ホテル内ラジオ
宗二と呼ばれていたメガネの青年と、頭一つ、二つ背の低い雪見乃は洞窟ホテルの通路を歩いていた。
ホテルのスタッフ、漣が追ってきた。
「待ってください。出入口付近は危険ですので、私が同行します」
宗二が立ち止まって、右側のメガネのツルを指で押し上げた。
「記憶の通りだとすると出入口はかなり大きかった印象ですが」
「そうです。細かい状況はわからないのですが、あの大きな出入口が塞がっている状況です」
再び歩き出すと、前を向いたまま宗二は言った。
「状況が分からないのに、危険だという判断なのですか?」
「外部と連絡をした上で、そう判断しました。専門家の見立てが必要で、正確な判断がつくまでは近寄るなということです」
雪見乃が言う。
「私の推測ですが、ここにくるまでの川沿いの道や橋、それらを合わせた地理的状況から、専門家がやってきてここを確認するまでには、相当な時間がかかりそうです。果たして七十二時間以内に救出作業の開始ができるのでしょうか」
「ここ、そんなに田舎だったかなぁ」
「宗二さんが車を運転なさっていたのに、通ってきた道を覚えていないのですか?」
首を傾げる。
「考え事をしていたせいかな」
「投資のことですか」
「まぁ、そんなところです」
歩いていると、漣が立ち止まり、手を横に開いた。
「うわ、本当だ」
「綺麗に塞がっていますわね」
細かい石や砂が、通路の方に伸びてきている。
大きな岩が重なり合って、出入り口を完全に塞いでいた。
立ち入り禁止のロープに近づき、宗二は見上げながら言う。
「工事したってこんなに綺麗に塞がらないよ」
雪見乃はスタッフに訊ねる。
「この土砂の下敷きになった人はいなかったのですか?」
「外の従業員により、確認をとっている段階です。が、この土砂崩れを見ていた運送業者の方曰く誰も下敷きにはなっていなかったということです」
「さっきホールにいた運送会社のツナギを着た人? これが落ちてくるところ、目撃したんだ。その人が一番この土砂の下敷きになる可能性があったってことだね」
宗二は髭を生やした小太りの男を思い出していた。
「怖かったと言っていました」
「これは宿泊者全員で取り掛かっても出られないね。重機がくるまでまった方がいい。納得したよ」
戻ろうとする宗二。雪見乃は漣にさらに訊ねる。
「そもそもこのホテルの安全性に関して、重大な問題があったのでは」
「すみません。その問いにたいして、私はお答えできません」
漣は深く頭を下げた。
宗二は雪見乃を見つめる。
雪見乃はそれを感じて、口を開く。
「あなたを責めても仕方ありませんし、訴訟などの前にまず、ここから助かることが先決ですね」
「さざなみさんでしたか。シェフが言っていたように食事は十分あるんですね」
「ええ、それは私も確認しました」
「なら良かった」
宗二を先頭にして、三人はホールへと歩き始めた。
宗二たちがホールに戻ってくると、スピーカーから声がした。
『音楽のリクエストを受け付けるよ。各部屋の内線電話からゼロゼロイチニイサンで、このスタジオに電話してね』
ホールに集まっていたスタッフや客はいなくなっていた。
「何この放送」
漣は首を傾げながらも、答えた。
「これは確か、ラジオです」
「ラジオ?」
部屋の内線電話からリクエストを受け付けると言っている。ラジオなのにホテルの内線が繋がると思えない。宗二はそんなことを考えていた。
「ラジオと言っても、ホテルの中にしか流していない有線の放送です」
「まあ、素敵。お部屋でも聞けるのかしら」
「聞こうと思えば聞けますが」
漣の言い方を聞いて宗二は笑った。
「あまり人気はない…… と言ったとこかな」
「けど、確かこの人、すごい人なんですよ」
『リクエスト受付する間、まずは今日の一曲目はこの曲……』
曲が始まった。
曲の音に負けないよう、大きな声で漣が言う。
「テレビでサイコロの旅をしていた人です」
宗二も大きな声で答える。
「ごめん、僕はよく知らない」
「ああ、この声。私知ってます。名前は確か……」
しばらく待っても名前が出てこない。
「えっと……」
答えられない状況を見て、漣が言おうとすると、雪見乃が止める。
「待って!」
「じゃ、ヒントを。初めは『お』で始まります」
「お…… お、お?」
雪見乃が宗二の顔を見る。
宗二は首を横に振った。
「だから僕は知らないって」
「次のヒント、最後は『し』で終わります」
雪見乃は顎に指を当て、瞼を伏せた。
「分かった、思い出した。小川宏!」
「正解です!」
漣は一人で拍手をして祝福した。
「かなり有名な方ですよね」
「そうです。ギャラも高いし、プライドも高いんですが、何しろ聞いてくれる人がいなくて」
宗二はまた笑った。
「……ホテルとしては解雇したいけどなかなかできないってところかな。投資にもそう言う面があってね。赤字が出始めると、その損した分を取り返そうとしてさらに抜け出せなくなって、酷い目にあうという」
「本人には言わないでくださいね。ただ…… スタッフの間ではそう言う噂に」
ホール内に立っている建物から大きな声が聞こえてきた。
「今すぐ放送をやめなさい」
さっきの女性シェフ、水川の声だった。
漣は建物の扉を開けた。
水川は有線の固定電話を使って、誰かと話している。
「今洞窟内のお客様は出入口が塞がって不安になってるんです。こんな放送をしたらホテル側の態度がふざけていると思われてしまいます」
受話器から小さい声が部屋の中に響く。
『出入口が塞がっているからこそ、明るい話題や音楽をかけるべきなんだ! 俺はやめないぞ! やめるもんか』
どうやら外でこの放送をしている小川宏と話しているようだ。
「いいから止めないと、社長にあなたの解雇を進言します」
淡々と言う言い方はホールで宿泊客にこの事態を説明した時と同じように冷静だった。
宗二はその様子を見ながら思った。
このシェフの人は冷静だからあの言い方だったんじゃない。冷静風な言い方しか出来ないのだ。きっと感情の表現が他人と少し違うのだ。
水川は、電話機の先にいる小川を責めてたてていた。
ホールの放送は音楽が終わってしまい、静まり返った。
まだ電話のやりとりは続く。
「……社長と話をした? そんな嘘をついても無駄ですよ」
一瞬の間があき、水川は机に寄りかかっていた体を離し、背筋を正した。
「しゃ、社長」
電話の向こうにいる人物が変わったのだ。
すると水川の言葉は「はい」を繰り返すだけになった。
何度目かの「はい」が繰り返された後、静かに受話器を置いた。
水川は、漣や宗二、雪見乃に見られていることに気づいた。
「どうかなさいましたか?」
宗二が訊いた。
「放送は止められない、ということですかね」
「小川とホテルの契約上、決められた時間は、ホテル内に放送を流す必要があるようです。二十四時間、ぶっ続けに放送しても一週間は必要とのことで……」
水川がため息をつくと、雪見乃は否定するように手を開き横に振った。
「あ、私は、別に小川さん嫌いじゃないですよ」
「何もこんなタイミングでラジオ放送しなくてもいいですよね」
言葉は落ち込んでいるが、水川の表情や格好は落ち込んでいるようには思えない。
「ほら、皆さん洞窟の外に出れなくて、落ち込むかもしれませんから、明るいラジオ放送があればちょうどいいのでは?」
「雪見乃さんは優しいね」
ホールで放送が再開された。
『リスナーの皆さん。曲のリクエストはゼロ・ゼロ・イチ・ニイ・サンです。私が直接電話を受け取ります』
「あれ、もしかしたら、自分の声が放送されるのかしら」
雪見乃は水川に電話を借りていいか確認して、ゼロゼロイチニイサンにダイヤルした。
『早速リクエスト電話が来ました。もしもし』
『もしもし、小川さん?』
『そうです小川です。お名前かラジオネームを教えていただけますか?』
『えっと、石川の白ウサギと申します。私、小川さんのファンなんです』
建物の外、ホール側からも雪見乃の声が聞こえてくる。
『わ、本当に放送されてる』
『そうですよ、今洞窟ホテル全体に放送されてます』
『ラジオと電話するの初めてなんですよ! 感激です!』
宗二は既に興味を失い、ホテル従業員用のテーブルに手持ちの資料を置き、椅子に座っていた。
『石川の白ウサギさん、とても可愛らしい声ですね。お顔もさぞ可愛らしいことでしょう』
『まあ、そんな…… 事実ですけど』
『では、曲のリクエストをいただけますか?』
『歌っている方の名前は忘れてしまったのですが、フィールズライクヘブンをお願いします』
『私が曲も検索するのでちょっと待ってくださいね。リクエストありがとう。引き続き聞いてくださいね』
雪見乃がホールに出て待っていると、同名のホラー映画のテーマ曲がかかった。