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第四章:幸せの理由は選ぶ枝の先に④

 昼食が済んだ後、基地の中を歩き回っていたリィリアは、練兵場の前で足を止めた。

 キン、キンと金属と金属がぶつかり合う音がひっきりなしに響いている。怪我をしないように刃引きの剣を使っているようだが、兵士たちの様子は真剣そのものだった。打ち合わせる剣技の一合一合に込められた気迫には息を呑むものがある。

 カーン、と高い音を立てて一人の兵士の得物が弾き飛ばされた。以前にルーヴァとの『具現化』(リアライゼーション)の実験の過程でリィリアが描いた剣によく似た模造刀がからんからんと音を立てて、彼女の足元近くまで転がってくる。

 やっべ、とひとりごちながら、オレンジ色の髪の青年がリィリアのほうへと近づいてくる。青年はリィリアの姿を認めると、茶褐色の双眸に意外とでも言いたげな色を浮かべた。

「リィリアさん、こんなところに珍しいですね」

 リィリアは記憶を探って、青年の名前を引っ張り出す。彼は確か、オーウェルとディエスに連れられて先日のあの場に駆けつけた一人であったはずだ。

「えっと……スティルズ准尉、ですよね? 先日の件のときに、救護所まで送っていただいた……」

 アドリックでいいですよ、と青年は笑った。

「アドリックさんたちは、いつもこんなに激しい訓練をしているんですか? 刃引きはされているみたいとはいえ、こんな実戦みたいな……」

 これですか、とアドリックは片眉を上げると、

「死にたくなければ訓練から死ぬ気でやれ、っていうのがモーフェルト大佐の方針なもので。軍人なんていつ死ぬかわからない職業とはいえ、俺たちだってなるべくなら死にたくないじゃないですか。だから、少しでも生き延びる確率を上げるためにも、こうやって日々、本気の訓練を積んでるってわけです」

「辛く、ないんですか……?」

 リィリアの口からそんな言葉が転がり出た。本気で己の職務に向き合っている人に対して失言だったと気づき、リィリアは両手で口を押さえる。

 いいですよ、とアドリックはリィリアの言葉に気を害したふうもなく言うと、ある提案をした。

「よかったらこの後、少し話しませんか。そろそろ今日の訓練終わるので。もしよければ、ティストルも一緒に。汗臭い上にむさ苦しくてあれなんですけど」

 ティストルってわかる、とアドリックは少し前まで剣を打ち交わしていた茶髪の青年を指で差し示した。彼もまたあの場にかけつけた一人で、リィリアのためにシェスカを呼びにいってくれた人のはずだった。ええ、とリィリアは躊躇いがちに頷くと、

「その……いいんですか? わたしなんかのために時間を割いてもらってしまって。ご迷惑じゃあ……」

「大丈夫、迷惑じゃないですよ」

「それじゃあ……すみません、お言葉に甘えさせてください」

 リィリアはアドリックへと頭を下げる。それじゃあまた後で、と軽く手を振ると、アドリックは模造刀を拾い上げて去っていった。


 アドリックたちの訓練が終わると、武器庫がわりのテントの脇でリィリアは彼らと落ち合った。

 補給物資の入っていた空き箱を勧められ、いいのかなと思いながらもリィリアはそこに腰を下ろす。アドリックたちも近くの地面に足を崩して座り込んだ。

 テントの脇を吹き抜けていく初風は、からりとして涼しい。ついこの前までもくもくとした巨大な雲が浮かんでいた蒼穹には、いつの間にか白い小さな魚の群れが泳ぐようになっていた。

「よかった、テントから出てこられるようになったんですね」

 リィリアの顔を見ると、ティストルは開口一番にそう言った。

 彼の言う通り、あの件があってからしばらく、リィリアは食事もろくに取らずに塞ぎ込み、女性兵士用のテントの中に引きこもっていた。同じテントで寝起きしているシェスカたちが話しかけても、ろくに返事もしなかったくらいだ。

 幾日かが過ぎ、あの生々しさが少しずつ薄れ始め、どうにか普通の生活が送れるようになってきているのが今のリィリアだった。しかし、他部隊の彼らにまで自分の様子が知れてしまっているのは少し意外だった。どうしてそんなことを知っているのかとリィリアが問うと、

「リィリアさんはこの師団の有名人なんで。それに僕とアドリックの同期がそっちの補給部隊にいるから、その伝手でいろいろと」

 ティストルの言葉にアドリックはうんうんと頷くと、

「俺たちも殿下や大佐たちとあの場に立ち会った身として、リィリアさんがどうしてるかは気になってましたしね。あんな光景、普通の女の子には刺激が強過ぎますから」

 それで、とアドリックは本題を切り出した。

「リィリアさん、何だか悩んでいるように見えますけど、やっぱりあの日のこと関連なんですか?」

 そう聞かれて、はい、とリィリアは頷いた。

「わたし……あの日、自分の能力で人を殺しちゃったんです。ウィザル帝国の斥候の人を。殺されそうになったことも怖かったけれど、そのことがとても恐ろしくて。

 お二人は普段、戦場に立って、ウィザルの兵士と戦ってると思いますけど、怖くないんですか? 殺されることも、殺すことも。辛いって、苦しいって思ったりしないんですか? 逃げ出したくなったり、しないんですか?」

 怖いですよ、とティストルは言った。

「僕は戦場に立つようになって、二年が経ちますけど、それでも怖いです。初めて人を殺したとき、僕は吐きましたし、アドリックだって同じようなもんでしたよ」

 バラすなよ、とアドリックはティストルを軽くこづくと、

「それでも俺たちが逃げないのは守りたいものがあるからです。俺もティストルもこの国が好きです。この国に住む人たちが安心して暮らすために、ましてやリィリアさんのような普通の女の子が殺されたり戦場に立たなくていいように、俺たちは戦っているんです。

 死にたくないと思うのも、人を殺したくないと思うのも、人間として当然の感情です。だけど、俺たちには誇りがあるから、戦場からも日々の厳しい訓練からも逃げずにいられるんです」

「誇り……」

 そうです、とティストルは頷くと、

「どうしても譲れないもの、とでも言い換えましょうか。きっと、リィリアさんにもあるんじゃないんですか。少なくとも、普通の暮らしを捨てて、この基地に来ようと思った理由が」

 理由。最初は、他の人が五年前の自分と同じような思いをしなくて済むようになるのなら、と思って自分は従軍を決意したのではなかったか。しかし、ここに来て、自分の力が人を傷つけうるものであることを知ってからも、自分はまだ戦場に立つということの真の意味を理解していなかった。

 現実を突きつけられてしまった今、自分がここに居続けるための理由はまだ見えない。しかし、二人と話したことで、忘れていた大切なことを思い出せたような気がした。

「わたし、お二人のおかげで大事なことを思い出せた気がします。まだ、これから自分がどうするかは決められそうにないですけど……もう少し考えてみようと思います」

「そっか。僕たちの話が少しでも参考になったならよかった」

 それじゃあ僕たちはそろそろ行くね、とティストルとアドリックは立ち上がる。

「お話、聞かせてくれてありがとうございました」

 リィリアは二人へと礼を述べた。大したことじゃないですよ、と二人は笑うとその場を後にした。

 他の人にももう少し話を聞いてみよう。そう決めると、リィリアは木箱の上から降りて歩き出す。

 秋旻を泳ぐ雲の魚たちは大きさを増し、羊の群れへと姿を変えていた。


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