7話 「……女子は、なんだ?」
サイラス・アシュフィールドは公爵家の三男に生まれた。
年の離れた兄が二人。文武に優れた長兄と、武はそこまででもないが文に長けた次兄。
ならば自分は武に長ければバランスがよいと――幼いサイラスは考えた。
そしてそれは、本を読むよりも体が動かす方が好きなサイラスの性に合っていた。
幼少の頃から鍛錬に明け暮れていた彼に、女性との関わりはほとんどなかった。
母はサイラスを産んで間もなく亡くなり、サイラスの周りにいる女性といえば家で働く使用人ぐらいだった。
そんな彼のもとに婚約の話が舞い込んできたのは、八歳の頃。
初めて会う同年代の少女――シェリルに彼がまず抱いた感想は、弱そうだというものだった。
「あんな細い腕では、少し剣を振ったら折れるんじゃないか?」
「普通の令嬢は剣を振らないから大丈夫だよ」
いらない心配をするサイラスに、次兄が苦笑しながら言う。
「……だからね、彼女を守る剣になるのが君の役目だ。君が少し……いや、少々……だいぶ……まあ、鍛錬以外が苦手なのは、彼女が補ってくれるはずだよ」
アバークロン国では、爵位の継承は男子相続が基本となっているが、男子が生まれなかった家は長子相続が認められるので、女性にも継承権がある。だが有事の際に矢面に立つことはできない。
だから何か――たとえば領地で野盗が出た、魔物が出たとなれば夫が兵を率い、決闘裁判が開かれれば当主代理として剣を持つ。
領地と領民、そして家族を守るのがサイラスの役目なのだと、次兄は噛み砕いて説明した。
「わかった」
素直にうなずいたサイラスは、前にも増して鍛錬に励むようになった。
寝食以外の時間を鍛錬に費やすサイラスを見た長兄は、さすがにこれはまずいのではと首を捻り、鍛練に勤しんでいたサイラスに話しかけた。
「騎士を目指すのなら、体を鍛えるだけでもいいかもしれない。だけど君は侯爵家当主の夫になるのだから、表に出ることも多くなる。貴族社会というのは、少しでも隙を見せたら駄目な場所なんだ」
鍛錬に傾倒しているサイラスが聞く耳を持つように多少誇張しながら言ってから、助言を加えた。
一に、よく考えてから話すように。
二に、表情を引き締めておけばとりあえず真面目そうに見える。
三に、難しい言葉を使っておけばとりあえずかしこそうに見える。
サイラスは次兄の時と同じように「わかった」と素直に頷いた。
サイラスが十歳頃に、シェリルの母親が亡くなった。サイラスも母を失っているが、声すら覚えていない。母を恋しく思うことはあれど、悲しいと思ったことはなかった。
だからしょんぼりと肩を落とす彼女に、サイラスは頭を悩ませた。
サイラスにできるのは剣を振ることだけだ。跳ねたり走ったりもできるが、曲芸まがいのことで傷心中の彼女に寄り添えるとは、さすがのサイラスも考えなかった。
だから彼はただ黙って、シェリルに寄り添った。気の利いた台詞は浮かばず、同じ気持ちを共有できない自分では、下手な慰めや励ましになり逆効果だと考えたからだ。
そしてよりいっそう鍛錬に励んだ。今は役に立てないが、将来役に立てるはずだからと。
それから一年後、アンダーソン侯が後妻を迎え、シェリルに妹ができた。
月に一度顔を合わせるたび少しずつ静かになっていくシェリルに、疑問を抱いたことはある。母親が亡くなるまでは走ったり跳ねたりしていたのに、椅子の上に大人しく座り、ちょこんと首を傾げるだけになった。
だがこの時のサイラスは、女子は精神的に成熟するのが早いことを知っていた。
十一歳の娘を持つ父の客人が「あんなじゃじゃ馬娘だったのに、誕生日から淑女のように振る舞うようになって、自分をレディーだと言っているんですよ」と話しているのを聞いたからだ。
だから、こういうものなのだろうと結論付けた。
サイラスは幼い頃から素直で――そして細かいことを考えない性格をしていた。
だがそんなサイラスの考えは、シェリルの妹アリシアが話しかけてきたことにより、覆される。
「……姉さまはあまり明るい方ではないから……ちゃんと侯爵家を取り仕切れるのか不安なんです」
「……ふむ、そうか」
姉が心配だと語るアリシアに、サイラスは真剣な面もちで頷く。
「それに当主でも女主人なら社交も重要になりますし、姉さまの性格を考えると難しいんじゃないかって……」
「……ふむ、そうか」
「……あの、聞いてます?」
「ああ、聞いている」
もちろん、サイラスは真剣に聞いている。相談だからということもあるが、婚約者に関する話なのだから聞き流したりはしない。
真剣に聞いたうえで、ふむ、そうか、としか言っていないだけである。
「当主ともなると、自己主張も必要じゃないですか。だけど姉さまはあの通りで……やはり、次期当主の座は荷が重いのではないかな、と思うのです」
「……ふむ」
「それにサイラス様も……政略とはいえ、姉さまのような方が相手では気疲れしてしまうこともあるでしょうし……サイラス様ならもっとよい方と巡り会えるのではないか、と思うのです」
家族であり女子であるアリシアが心配して相談してくるのなら、シェリルが大人しくなったのは女子だからというわけではないのだと――ようやく理解した。
そして同時に悩んだ。
姉を心配するアリシアには「よし、わかった」と力強く頷いて解散し鍛錬場に赴いたのだが、いくら考えても解決方法が見いだせない。
同じ武術科生であれば話は簡単だ。剣で打ち合えば元気になる。だが人には向き不向きがあるのだと、かつてサイラスの友が言っていた。どう考えても、シェリルは剣を扱うのに向いてはいない。
ならばどうすればいいのか。
「……女子は、なんだ?」
「哲学?」
漏れ出たサイラスの呟きに、武術科一の洒落者と呼ばれている細身の青年ダニエルが、何を言っているんだとばかりに目を丸くする。
なるほど。これが哲学か、とサイラスは神妙な顔で頷いた。