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第一章:決意の種は王都の夜空に①

「――タネも仕掛けもございません」

 手品の決まり文句を述べながら、リィリアは目の前の客の男へと赤いアマリリスの描かれたカードを手渡した。ほう、と男は封筒ほどの大きさのカードに視線を落とす。男の連れらしい女も食事の手を止め、カードを覗き込んでいる。

「それではよく見ていてくださいね。今からカードの中の花が、お客様の手の中に現れます」

 いち、に、さん、と右手の指を立ててリィリアはカウントを刻む。彼女の左手が淡い金色の光を帯びるが、店内で揺れるシャンデリアの光に紛れて、二人の客は気づいた様子はない。

 リィリアが左手でそっとカードに触れると、一瞬カードが金色に光った。はらりと男の手からカードが滑り落ち、代わりにカードに描かれていた一輪の花が現れる。

「おお……!」

「わあ……!」

 男女二人の客は小さく歓声を上げる。リィリアは床に落ちたカードを拾い上げると、

「その花――アマリリスの花言葉は『輝くほどの美しさ』です。よろしければ、お連れ様に差し上げてくださいね」

「あ、ああ……」

 リィリアに勧められるまま、男性客は連れの女性へとアマリリスの花を渡してやる。花を受け取った女性はもう、と照れたような顔をしていたが、満更でもなさそうだった。

 男はリィリアに向き直ると、ポケットから銀貨を取り出して、

「ありがとう。面白いものを見せてもらったよ」

 恐縮です、とリィリアは男から銀貨を受け取ると、

「ありがとうございました。お食事やお飲み物のご注文についても承っておりますので、何かあればお声がけくださいね」

 黒いスカートの裾をつまみ、軽く礼をすると、リィリアはその場を後にした。

 リィリアが働いているのは、ゼレンディア王国の王都ゼランにある酒場《銀匙亭》である。五年前、十二歳のときに両親と死別した彼女は、母方の叔父で、この銀匙亭のマスターであるフィーゴを頼って南方のティリス村から王都へと移り住んでいた。

 酒の匂いと喧騒に包まれた店の中にさりげなく目を配りながら、リィリアはテーブルの間を歩いていく。顔を真っ赤にした中年の男性客からビールの追加の注文を受けたリィリアは、ついでに動線上の席から空いた料理の皿を回収して、マスターのいるカウンターへと戻っていった。

「マスター、ビールの追加をお願い」

 口元に髭を蓄えた壮年の銀髪の男性へとリィリアが声をかけると、ああ、と彼――この店のマスターにしてリィリアの叔父であるフィーゴは頷いた。桶からよく冷えたビールの瓶を取り出すと彼はカウンターにそれを置いた。フィーゴはクリームチーズとハムが挟まれたサンドウィッチの皿をビールと一緒にリィリアのほうへと押しやりながら、

「それをついでに持っていってくれ。窓際の席のお客様のところだ。あと、奥の席の二人連れのお客様から”手品”のご注文があったぞ。軍人さんのようだから、粗相のないようにな」

「わかったわ」

 慣れたふうにビールと皿を持つと、リィリアはカウンターのそばを離れた。ちらりと店の奥のほうへと視線をやると、うなじで緩く結わえた亜麻色の髪に透き通るようなアイスブルーの目の青年と、彼と同じくらいの年齢に見える茶褐色の髪に灰色の目の愛想に欠ける面差しの青年がワインの入ったグラスを手に談笑しているのが目に入った。仕立てのいい軍服を身に纏っていることから、二人ともおそらくは年齢の割には高い地位にある軍人なのだろうと思われた。

 この店に地位が低い末端の兵士たちが訪れることは多いが、士官が来るとは珍しいこともあるものだと思いながら、リィリアは目の前の仕事に意識を引き戻す。ビールとサンドウィッチをそれぞれのテーブルに運んでいき、酔っ払って絡んできた客を適当にあしらうと、リィリアは自分の”手品”を所望したという軍人二人組のテーブルへと足を向けた。

「お待たせいたしました」

 リィリアは軍人たちのテーブルの前へ立つと、黒地のスカートの裾を広げて一礼した。黒いカマーベストのポケットから青い蝶が描かれたカードを取り出すと、リィリアは手前にいた茶褐色の髪の青年へと渡した。茶褐色の髪の青年は、何か仕掛けが施されているとでも思っているのか、カードを矯めつ眇めつ眺めている。カードを具に観察する灰の双眸は険しく鋭く、リィリアはやりにくさを感じた。

「ディエス。そんなことをしていたら、彼女がやりづらいだろう? 私は彼女の手品を純粋に楽しみたい」

 ディエスと呼ばれた茶褐色の髪の青年は、奥に座っていた亜麻色の髪の青年に嗜められ小さく頭を下げる。

「申し訳ありません、ウェル様」

 続けてディエスはリィリアに視線をやると、すまない、と非礼を詫びた。

「とんでもありません」

 リィリアは首を小さく横に振る。どうやら奥に座っているウェル様というのはこのディエスという男の上官かなにかのようだ、とリィリアは一瞬のうちに二人の力関係を理解した。そして、リィリアは仕切り直すようにこほん、と小さく咳払いをすると、

「さて、お客様がお持ちになっているこちらのカード。このカードにはタネも仕掛けもございません」

 リィリアはいつものお決まりの述べ口上を口にしながら、ディエスの持つカードに左手を翳した。不審な点がないか探るように、ディエスの灰色の視線がちらちらとリィリアの手元を撫でていく。纏わりついてくる視線をリィリアは少し気持ち悪く思ったが、客商売に慣れた彼女はそれを表情に出しはしない。変な客は極力相手にせず、さっさと仕事を済ませてしまうに限る。

「これからそのカードから蝶が出てきます。よく見ていてくださいね。――いち、に、さん」

 嫌な緊張感に数の分だけ伸ばした右手の指先が震えた。左手にまとわりついた光の粒子が小刻みに揺れる。早くこの場から逃げたい、と内心で思いながら、リィリアはディエスの持ったカードに触れる。

 カードが金色の光を帯び、リィリアの指の間をふわりと軽い感触がすり抜けていった。

「……いかがでしたでしょうか」

 そう言ったリィリアの視界では、青いアゲハチョウがひらひらと舞っていた。上へ下へとでたらめに飛び回る、危なっかしくも美しい蝶の舞を目にしたウェルは品の良い顔に興味深そうな表情を浮かべ、感嘆の声を漏らしている。

「……ふむ」

 対するディエスは片眉を微かに上げはしたものの、表情を変えることなく、真っ白になったカードと頭上を舞う蝶を見比べている。

「いいものを見せてもらったよ。素敵な手品だった」

 育ちがいいのか、貴公子然とした穏やかで柔らかい笑みを浮かべながら、ウェルは今しがたの手品についての感想をリィリアへ伝えてくる。カードに不審な点を見つけられなかったらしいディエスが舐めるような不躾な視線をぶつけてくるのを嫌だなと思いながらも、リィリアはありがとうございますとウェルに微笑み返す。

「ディエス、駄目だろう? 女性をそんなふうに見ては失礼だ」

 ディエスがリィリアに向ける視線に気づいたらしく、ウェルが彼を咎める。申し訳ない、とウェルはディエスの代わりにリィリアに頭を下げながら、

「私の部下が失礼をした。後できっちり言い聞かせておくので、私に免じて許していただけないだろうか」

「は、はあ……」

 ウェルの真摯な態度にリィリアは毒気を抜かれた。リィリアがぽかんとしていると、ウェルは軍服のポケットから金貨を何枚か取り出し、彼女の手に握らせた。

 リィリアが手のひらを開くと、金貨が五枚も乗っていた。驚愕のあまり、リィリアは思わず声を上げた。

「えっ……こんなにいただけません!」

 リィリアは金貨をウェルに返そうとした。しかし、ウェルはリィリアをやんわりと押し留めると、

「素敵な手品を見せてもらったんだから、その対価は必要だ。それにこれはディエスがあなたに嫌な思いをさせたことに対するお詫びも含まれている。どうか、気にせず受け取ってくれると嬉しいな」

 言い返す言葉を見つけられずに、う、とリィリアは言葉を詰まらせた。それでもリィリアはこれだけの金額を受け取る気になれなくて、そっと金貨をウェルの手へと押し戻した。

「お心遣いいただき恐縮です。それでも、こんなに受け取るわけにはいきません。申し訳ありません」

 それでは失礼いたします、とリィリアは早口に会話を切り上げる。黒いスカートの裾を摘み、片膝を折ると、リィリアは踵を返した。

 ウェルたちのテーブルの上を舞っていたはずの青い蝶はいつの間にか姿を消していた。

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