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シェフの水川は思ったより客の動揺や混乱が少なくて安心していた。
水川は洞窟内の一番大きい部分に立てられている建物の中に腰掛け、休憩している。
その外にはテーブルと椅子が七セットほどあり、その一つには雪見乃が腰掛けて紅茶を飲んでいた。
この洞窟内にはドリンク用のサーバーはなく、その紅茶は水川が淹れたものだった。
他の座席には誰もおらず、雪見乃は一人洞窟内を眺めながら紅茶を楽しんでいた。
そのホールに向かって、通路から清水玲と神奈鶴宗二が入ってきた。
宗二は雪見乃と目が合うと訊いた。
「雪見乃さん…… それは?」
「紅茶ですわ」
「そうじゃなくて、ここで飲めるのかな?」
宗二は周りを見回すが、ホールには他に誰もいない。
「ええ」
雪見乃は建物の方を見た。
「ああ、あれか」
と言って、宗二は建物の方に歩きながら、玲に声をかけた。
「玲さんは何か飲みますか?」
「何があるんでしょう」
宗二の方に歩いてこようとした玲を手で制した。
「玲さんはそこに座っていてください」
宗二は建物のドアについている呼び鈴を鳴らした。
「はい」
水川シェフが扉から出てきた。
「何か飲み物をいただきたいのですが、何がありますか」
「コーヒー、紅茶、ココアぐらいならお出しできます」
「アイスも?」
一瞬何か考えているようだったが、水川は頷いた。
「玲さん、コーヒー、紅茶、ココアがあるそうです。どれにしますか?」
「食べ物は何かありますか?」
「食べ物は」
水川は指で四角の形を描いた。
「タマゴ、ハム、ツナマヨ程度のサンドイッチなら作れます」
「じゃあ、サンドイッチとコーヒーを」
「コーヒーはホットですか?」
玲は頷いた。
宗二がそれを見て言う。
「彼女はそれで、僕はアイスのココアを頂こうかな」
「承知いたしました。しばらくお待ちを」
水川が建物に入ると、宗二は玲の座っているテーブルに着いた。
「宗二さん、それより投資のお話ですが」
「うん。それを話そうと思ってわざわざこのホテルの部屋を取ったわけだから。僕も優先的にそのことを考えているよ」
組んだ腕の左手で顎に触れ、宗二はそう言った。
玲は軽く頭を下げながら、言う。
「幸い有線ですが電話はかけれるので、ご決断いただければすぐにでも連絡します」
「まあ、投資してもここから生きて出られなければ、資産が増えたって何の意味もないんだけど」
宗二は、明らかに冗談を言っていますと言う雰囲気を醸し出していた。
「で、出られますよ。さっきあの人もそう言っていたじゃないですか」
「けど、僕は出られる目処が立つまで、じっくり検討していいかなと思ってる」
「待っているとチャンスを逃してしまいます」
玲には、宗二のメガネが光ったように思えた。
「いや、それは話が違う。この投資は、他の誰かが思いつかない方法だと。だから確実に利益が確保できる、そういう話だったはずだけど」
「ですが、お誘いしているのは宗二様だけではございませんので」
「そうなの?」
宗二は腕を組んだまま、玲の顔を覗き込むように顔を傾けた。
「たくさんの人を誘っているならそれこそダメな気がするなぁ。ねぇ、本当にここに書いてある利益確保できるの?」
「……」
玲の表情がこわばった。
と、雪見乃が何かを見つけたように立ち上がった。
「あら!?」
宗二と玲も、雪見乃の視線を追った。
「五郎坂くんだ」
雪見乃は奥の鍾乳洞からホール側に出てきた五郎坂に言う。
「どちらに行かれていたんですか?」
「ああ、暇つぶしに本当にこっちから出れないのか見てきた」
「ホテル側の話だと人が出れるような穴はないって」
五郎坂は頷いた。
「奥はいっぱい分岐があって全部は見切れなかったけど、主だったところは、どこも同じだった。光は差しているんだけどとても人が通れるものじゃない」
「……そうでしたか」
雪見乃は落胆したように椅子に腰掛けた。
宗二は言う。
「やっぱり出れないようなら投資の話はストップかな」
玲は拳を握りしめて力説する。
「出れますよ、絶対」
宗二は五郎坂に問う。
「出れる穴はなかったんだよね?」
「ええ」
「ちょっと失礼」
そう言うと玲は席を立って、五郎坂を連れホールにある建物の影に入った。
「なんでそう言う言い方するのよ。もう少し考えてよ」
五郎坂は玲の視線を外して言う。
「……けど事実だから」
「私達、投資の話を持ちかけているのよ。投資は未来の利益を産むためのもの。出れてお金を使えるようにならないと思ったら、投資してお金を増やそうなんて思わない」
「確かに生きて出れないなら金がいくらあっても意味はないな。俺たちだってそうだろ」
「だから!」
そう叫んだ玲は拳を握り込んでいた。
五郎坂は抑えるかのように手を広げて玲に向けると言った。
「わかった、わかってるよ」
ホールに放送がかかった。
ホテル内ラジオと言う名目の、館内放送。
『またお会いしました、小川宏です。今日はここで入りましたニュースをお送りします』
雪見乃と宗二が目を合わせた。
『洞窟ホテルの出入口が土砂崩れで生き埋めになった事故で、県は洞窟ホテルとその周辺の地域に入るための橋の倒壊を確認したと発表しました』
「長期化するってこと?」
「これはいよいよ投資なんて考えてる場合じゃないな」
「けどこの奥からは出れないって、五郎坂さんが」
宗二は組んだ腕の左手を外して、顎に触れる。
『これにより、県は広域災害として国に支援要請を行いました。これを受け国は自衛隊の災害派遣を指示しました』
「自衛隊がくるにしても橋が倒壊しているわけだから、橋を迂回していたら相当時間が」
スピーカーから物音が流れてくる。
『何これ、俺もまずいじゃん。コンビニは橋のこっち側だっけ?』
小川は音を切るのを忘れているらしい。
それより何より、橋の倒壊についてよく理解していないのだろうか。
『あ、まずいまずい、橋の向こう側だよ。水はいいとして食べるもの……』
小さい音がして、何も聞こえなくなった。
宗二は雪見乃に見えるように指で上を示し、額に手を当てた。
「この人は大丈夫か?」
「小川さん、自分の置かれた状況がよく分からなかったようですね」
宗二はため息をついた。
「この前の状況だとホテルの社長もいた感じだけど、社長もこっちの地域に閉じ込められたのかな」
「どうでしょう? 声の感じだけだったから本当にこの場にいたのかまではわかりませんよね」
ホールの建物から声が響いた。
「漣!? サンドイッチと飲み物を運んで」
その後、しばらく何も声がしなくなったと思うと、ドアが開いてホテルのスタッフがトレイを持って出てきた。
トレイの上にはサンドイッチとコーヒー、アイスのココアが乗っている。
宗二は手を上げると、スタッフは軽く会釈をした。
ゆっくり、慎重にトレイを運びながらやってくる。
雪見乃に言う。
「彼、漣さんじゃないよね」
意味がわからず、雪見乃は愛想笑いで返した。
すると宗二が表情を変えて雪見乃の方を指さした。
雪見乃は振り返る。
五郎坂が来たのと同じ、洞窟の先から漣が歩いてきた。
表情はどことなく暗く思える。
宗二が呼びかける。
「漣さん」
「!」
「シェフがお呼びでしたよ」
漣は宗二の視線を微妙にずらしてから頭を下げ、建物の方に小走りに移動した。
漣は建物に近づくと何かに気づいたらしく、口を隠すように手を当てた。
「玲さん、サンドイッチとコーヒー来ましたよ」
清水と五郎坂が宗二のテーブルにやってきた。
ほぼ同時にホテルのスタッフが宗二のテーブルにやってきた。
そして慎重にテーブルの上に注文したモノを置いていく。
宗二は声をかけた。
「ありがとう」
スタッフは会釈をするだけで、声を出さない。さっきもそうだった、と宗二は考えた。
返っていくスタッフに注意していると、漣が慌てて建物から出てきて、今配って返って行ったスタッフと何かやりとりしている。
宗二は二人のやりとりを見て手話だと推測した。彼は耳が不自由なのだ。
「宗二さん、美味しいですよ、このサンドイッチ。どうですか」
「じゃあ、一つ頂こうかな」
「さっき放送で自衛隊が出動するって言ってたじゃないですか。だからきっと県だけでやるよりずっと早く救助が来ますよ。それにここには食べ物もいっぱいあるって言ってたし」
投資に気持ちが乗ってくるように、未来に不安がないと納得させようとしていた。
その玲の言葉に、五郎坂が乗っかって言った。
「そうそう、ですから投資の件を……」
玲は五郎坂に肘鉄をくらわせた。