で待つことにした。だけど、乃彩はこういった店に入ったことがない。
「どうした? お嬢様」
「も、申し訳ありません。このようなところを利用したことがなく……なにぶん不慣れなものでして……」
「なるほど。初心なお嬢様は箱入りだったか。そこの席が空いている。座って待っていろ」
遼真の言葉に素直に従った乃彩は、丸テーブルに一人がけ用のソファーが互いに向かい合っている席に座った。
平日の昼下がりというのもあり、店内を利用する客はまばらだ。
「ほらよ、お嬢様。珈琲よりもこっちのほうがいいだろう?」
そう言って彼が手渡してくれた蓋付き紙カップの中身は、なんであるかがわからない。
「ありがとうございます」
「なんか、別人みたいだな」
「え?」
「俺をナンパしたときと、今のおまえ」
そう言って紙カップに口をつける遼真から目が離せない。ただ珈琲を飲んでいるだけだというのに。
「なんだ? お嬢様はこれの飲み方もわからないのか?」
「わ、わかります……」
慌てて目を逸らした乃彩は、カップの飲み口に唇を寄せた。ほのかに蜂蜜の甘い香りがする。コクリと一口飲むと、まろやかな甘さの中に爽やかな渋みを感じた。
「あっ、美味しい」
「そうか。それはよかった」
乃彩の飲み物は珈琲ではない。ミルクがたっぷりと入ったミルクティーだ。そこに蜂蜜をたらしたもの。
「で? お嬢様が俺に結婚を迫った理由を聞いてもいいのかな?」
「それは……」
この場所で話をしてもいいものかどうか、悩んでしまう。誰も他人の話に聞き耳など立てていないとわかっているのに、不特定多数の人間がいる場所で、安易に乃彩の能力を言葉にするのははばかれた。
「もう少し人けのないところでお話します」
「なるほど。俺と結婚したいお嬢様は、早速二人きりになるのをご所望するというわけだ」
ニタリと笑った遼真は、乃彩の反応を見て楽しんでいる。これでは完全に遼真のペースに呑まれている。
乃彩はそんな彼を無視し、ミルクティーを味わった。
「そうやって、ツンとすました顔もそそられるな。おまえは、いったいいくつの顔を持っているんだ?」
「いくつ? 日夏公爵様も面白いことをおっしゃるのですね。わたくしの顔は一つに決まっているではありませんか」
「なるほど。春那の娘にしては面白いな。あの狸爺、いつも俺たちの話をのらりくらり交わしやがって、気に食わなかったんだが……」
「まぁ。父は狸爺ではございませんわ。どちらかといえば、狐でしょうか?」
ぽんぽこ狸というよりは、変幻自在の狐だろう。いつも微笑みの仮面をつけ、本音を隠している。
「なるほど。化かし合いということか。おまえ、やっぱり気に入った……ちっ」
ムームームーと、遼真のスマートホンがバイブ音を鳴らす。
「どうやら、迎えが来たみたいだな。まだ、中身が入っているんだろ? このまま持って帰る」
「あっ」
乃彩の手からひょいっと紙カップを奪った遼真は、両手にカップを持って出口に向かって歩いていく。乃彩は慌てて鞄を手にし、彼の後を追った。