第一章:決意の種は王都の夜空に⑥
「なん、で……」
そう呟いた声がリィリアには自分の声ではないように聞こえた。あまりの光景に、受け入れることを脳が拒否している。
村の女たちはリィリアとシテナと同じように考えて、この塹壕に逃げ込んだのだろう。しかし、それを読み切っていた敵がここで待ち構えていて、彼女たちを蹂躙し、嬲り殺したのだと思われた。その推測の正しさを着衣の乱れた血まみれの女たちの屍が物語っている。
「リィリア! 逃げなさい! 村の外に逃げるのよ!」
そう叫ぶとシテナはリィリアの身体を突き飛ばす。「え、ちょっと、お母さん!」リィリアは地面に強かに身体を打ちつける。
リィリアが身体を起こすと、ルフナ国の紋章のついた鎧に身を包んだ二人の男にシテナの身体は組み敷かれていた。
びりり、と音を立ててシテナの服の襟元が乱暴に破られ、白い双丘が露わになる。男はシテナの柔肌に手を伸ばし、胸を、腰を、秘部をめちゃくちゃに弄んでいく。
もう一人の男はかちゃかちゃとベルトを外すと、自分のズボンを膝まで下ろしていく。リィリアの知らない男の局部が露出され、母の下の肌着が乱暴に剥ぎ取られる。これまで抽象的にしか理解していなかった、戦争における女の命運についての理解が唐突に克明になっていくのをリィリアは感じた。あまりの恐ろしさにリィリアは自分の身体を掻き抱いた。
「リィリア! 早く!」
悍ましいものを下腹部に押し当てられ、屈辱に顔を歪めながらもシテナはリィリアに早く逃げるように促す。
「ちっ、うるせえババアだな。萎える」
今まさにその行為を致そうとしていた男は舌打ちすると、槍をシテナの口へと突き入れた。
「うぐあっ……」
そうえずいたのを最後にシテナは絶命した。硬口蓋と上顎、脳を突き破り、槍の刃先が後頭部から顔を出している。
「いっ……いやっ……」
リィリアは喉の奥で引き攣った悲鳴を上げた。あまりにあっさりと人が死ぬのを短時間で見せられ続けて、感情がおかしくなってしまいそうだった。
「あーあ、楽しむ前に殺しやがって」
「別にこんなババア、生きてても死んでても同じだろ。文句があるならそっちのガキでヤっとけよ」
「俺、ガキは好みじゃねえんだよなあ。出るとこ出てないとそそらねえ」
シテナの屍を犯しながら、品性の欠片もない会話を交わし合って二人の男はげらげらと笑う。シテナの体をまさぐっていた男の手が自分の方に伸びてくると、リィリアはその手を思い切り払いのける。
自分の手元で響いたパンという乾いた擦過音に我に返ると、リィリアはその場を逃げ出した。
村の中には村人と敵兵が折り重なって倒れていた。むっとした臭いを放つ血の色が地面を、燃え盛る炎の色が大気を赤々と染め上げていた。
リィリアが見知った村の男たちは皆絶命していた。どうしてこんなことに、とでも言いたげな目は皆一様に虚空へと向けられ、命の光が失われていた。
物資の掠奪のために村の家を漁っては練り歩くルフナ兵たちに見つからないように、リィリは息を潜めながら逃げる。自分の鼓動の音がやけに大きく聞こえて、敵に見つかってしまうのではないかと不安だった。
髪や服、皮膚が焦げるのを感じながら、リィリアは必死で村を囲む外壁へと向かって走った。門はルフナ兵に押さえられているだろうから、それ以外の場所から逃げるほかない。
住み慣れた景色が炎に巻かれて灰へと変わっていく。日常を営んできた土壌に流れた血が染み込んでいく。人々の暮らしが営まれていた家々が、ルフナ兵たちによって壊されていく。
焼けた建物から漂ってくる煙が目に染みる。涙で滲む視界の端、リィリアは折り重なった死体の山の下に父親が着ていた服の布地を見た。
(ああ……お父さんも、殺されちゃったんだ……。お母さんも、ミュレも、村長さんも、みんなみんな、ルフナの人たちに殺されちゃった……)
今までリィリアにとって当たり前だったものたちはもうここにはない。人も、物も、景色も何一つとして昨日までと同じものなど残されていなかった。
村の隅にある燃え盛る礼拝堂まで来ると、リィリアは建物の裏手へと回った。秋風に煽られた熱気に喉が灼かれ、痛みと渇きを訴えた。
リィリアは石でできた外壁の隙間に指を立てると、体を持ち上げる。ジュッと音を立てて、指先が焼け爛れ、べろりと皮が剥ける。外壁に触れた手のひらには一瞬のうちに大きな白い水ぶくれができていた。
手の痛みにも構わずに、リィリアは外壁の上へとよじ登った。最後に見た炎煙に包まれた村の景色は普段の呑気さなど見る影もなく、リィリアは焦げと土で汚れた服の袖で目元を拭った。
熱風が焼けこげたリィリアの長い黒髪を靡かせる。リィリアは最後に村に一瞥をくれると、外壁の向こう側へと飛び降りた。
いつの間にか西の空が黄昏の色に染まっていた。その赤さは血や炎の色に似ていると思いながら、リィリアは村を背に足早に歩き出した。
◆◆◆
(もう……あんな思いはしたくないな)
リィリアはライラックの瞳を伏せた。このままでは、この王都でまた同じような思いをするかもしれない。誰かが、五年前の自分と同じような思いをするかもしれない。
五年前の自分は、ただ何もできずに逃げることしかできなかった。しかし、もし、自分の生まれ持ったこの力で、あのような未来を回避できるとしたらどうだろうか。
(戦場は怖いけど……わたしが行く意味はあるのかもしれない)
脳裏をよぎった思考に、リィリアははっとして顔を上げた。今のは紛れもない自分の本心だった。
(……決めた。わたしはあの人たちと一緒に行く)
リィリアは、机の引き出しから白の便箋と封筒、ペンとインクを取り出すと、椅子に腰掛けた。ペン先をブルーブラックのインクの壺に浸すと、机の上に広げた便箋へとペンを走らせ始めた。
形式張った時候の挨拶に始まり、リィリアは整った読みやすい文字で、先日の話を引き受け、従軍する旨を書き綴っていった。ペン先からは、自分の過去の経験と同じことを繰り返させたくないという決意と熱意が紡がれていく。
文末に結語を書き記すと、リィリアはペンを机に置いた。便箋を四つ折りにし、封筒に入れると、白い百合のあしらわれた封蝋で封筒を閉じた。
リィリアはペンとインクを机の引き出しにしまうと立ち上がった。この気持ちが冷めやらぬうちに、ディエスの訪問に先立って、明日の朝一番に王国軍の詰所へとこの手紙を届けに行こうとリィリアは思った。
従軍するとなれば、必要なものをまとめなくてはならない。それよりも先に自分の決意を叔父のフィーゴに話さねばならないと、リィリアは自分の部屋を出た。
机の上では彼女の門出を見守るように、夏咲きの赤いスイートピーがその背を見送っている。開けたままの窓からは既望の月の涼やかな光が差し込んできていた。