お風呂
洞窟ホテルは、本来、洞窟の外のホテルと洞窟内を行ったり来たりすることを前提に作られている。
そのため、宿泊に必要な設備が一部欠落していた。
例えばトイレは各部屋にはなく、共同だった。宿泊客のお風呂については、洞窟の外のホテルの風呂を利用することになっている。
そもそも長居するための部屋ではないのだ。
しかし落石によって出入口が塞がり、行き来出来なくなってしまった。
閉じ込められている間については、宿泊客もホテルスタッフ用の簡易的なシャワー室を利用することになった。
女性が先に使って、最後に男性が入ることになった。
突然現れた川水はシャワーを使わないということで部屋に行ってしまった。
宇崎と宗二がホールのテーブルで、女性陣のシャワーの利用が終わるのを待っていた。
「……」
五条が一番先にシャワー室を使ったらしく、バスローブを来た状態で建物から出てきた。
宗二と宇崎を見て、五条栄子は言った。
「男二人で何やってんのよ」
宗二は宇崎に視線を送ったが、彼には聞こえていないことを思い出した。
「シャワー待ちですよ」
「部屋にいれば良いじゃない」
五条は髪をタオルで包んでアップにしていて、首元が綺麗に見えた。
「雪見乃さんが一緒に行こうって誘うので」
「可愛いからって甘やかしてると、付き合ってから大変よ」
「……そんな予定ありませんよ」
五条は笑った。
「私はそう思わないけど。じゃあ、おやすみなさい。早くここから出られると良いわね」
「全くその通りです。おやすみなさい」
状況を視覚で感じたのか、宇崎も五条に会釈した。
五条が通路に消えていくと、建物から雪見乃が出てきた。
「私が女性の最後になったから、出てきちゃった」
「結構時間がかかりそうだから、部屋戻ってようかな」
「私も部屋に戻らず、ここにいますから一緒にお話ししましょう」
宗二は言った。
「あんまり興味ないけど」
「もう少し待てば、玲さんが出てきますよ」
宗二は立ち上がりかけて、座り直した。
「ならここで待っていようかな」
「正直ですね」
宗二は笑った。
「雪見乃さん、もしかして、僕のために一番後になったとか?」
「本当にそう思います?」
宗二は首を横に振る。
そして笑う。
「大体予想がつくよ。女性間のパワーバランスから、自動的に五条さんが一番に入ることになって、客が使うのが先でしょって言って、玲さんが二番目になる。水川シェフは『私は一番最後でいいです』と言ったところを、雪見乃さんは僕と帰る義理があるから、なるべく体を冷やさないよう最後が良いと言って、順番を変えてもらった、そんな感じかな」
「すごいです。まさにその通り」
「……」
宗二は宇崎が見つめているのに気づいた。
なんだろう、と思って宗二はスマフォを操作する。
スマフォで『何か用事がありますか』と書いて、宇崎に見せた。
宇崎も自らのスマフォで同じように書いて返した。
『シャワーはお先にどうぞ。私は片付ける必要があるので』
宗二と雪見乃のやり取りがわかっていたのだろうか。そうすると話せないだけで耳は聞こえることになる。
宗二と宇崎のやりとりを見ていた雪見乃は、宇崎に背を向けて言った。
「聞こえてませんよ」
「雪見乃さん、なんで断言できるの。というか僕の思ったことがなんでわかったの」
言葉に出していないことを読み取れる能力があるのだとしたら、雪見乃さんの方が怖い。
「宗二さんの口の動きを見てわかったんだと思います。聴覚障害の方の中には、読唇術ではないですが、口の形で言葉を知ることができる人がいます」
「えっ……」
「試してみますか? 顔を向けないで話していれば大きな声でも内容は伝わりませんから」
雪見乃は笑った。
宗二は手を振って断った。
「やめとく」
宇崎も交えて、三人が話していると、洞窟内に立っている建物から清水玲が出てきた。
スウェットにカーディガンを引っ掛けた格好だった。
ほんのり紅潮した肌、アップにした髪、顕になったうなじを見て宗二は少し興奮気味に言った。
「玲さん」
「宗二様……」
「大丈夫? 落ち込んでない」
玲は視線だけを左の下に流すように動かした。
「……」
「ごめん、まだ話せる状態じゃないよね」
「すみません」
玲はそう言うと目を閉じて、真っ直ぐに頭を下げた。
そのまま、それ以上何も言わず、玲は通路へ去っていった。
「……」
宗二はそれをじっと見つめることしか出来なかった。
「五郎坂さんの死はショックでしょうね」
背を向けているソファーが視野の隅に入る。
「ああ。本来なら葬式とか、通夜とかをしてあげなきゃならないけど、他殺の線が濃厚だし、この状態じゃ遺体はどうしようもできないし」
「シャワーを浴びたばかりなのに、もう化粧してましたね。清水さん、中々本性を見せないタイプの人ですね」
それを聞いて宗二は驚いた顔をした。
「そんなわけないでしょ、今のはノーメイクだったでしょ?」
「いや、それは騙されちゃうわけですね」
雪見乃は宗二を指差して笑った。
「それとも化粧に気づかないふりをしている? それはそれである意味優しいのかもしれないけど」
「僕はマジで言ってるわけだけど。男は気づかないと思うよ」
雪見乃は宇崎に向かってスマフォで訊く。
『今の女性がノーメイクだったと思いますか?』
宇崎は軽く横に首を振った。
「ほらっ! やっぱり、男の人だって分かるじゃないですか。『ノーメイクを見せてほしい』とか『ノーメイクでも美しくあって欲しい』と言う邪な気持ちが、目を曇らせるんです」
「化粧してたかどうかに気付けないだけで、こんなに言われる?」
「フフフ。宗二さんはやっぱりからかいがいがありますね」
宗二はため息をついた。
「はぁ……」
次に建物から出てきたのは漣だった。
彼女には着替えがなかったようで、シャワーの後なのにホテルの制服を着ていた。
ただ、ベストは着ておらず、シャツもボタンを止めていない。下に着ている無地の白いTシャツが、体のラインをハッキリ見せていた。後ろで丁寧にまとめていた髪も、下ろしていて、雰囲気がまるで違う。表情や体のラインから漂う妖艶な雰囲気さえある。
「!」
宗二は漣を見て、感じるものがあった。
「宗二さん? ちょっと!?」
雪見乃は立ち上がって宗二の耳を引っ張って持ち上げた。
「イタタタ」
「宗二さんがセクハラ視線攻撃をするからですよ」
「耳を引っ張ることはないだろ」
「私もそろそろ順番なので行ってきますね」
「ああ、わかったよ」
漣が引き攣った顔で会釈をすると通路へと下がって行く。
「!」
今、宇崎が漣さんに向けて、なにか手話を送った。雪見乃に引っ張られて位置関係が変わっていた為、宇崎の手話がハッキリと見えなかった。
漣の引きつった顔は、宗二と雪見乃の様子を見てのものか、宇崎の手話を見てのものなのだろうか。
「ほらっ、そっち見ない!」
「痛い、痛い!」
漣の姿が見えなくなり、雪見乃も建物に入っていくと宇崎がスマフォで書いてきた。
『神奈鶴さん、雪見乃さんは恋人なんですか?』
宗二は笑ってから、ゆっくりと首を横に振る。
『違う。そんな関係じゃない。今日の朝、ヒッチハイクされて出会ったばかり』
『まるで何年も付き合った仲のように見えます』
『誤解だよ。僕はペッタンコは好きじゃない』
宇崎は笑った。
『趣味が合いますね』
宗二も笑いながら、宇崎の肩を軽く叩いた。