鬼の歌
五条は椅子に座り、タバコを吸いながら、話す。
「いくつかの伝説の中で、この洞窟ができた頃、鬼が住み始めたと言う話があるの」
五条は五郎坂の顔を見ながら言う。
「そこのイケメンさん。鬼ってどうやって増えると思う?」
「えっ? 話によって違いますけど、人に血を与えて鬼にして増やすのでは?」
五条は五郎坂にタバコの煙を吹きかけるようにしてから、笑った。
「漫画の見過ぎよ。それ」
また深く煙を吸い込むと、吐き出しながら、言う。
「鬼はね。人間と子作りして増えるのよ。ハーフにはならない。遺伝子が強いから、成長すると完全な鬼になるの」
五郎坂が笑う。
「いや、鬼とエッチしないでしょ。見れば分かるし」
「分からないのよ。特に人間の男は見かけで騙されるから、すぐにエッチしちゃう」
「それが何なの?」
玲が怒ったようにそう言った。
「鬼にヤキモチやくのかしら? 話は、昔々、まだこの外の村があまり発展していなかった頃のこと。鬼退治の侍に追いかけられ、逃げてきた鬼がいた。この洞窟を見つけ、いち早く中を確認した。洞窟の中の水はとても質が良く、鬼の怪我を治してくれた」
ムッとしたまま、玲は五条を見つめる。
五郎坂は宗二が投資しないようなら、こっちの女に投資話を持ちかけようかと権謀術数が頭の中に渦巻き始めた。
五条は五郎坂の視線をどう感じたのか、口元が緩んだ。
「ただ、まだ近くに鬼退治の侍がいる。この洞窟の外に出たら見つかってしまう。鬼は考えた。侍に負けないよう、味方を増やせばいいと」
「だから鬼とわかって、そんな行為しないでしょ」
「坊やが一番騙されるに決まってる。あんた、この娘と出来てるでしょ」
「な、何を」
玲は宗二に聞かれていないか確認した。
「そんな関係じゃありません」
「メガネの人がいないんだから、言ったって大丈夫でしょ」
「本当に玲とは何も関係ないですよ。仕事上のパートナーである以外は」
五条は声を出して笑った。
「まあいいわ。こういう娘に騙されるような男は、昔からいたの」
「失礼ですよ」
「だってそうじゃない。あなたそんなに美人じゃないけど、メイクは上手よ。それは認めてあげる。私は女だから、メイク落とした後の顔がどんなか想像に難くない」
五条はタバコを口にする。
「話を戻すと、住み着いた鬼は人を誘き寄せる為、歌を歌った」
五条はその場で声をあげると、声はホールに反響した。
「こんな感じね。歌は洞窟の効果があって、人を幻惑させるような効果があった。そしてその不思議な歌は、村まで届いた」
五郎坂は五条を『じっとり』というか『ねっとり』と見つめている。
「男には女性の声に、女の人には、男の声に聞こえた。この声を聞いてしまったものは、次第にこの洞窟に近づいていった」
五条はタバコをもみ消すと、水川に水を要求した。
水川が建物に戻っていく。
「ある男は、歌の心地よさにフラフラと洞窟の入り口にやってきた。少し中に踏み入れると、洞窟の中は暗く見えなかった。ふと振り返ると、満月の光を浴びた美しい女性が立っている」
『あれは君の声?』
男は、女に話しかけた。
女は何も言わず、頷いた。
『よかったら、もう一度聞かせてくれないか』
男が言うと女は、横をすり抜けて洞窟の方へ入っていく。
『外で歌うのは恥ずかしいのです。どうぞ中にお入りくださいまし』
男が暗くて躊躇していると、女性の周りは不思議と明るくなっている。
『足元に気をつけてください』
男はフラフラと女についていった。
女の周囲は明るいのだが、離れると暗くなってしまう。
男は既に、どんな道で進んだのか、どう帰ればいいのか分からなくなっていた。
『歌を聞かせてくれ』
男が耐えきれずにそう言うと、女は振り返った。
『洞窟は歩き辛くてお疲れになったでしょう』
そこには布団が敷かれていて、女は正座して膝枕をするという。
男は言われるままに横になった。
『歌を』
女の膝枕に頭を預け、既に男は心地よくなっていた。
そこで女は囁くように歌い始める。
子守唄だが、子供を寝かしつけるための歌ではない。
情動を揺さぶり、気持ちが高まるものだった。声は小さく、静かにもかかわらず、とても寝てはいられない。男は興奮していた。
いつの間にか、男と女は着物を脱ぎ、絡み合っていた。
突き上げてくる気持ちが治まった時、男は女の体の大きさに気づいた。
『確かに今、あなたの子供を身籠りました』
変なことを言う。男はそう思った。
眠い目を擦りながら、男はもう一度、女性の姿を見た。
『!』
白かった女性の肌が、青く変色いていく。
人間ではない肌に、大きな体格。そして筋肉のつき方が尋常ではない。
全体のシルエットが変化しきった時、女の頭に角が出ているのに気づいた。
牛のような二本の角。
鬼。
それ以外の何者でもなかった。
『助けて!』
『大丈夫です。逃がしませんから』
男はあっという間に腕を取られ、身動きができなくなった。
『お腹の子供ために、栄養のある食べ物が必要なんです』
大きな口が開き、牙から唾液が滴った。
腕を振り回そうとしても、びくともしない。
男は次の声をあげる間も無く、鬼に食い殺された。
五条栄子は、話し終わると、ゆっくりと足を組み替えた。
「食い殺されたの、五郎坂さんの祖先じゃないの?」
「失礼な」
それを聞いて五条は笑った。
「私はどっちかというと鬼の子孫かな。男をたぶらかしちゃう方」
「どれもこれも作り話なんだから、真剣に聞くだけ無駄よ」
玲がそう言うと、水川シェフが首を横に振る。
「では、このホテルが立つ前のお話をしましょう。この洞窟の外のホテルの話です。川のこちら側にホテルが建つ前は、集落があったんです」
水川はいつもの通り、真面目な顔のまま話を始める。
今ホテルがある周辺には、戦後、川の魚を取ったり、山の猪などを取ったり、売ったり生計を立てる家がいくつか集まり、村を作っていた。
少ないながらも水田や畑もあり、食糧の少ない時期だったため、ここを離れるものもなく近くに学校もつくられた。
戦後が終わり、国が豊かになってくるとこの魚を売ったり、猪を取ったりする仕事は次第に廃れていった。
百人からいた村人が、半分、さらに半分と減って、三十人弱になった頃だった。
村に流行り病のものが出た。
一人、また一人と床に伏せていく。
死にはしないものの、回復もしない。
ラジオやテレビという情報がろくになく、どうすれば病気が良くなるのか、村の人々は分からない。
さまざまな伝説や伝承の中から、村人がこの洞窟の水というものに行き着く。
最初は洞窟の奥の水を飲ませると、一時的に具合が良くなったという話しが広まった。
本当か嘘か、その水にご利益があるとわかると、村人が洞窟に頻繁に出入りするようになる。
「プラセボ効果ってやつですよね。良くなるからこれ飲んでみ、とその言葉を信じて飲むと何の効果もない薬なのに効果が出てしまうというやつだ」
五郎坂が言うと、五条はまた足を組み替えながら言った。
「イケメンなだけじゃなく、知識もあるのね。見直しちゃった」
玲が五郎坂の視線に気づくと言う。
「おばさんの足ばっかり見てんじゃないの」
「おばさんとは何よ」
「おばさんでしょうが!」
その時、通路から雪見乃と宗二が戻ってくる。
五条は、宗二たちに言う。
「あらあら、カップルのお帰りね。どちらにいらしてたのかしら?」
雪見乃は小さい体をより小さくすくめて言った。
「ちょっと怖くなったので、おトイレに付き合ってもらってました」
「女子じゃなく男の人を連れていくなんて、変わった方ね」
意地悪くそう言う五条に、宗二が軽く反論する。
「どのみち同性だって個室の中までは入れないじゃないですか。なら、同性だろうが異性だろうが、大して変わりませんよ」
五条は、清水玲と雪見乃朱莉を順番にみて言った。
「こっちの娘とそっちの小娘、どっちを落としたいの?」
宗二は慌てて割り込んだ。
「……そんなことより、何を話されていたんですか?」
「シェフ自らこの洞窟の噂を話していたとこよ」
五条がニヤニヤしながら水川の方に手を向けた。
「あれ、さっきも話してましたよね? この洞窟で遺伝子異常の子供が生まれたとか何とか」
「それもあるんですが、今はもう一つの三十二人殺しの件を」
「……」
宗二は呆れた顔で水川を見つめたが、そんなことは全く気にする様子はなく、話を再開した。
やがて水を汲むのが大変になった村人は、病人を洞窟に運び込んでしまった。
飲むだけでなく、体を拭くための水としても使い、病人は洞窟に暮らし始めた。
だが、水は気持ちの問題であって本当に治癒している訳ではない。
病人の看護のため、洞窟に通っているうちまた別の人が病に罹る。
ただでさえ人が少ないのに、次第に村の人間は洞窟に移動していく。
当時の村長は科学的知識もなく、どうしていいかわからないまま、ノイローゼになってしまう。
村長は病人を焼くことで病気を焼き払おうと考えた。
洞窟に油を流して火を放つ。
炎に焼かれて死ぬ者、苦しくて何とか洞窟から這い出てきたものは鋤で叩かれ、撲殺された。
残っていた村の家にも『病人と関わった』と言いながら油を撒き、焼き殺してしまう。
ついに村長も自分の撒いた油と炎にまかれて生きたまま燃え死んでしまった。
「それで誰もいなくなった村の土地を、現ホテルの社長が丸ごと買い上げたそうです」
宗二が言う。
「水川シェフ。そんな事情を知って買ったのなら、ホテルのイメージダダ下がりですけど」
「何年も経っていたので、社長はこの経緯は知りませんでした」
「……いや、もう遅いですよ」
宗二は指で押し上げ、メガネを直した。
「作り話だとしても、です。大量殺人があったという噂の場所に建てたホテルに、わざわざ泊まりたいと言うのはよっぽど物好きな人ですよ。あ、ちなみに、僕は好きですけど」
水川は黙って歩いていき、蝋燭の火を一つ消した。
「みなさん、本当に百物語やるつもりですか」
宗二が周りを見回すと頷くでもなく、否定する訳でもなかった。
『お待たせしましたスタジオから小川宏です』