第一章:決意の種は王都の夜空に②
「ウェル様。先ほどの娘の手品、どう思われますか?」
リィリアが立ち去った後、ディエスはリエットの乗ったバケットに手を伸ばすふりをしながら、向かいに座るウェルへと話しかけた。ウェルは薄紅色のワインの香りを優雅に嗅覚で味わいながら、
「そうだね。私は素晴らしいと思ったよ」
「そういうことではなく……」
ディエスははあ、と溜息をついた。ウェルはワインを一口口に含み、「ん……」口の中で転がして堪能すると、
「まあ、ディエスの言う通り、十中八九あれは手品などではないだろうね」
「はい。こうして間近で確認しましたが、タネなど存在しないように見えました。それに、ウェル様はお気づきですか? あの娘の手が微かに光っていたことに」
「ああ。彼女の手によって、一時的とはいえ、カードの中の蝶が実体を持ったように私には見えた。なんというか……かの女神フリティラリアの御業をこの目で見てしまったのかと思ったよ」
「建国神話の、ですか。言い得て妙ではありますが、おそらくあの娘にはそこまでの力はないでしょう。先ほどの蝶も、あの娘がいなくなったときには消えていましたし」
「消えた?」
ウェルは驚いたように目の前のディエスを見た。
「どこかに飛んでいってしまったわけではないのか?」
いえ、とディエスは首を横に振ると、ウェルの言葉を否定する。
「俺は、あの蝶が金色の粒子となって消えていくのをこの目で見ました。いなくなったのではなく、消えたのです。理由はわかりませんが、あの娘の力には何か制限があるのでしょう」
ウェルはワイングラスをテーブルの上に置くと、指を組む。穏やかで人の良さそうな顔がどこか険しい。
「そこまで予想がついていて、君はどうするつもりだ、ディエス」
「俺の意見は変わりません。此度の戦、我が国はこのままではジリ貧です。あの娘の力を上手いこと軍事転用できれば、ウィザル帝国側の意表を突くこともできるのではないかと」
「……具体的な策があって言っているのだろうね?」
それは、とディエスは気まずげに灰色の目を伏せる。
「具体的な点はまだ。どのみち、彼女の力の持つ可能性については、ルーヴァ辺りにでも詳しいことを調べさせなければ、何とも言えません。それに、そういったことを考えるのは俺のような一介の将ではなく、総司令官殿の仕事では?」
苦々しげにウェルは溜息をつく。彼は皿の上に放射状に広げて置いていたフォークとナイフを揃えて置き直すと、
「話にならない。そのような状態で、ただの一般人である彼女を巻き込むべきではないだろう。私は反対だ」
「しかし……」
「この話はこれで終わりだ」
なおも言い募ろうとするディエスの言葉を遮り、少し強引にウェルは話を終わらせた。ウェルは軍服のポケットから金貨を取り出すと、テーブルの隅に置き、席を立つ。
「帰ろう、ディエス」
「……承知しました」
ウェルに促されて、ディエスも席を立った。ディエスはウェルの後について、出口へ向かってテーブルの間を歩きながら、店の中で忙しそうに立ち働く少女へと視線を向ける。ディエスはウェルとこの国のために、どうしても彼女を諦める気になれなかった。
「ありがとうございました。またお越しくださいませ」
マスターらしき中年の男の声が背後から追いかけてくる。がちゃり、と銀のスプーンを模したドア飾りのついたドアが閉まると、店の中の喧騒からディエスの聴覚は切り離された。
幾望の月が南東の空の高い位置に達しかけている。おそらくはこの酒場の閉店時間も間もなくだろう。
「ディエス? どうかしたのか?」
少し先を歩いていたウェルが、ディエスがついてきていないことに気づいて訝しむように振り返った。
「何でもありません。今行きます、ウェル様」
リィリアのことを諦めきれないことを押し隠し、ディエスはウェルの背を追って素知らぬ顔で歩き始めた。
月明かりを浴びて、ドア飾りの二本の匙が清らかで控えめな輝きを放っていた。