百物語
宗二は右手を軽く上げて五郎坂に言う。
「そういえば、この洞窟の奥はどうなってたんですか? 詳しく聞かせてください。僕はそこが脱出の鍵になるような気がしています」
「えっ……」
中々話し始めない五郎坂に玲が言った。
「もしそっちから出る方が簡単だったら、自衛隊に正面の出入口じゃなくて、奥に回ってもらった方がいいってことよ」
「ここから先にいくと、いくつかの分岐があります。どの穴もそっちの通路のような大きさはありません。いくつかの分岐はそのまま行き止まりです。一つの分岐の先に風が吹いてくる穴が見えるのですが、横穴です。どれくらい上に土があるのかが全く予想がつかないんです」
「横穴か」
宗二がそういうと玲が訊いた。
「何か気になることでも?」
「たて穴なら、人を通す為に退ける土砂は少ないけど、横に空いている場合はその上にどれだけ土砂があるかわからない。上の土砂が落ちてくるようなら、トンネルを掘るような技術で掘り進まなければならない。多分、縦に開いている方が多分簡単だった」
「と言うことはしばらくここで暮らさなきゃならない」
玲が暗い顔を見せた。
「そうだね。幸い空間は広いから息苦しくて死ぬことはないだろう」
五郎坂が何か思い出したように手を合わせた。
「そうですよ。しばらくここにいる分には問題ありません。昔から、この洞窟には人が住んでいたらしいですから」
「へぇ、何か知っているの」
玲が言うと、五郎坂が調子に乗ってきた。
「知ってますよ。この洞窟って、昔映画であった怖い映画の元になった場所らしくて。結構撮影でも使われたって。だから中で人が暮らせるのは実証済みです」
「何その映画」
「外のホテルのあたりにあった村に落武者がやってきて、村人は最初匿うんだけど、だんだん追手が迫ってきて村人が寝返るんだね。首を切られてしまった侍が七代先まで呪ってやるって言ったとか。それが怖くなって村ではその遺体を手厚く葬って、八つ墓明神として敬ったとか」
雪見乃がティーカップを持って立ち上がり、宗二たちのテーブル近くに座った。
玲は五郎坂の話に洞窟が出てこないことに気づいた。
「結局、この洞窟と何が関係するの」
「その映画の中でこの鍾乳洞が出てくるんだ。三十二人殺しの殺人鬼が消えた洞窟であり、八つ墓明神の祟りとして繰り広げられる殺人の遺体が出た現場でもある」
「人が生きている話じゃないじゃない」
玲は自分自身を抱きしめるように手を回した。
「何日も洞窟内にいたように描かれているから、大丈夫なんだと思うけど」
「ああ、それ横溝正史の小説だよね。残念ながら僕は読んだことがないんだけど」
雪見乃が身を乗り出して、訊いてくる。
「映画とか、小説の話ですよね。ここでそんなことがあったわけではないんですよね」
五郎坂は答える。
「もちろんそうだけど」
「いいえ」
その声に全員が振り返った。
コックコートを着た水川シェフだった。
「『いいえ』って、水川さんは小説や映画の上の話じゃない、そう言いたいんですか?」
「横溝正史も、三十二人殺し自体は現実の事件を元にしています。また、八つ墓明神の伝説とは違いますが、この洞窟に落武者が住み着いた話は残っているそうです」
雪見乃が自らの耳を押さえてから悲鳴を上げた。
「雪見乃さん。よく映画やドラマで、女性がそうやって耳を押さえてから悲鳴をあげるシーンをみて、それってどうなの? って思ってたんだけど、本当にそう言う行動取るんだね…… 自分はうるさくない状況にしてから周りに音波攻撃するのは良くないよ」
「ごめんなさい。クセになってて」
「この洞窟に住み着いた落武者と村の娘の間に子ができて、この洞窟で育った。だが落武者だった男は村の人間を信用せず、洞窟の外に出なかった。村人は洞窟に住んでいる侍のことを忘れかけた頃、洞窟近くで奇妙な人影が目につくようになったそうです。闇の中で蛍のように白く肌が光ったとか、猫のように瞳孔が縦だったとか、奇妙な噂が囁かれた」
玲と同じように、雪見乃も自分の体を抱きしめるように手を回した。
「……どうやら、それは洞窟の中で近親相姦を続けた結果だったようです。遺伝子異常が発生したのでしょう」
宗二が感想を言う。
「アルビノを『蛍のように光った』と表現するのはまだしも、瞳孔が縦だったと言うのは行き過ぎかな」
五郎坂が言う。
「水川さんが、こう言う話が好き、ってちょっと印象が変わったんですけど」
「いえ、好きではないですが、私は聞いた話を正確に覚えているだけです」
まさか信じているのではないか、と宗二は思った。水川は真面目な人に違いない。だから作り話だ、と明確に言わないものは真実だと思って記憶してしまうのかもしれない。
「そういえば、私も一つ知っています」
自身の二の腕を擦りながら、雪見乃が話し始める。
「私、本当に突然ここにくることになったんですが」
宗二が手を上げて止めにかかる。
「ちょっと、そこから話しする?」
「じゃあそこは省略して、ここにくるって知って、この洞窟のこと調べたんです。そしたらネットの掲示板でこんなのを見つけました」
宗二がため息をつくが、雪見乃は話を続けた。
「この洞窟は、昔、大蛇が住んでいたらしいんです」
宗二だけはソッポを向いていた。
「本当にただ山に横穴が開いているだけで、人は勝手な想像をいくつもするんだねぇ」
「黙って」
水川シェフが宗二の肩に手を置いてそう言った。
「……」
「大蛇は暖かくなると出てきて動き回る。蛇を怖がる猪や、鹿が村に降りてきてしまう。村の人間は考えあぐねた結果、大蛇に生贄を捧げて洞窟に留まってもらうようになった。それが何年も続いて、村は繁栄した。しかし、ある年、自分の許嫁が生贄に決まった男が、その習わしに納得がいかなかった。許嫁の着物を身に付け、女装した男が代わりに生贄として運ばれる。男は近づいてくる大蛇の腹を切り裂こうとしました」
宗二は腕を組んだまま目を閉じて眠りかけていた。
「しかし!」
宗二の肩がピクリと動いた。
「抵抗する間もなく男は大蛇に丸呑みされてしまいました。大蛇の本当の大きさを理解していなかったのでしょう。しかし、腹の中で体が溶けていく中、男は身につけていた刀を取り出し、暴れました。大蛇の骨にあたり、切り進まない刃を引き抜き、刀を刺し、抜きと、何度か繰り返していると、骨のない腹側に突き抜けました。大蛇の腹の中を走り、再生できないほど切り裂くと、男はようやく大蛇の外に出ることが出来ました」
雪見乃は周りの様子を見ながら、紅茶を少し口に含む。
「これで解決…… とはいきませんでした。大蛇の消化液で顔は爛れ、肉も溶け始めていました。男は洞窟の外に出ることは叶わず、そこで息絶えました」
玲は肘を曲げ、脇を閉じた格好で小さくつぶやく。
「そんなのかわいそう……」
「村の男が洞窟に入っていくと、大蛇の死を確認しました。しかし、男の死体は見つかりませんでした。次の年から、生娘の生贄の風習は無くなったのですが」
「ですが?」
「村では未婚の女性が子供を産むようになりました。不思議に思った村人が、夏の夜、フラフラと歩いていく村の娘を追いかけていくとこの洞窟に入って行きます。そして数ヶ月後、その娘の妊娠がわかります」
「……」
雪見乃は頬を赤くした。
「ちょっと詳しい描写は省きますが、大蛇を倒した男は死んだのですが洞窟の奥で女を孕ませていたと言う話です。それから洞窟の入り口には立派な門が作られたと言う話しです」
「あなたたち、五月蝿いわね。変な放送が終わって『さあ』寝ようと思ったのに、寝れないじゃない」
その声は通路に立っている五条のものだった。
「そんなに響きますか?」
「あなたたちの部屋と違って、私の部屋はそこなのよ。部屋変えてもらおうかしら」
五条は上を指差した。
全員がホールの天井を見上げる。
鍾乳洞の大きな空洞の中、高い位置に突き出た箇所があって天井が光っている。
「あそこがお部屋なんですか?」
「一番いい部屋だって言うから、あそこにしたのにウルサイばっかりで」
宗二は部屋のあたりを見上げる。
あそこから眼下に広がる鍾乳洞を眺めたらさぞ気分がいいだろう。
「私もこの洞窟の話、知ってるわよ」
シェフが椅子を引くと、そこに五条は座った。
「五条さんまで」
「ここで話したら一本蝋燭消すんでしょ」
「五条さん、別に僕たち『百物語』をしていた訳では……」
五条は周りを見回し、言った。
「少し明かりを落とした方が雰囲気出るんだけど」
「かしこまりました」
シェフがホール内の建物に入ると、明かりが順番に消えていく。
「宗二さん、あの私」
雪見乃は宗二の肩に手を置き、続きを話した。
「一緒に来てもらえますか。怖くて」
「ええ」
宗二がそう言って立ち上がると、水川シェフが建物から火をつけた蝋燭と、火のついてない蝋燭を何本か手に持ってやってきた。
「話しわかるじゃない」
五条はニヤリと笑って話し始めた。
雪見乃と宗二は明かりがついたままの通路へ消えていった。