第二章:運命の旦那様(1)
高等部三年ともなれば、教室内はほんの少しピリピリとした緊張に包まれる。
それは、高等部卒業後の進路が影響するためだ。女子生徒の半分くらいは結婚という道を選ぶが、宝暦学園の大学部に進学する者や他の大学へ進学を希望する者、就職を望む者などさまざま。
まだ進路の決まっていない者も多数いるため、やはり一年、二年時ののほほんとした空気とは異なるのだ。
それでも、乃彩が感じる雰囲気は、針のように鋭く突き刺さるものだった。春休みが明け、三年教室で学ぶようになった時期から感じ始めた視線。それは好奇とか蔑みとか、どこか侮蔑を孕む視線でもある。
その視線の主を確認すれば、茉依だった。彼女は間違いなくあのときのことを恨んでいる。
乃彩の力を使うためには、その力を必要とする者と「家族」にならなければならない。清和侯爵もそうやって救い、茶月男爵の妹、香織も同じ方法によって力を使った。
茉依の婚約者、雪月徹を助けるためには、彼と「家族」になる必要があった。その方法は彼と結婚すること。それが家族になる手段としては一番手っ取り早い。
だが、茉依は乃彩が徹と結婚したこと怒っているわけではない。結婚しても徹の気持ちは茉依に向いていたわけだし、乃彩も横恋慕したわけでもない。むしろ、それで徹の命が救われるのであればと、茉依も同意したうえでの結婚であった。
だから茉依が腹を立てている理由は、他にある。それは春那家が報酬として大金を要求したことだろう。
しかし、ああやって力を乃彩が使って救った後に、琳が多額のお金を受け取っていたとは、まったくわからなかった。
聡美との交流は今でも続いているが、彼女はそのようなことを一言も口にしていない。彼らは大人だから、お金よりも命が助かったことを重視しているのだろうか。
それでも茉依は違ったようだ。徹の命が助かったのに、大金を要求した春那家を憎むかのような眼差しを向けてくる。
あの多額の報酬を支払うために、親や親戚に泣きついたようだと、そんな話も聞こえてきた。
考えてみれば、病院で医師に病状を診てもらうだけでもお金はかかる。そこに、さらに治療なり薬の処方なりで、またお金が発生する。
となれば、徹の命を救った乃彩が、彼らからお金をもらってもおかしな話ではないのだ。もしかして、彼らは無料で命を救ってもらえると、そう思っていたのだろうか。
治癒能力だって使えば、乃彩の霊力は消費されていく。使い過ぎれば、肉体的に疲労を覚えるし、下手すれば寝込むことだってある。さらに、枯渇状態にまで陥れば霊力の回復もできずに死んでしまうことだってある。
自分の命と引き換えに他人の命とを救うなんて馬鹿馬鹿しい。
そう思っても、それらは決して茉依には言えない。彼女の憎悪の炎を、余計に燃え上がらせるだけだから。
乃彩さえ我慢すれば、すべては丸く収まるのだ。
「見た目と違って、遊んでいるらしいね……」
「男好きしそうな身体じゃん?」
「俺らも遊んでほしいな」
そんなふうに、乃彩の耳に届くクラスメートの言葉に変化があったのは、やはり徹と離婚してからだ。
乃彩の能力、ましてその能力が「家族」にしか使えないというのは口外してはならない事実。だから琳も、助けを必要とする人には、そうしないと命は助からないと、濁して伝えていただけのはず。
茉依に治癒能力を知られてしまったのは、失敗だったかもしれない。
徹を救うことに必死だった茉依は、琳の言葉に納得しつつも、能なしと呼ばれている乃彩にそういった治癒能力があることに驚いているようだった。
徹が回復するにつれ、感謝の言葉を口にしていた茉依だというのに、自分の都合が悪くなった途端、コロリと手のひらを返して乃彩の悪口をクラスメートに吹き込んだのだ。
乃彩が男好きだとか遊んでいるだとか、そういった下品な噂
でも、こんな彼らとも、あと一年我慢すれば離れることができる。だから何を言われようが気にしない。
何も感じないようにと、心に鎧をまとうのだ。