18話 「復唱!」
「君がシェリルを守りたいと思うのは君の勝手だけど、シェリルが新しく婚約者に選んだ相手も同じことを考えるなんて思わないほうがいい」
むしろ、元婚約者が騎士になっているのを嫌う相手のほうが多いだろう。
だがサイラスはそれを考えに入れていない。シェリルのことで目の前がいっぱいで、そこまで考えが及んでいないのだと、アルフはため息を吐く代わりに、小さく息を吐いた。
「もしも新しい婚約者が君の解任を条件に出してきたらどうするつもり?」
「それは……」
揺らぐ青い瞳にこらえきれなかった溜息を落とす。
やはりそこまで考えていなかったのだろう。
アルフは昔、アシュフィールド領を訪ねるたびサイラスに連れ回され、毎回のように体調を崩していた。体が弱いというのがどういうことなのか、幼いサイラスは理解しなかったのだ。
本を読もうと言っても鍛錬や運動にしか誘わないサイラスに我慢ができなくなった。
子供なんてものは何よりも自分が優先だということを、今のアルフはわかっている。だがその当時は、アルフも子供だった。
たとえ付き合いのある相手でも、アシュフィールド公爵のほうが家格は上だ。その子供に不満をこれでもかとぶつけたのだから、大問題になってもおかしくはなかった。
だがアシュフィールド公爵はアルフの言動を許し、逆にサイラスをたしなめた。
「もしくは、相手が文武に長けている相手だったら? そうしたら君が騎士になる必要はないよね。……それならしかたないって引きさがれる」
それからいくらかしてから、サイラスから謝罪の手紙が届いた。
忠告を胸に刻み精進する、と子供なりの拙い文字と言葉が綴られていたそれに、アルフは頭を抱えた。
サイラスは考えの足りない部分はあるが、基本的に素直なのだ。ただキレただけの言葉を忠告と受け取る程度には。
「無理だよね。婚約者にふさわしくないって身を引こうとしてるのに、未練がましく騎士になろうとしてるんだから」
そんな素直な男が、身を引こうとしながらもシェリルのそばに自身の立ち位置を作ろうとしている。
どうしてそんな矛盾した行動を取るのか。考えられる理由など一つしかないだろう。
「彼女のことが好きなら、そう思える行動を取りなよ」
「す……いや、それは……」
みるみるうちに赤くなる顔と揺らいでいる瞳に、アルフは痛みそうになるこめかみを押さえた。
剣にしか興味のない男が鍛錬に身が入らなくなっているのだから、武術科生の間ではサイラスに春が訪れたと噂になっている。
だから、この程度のことでうろたえるとはアルフも考えていなかった。
「いや、なんで赤くなってるの。このぐらい誰かに言われたでしょ」
まさか、指摘されるたびに赤くなっているのかと心の中で頭を抱える。
それならなおのこと、彼女の新しい婚約者に名乗りを挙げる人物は少なくなる。元婚約者が思慕していると知りながら、心安らかでいられる人間はそういない。しかもその元婚約者が公爵家となればなおさらだ。
「……言われた、ことはない」
顔を赤くしながら言う姿に、アルフはほっと安堵の息を漏らした。
噂程度なら、自身の進退に悩んでいただけだとでも言ってごまかすことができるが、さすがにこの顔をごまかすのは無理だ。
二人の婚約がどう転ぶかわからないうちは、不安の種は少ないに越したことはないだろう。
「それならいいけど……。だから、えーと……君が選べるのは、騎士も婚約者も諦めて彼女から離れるか、それとも彼女のそばにいるために彼女の婚約者にふさわしくなれるように努力するかの二択だってことだよ」
彼女の騎士は、サイラスがシェリルに思慕していようといまいと関係なく、なれる可能性は低い。
余計な邪推を生まないようにと、アシュフィールド公もアンダーソン侯も避けるだろう。
「で、君が彼女のことを好きなら――」
「いや、だから、好きだとか、そういうのは」
またもや顔を赤くさせるサイラスに、アルフはめんどくせぇと叫びそうになるのを抑える。
剣にばかり没頭していた男だ。色恋沙汰にうといのはしかたないことなのかもしれない。だからといって、好きだと指摘されるたびに顔を赤くさせていては話にならない。
「君は彼女が好きなんだよ。まずそれを認めて、慣れよう」
「だから、俺は――」
サイラスの言葉を遮るように、アルフはぱしんと手を打つ。
「復唱!」
そしてアルフの大きな声にサイラスの顔が引き締まった。
「俺はシェリルが好きだ」
だが続いたアルフの言葉に、引き締まった顔がまたも赤くなる。もにょもにょと口だけ動かしている姿に、アルフは再度手を打ち「復唱」と続けた。
「お、おれは……シェリルが……」
「もっとはっきりと!」
「俺はシェリルが……好き、だ……」
「もう一度!」
アルフが教官よりも鬼教官と呼ばれているのは伊達ではない。限界ギリギリを攻めるやり方は、今この場でも発揮された。
何度も繰り返し言わされるうちに、サイラスも何がなんだかわからなくなってきたのだろう。
「俺は! シェリルが好きだ!」
顔を赤くさせながら大きな声で言ったその時、ガサリと草を踏む音が二人の耳に届いた。
「えっ」
そして続けて聞こえてきた小さな声に二人の顔が完全に固まる。
視線を巡らせると、困惑した顔のシェリルがそこに立っていた。