第四章:幸せの理由は選ぶ枝の先に①
ウィザル帝国の斥候の男を『具現化』の力によってリィリアが殺めてしまってからしばらくが経った。絵の獅子を『具現化』したときの詳細な話をルーヴァが執拗に聞きたがっていたが、シェスカが睨みを効かせることで彼をリィリアに近づかせないようにしていた。
斥候が入り込んだ件の唯一の当事者であるリィリアに、オーウェルやディエスも話を聞きたがっていた。リィリアが女性兵士用のテントの中に引きこもっている間に、リィリアこそがウィザル兵を手引きした内通者なのではないかと彼女の存在を疑問視する声も一部では上がり始めていた。そういった心無い疑惑を払拭し、身の潔白を証明するためにも自らあのときのことを証言するべきだったが、リィリアはどうしてもそれができずにいた。
ほんの少しずつ、あの夜の衝撃が薄れ始め、どうにかテントの外に出られるようになったリィリアは、朝の配給の時間の後、ぼんやりとしながら食器を洗っていた。ちょっと来て、とシェスカは心ここにあらずといったふうのリィリアを半ば強引に連れ出すと、普段寝起きしているテントの中へと引っ張っていった。
「リィリア。このままじゃよくないよ。あのとき、何があったのか、ちょっとでも話せないかな?」
リィリアに何かあったらしいというのは、補給部隊の面々も、一緒のテントで起居する衛生部隊の女性陣も知ってはいた。しかし誰一人として詳しいことを知らない以上、リィリアは腫れ物に触れるかのように遠巻きに接されていた。
「言いたくないけれど、リィリアがウィザルの内通者だったんじゃないかって声も出てきているし、あたしだってあの日、リィリアが何であんな場所にいたのかわからない以上、今のままじゃ庇ってあげるのだって限界がある。
リィリアは一応、あたしの部下だからね。上官としてはできるだけ守ってあげたい。だから……話してくれないかな? あの日の夜、何があったのか」
シェスカはリィリアをまっすぐに見据えた。明るい萌黄の双眸からは、可能な限りリィリアの事情を汲もうとする慈悲が感じられた。
「あの……わたし、上手く言えるかわからないんですけど……思い出すのも怖くて、言葉にしようとするとこんがらがってしまって」
「大丈夫。それでもいいよ。ルーヴァは……どうでもいいとしても、オーウェル様もディエスもリィリアが話してくれるのを待ってる」
「オーウェル様が……?」
リィリアが聞き返すと、そうだよとシェスカは頷いた。
「御自ら、リィリアを救護所まで運ばれたこともあって、リィリアのことをひどく心配していてね。あたしと顔を合わせる度に、リィリアの調子はどうか、リィリアはどうしてるかって聞いてくる始末だよ」
「そうなんですか……」
オーウェルにそんなにも心配をかけているのかと思うと、何だか申し訳ないとリィリアは思った。
あのときのことを思い出すと今でも恐ろしい。それでも、自分が話すことでオーウェルに心配をかけ続けている現状を変えることができるのなら話そうと思った。これ以上、彼に心配も迷惑も掛け続けたくはない。
「わたし……話します。皆さんの前で」
そう口にした自分の言葉尻が震えるのをリィリアは感じた。わかった、とシェスカは頷くと、
「朝の軍議の後に、この前の関係者だけが内々に集まる場を設けるね。知った顔だけのほうがリィリアも少しは話しやすいでしょ?」
「はい……ありがとうございます」
「それじゃあ、頑張ろうね。あたしも応援しているから」
シェスカはリィリアの軍服の肩をぽんと叩くと、それじゃあ行ってくるね、とテントを出ていった。その背を見送るリィリアの紫の瞳には、怯えの色の中にわずかに意志の光が宿り始めていた。