獣族!
「五人に林檎を六個ずつ配るには全部で何個の林檎が必要になる?」
「五人に六個だから五かける六になるにゃ。五かける六は……三十にゃ。林檎は三十個必要にゃ」
「正解。じゃあ七人に八個を配った場合は?」
「七かける八になるから五十六だにゃ!」
「正解。オーナーどうですか? かけ算はできるようになったぞ」
「正直に言うと驚いた。まさかあの莫迦猫が文字だけじゃなくて計算もできるようになるなんて。割り算はできるのか?」
「割り算は六割ほど理解している。割り切れない数値があるのが理解できていない」
「なるほど。割り算はそこまで必要ではないから今のままでも十分だ」
「あちきが本気になれば余裕だにゃ。弟なんかに負けないにゃ」
獣族のアーニャはそう言って胸を張った。この世界の言葉は多少の鉛や方言などはあるが、基本的に同じ言葉と文字の共通語が使われている。それなのに年上のアーニャは俺と会ったときは文字も数字も理解していなかった。なのにこの態度は少し癪に障るが、アーニャも頑張っていたからよしとしよう。
「それよりもアースは多芸だな。文字の読み書きや計算ができても他人に教えることができるかは別だろう?」
「幼馴染みや弟達に文字や計算は教えていたから慣れている」
「そうか。そこまで器量があるなら待遇のいいところに売れるように手配してやる」
「あちきも、あちきも。待遇がいいところがいいにゃ。三食昼寝付きのところに売って欲しいにゃ」
「お前は二束三文にならないようもっと努力しろ」
「何故にゃ。あちきはアースの姉貴分でアースよりも優秀だにゃ!」
「……」
オーナーはアーニャの戯れ言を無視して部屋を出て行ってしまった。きっと呆れている。普通に考えたら年下の子供に文字や計算を教わっているに優秀だと言い張るアーニャの方が変だ。だがアーニャ本人は自分が変だとは微塵も思っていないのか、オーナーに無視され御立腹だ。
「オーナーめ、あちきを無視するなんて何様のつもりにゃ。あちきは獣族の中でも優秀な部族を束ねる長の娘にゃ。いまにあちきの実力を思いしるときがくるにゃ」
アーニャは出会ったときと同じことを口にした。あのときも自己紹介で「あちきは獣族の中でも優秀な部族を束ねる長の娘にゃ。あちきと仲良くすればきっといいことがあるにゃ」と言っていた。始めて人族以外の人種を見たのでその言葉よりも容姿に驚いたことは今でもよく覚えている。
アーニャとの出会いはこの船の上でだった。西大陸で立ち寄る最後の港でアーニャが船に乗ってきた。アーニャも俺と同じく奴隷として売られていたところをオーナーに買われた。アーニャは俺よりも早くに買われていたが、船に乗るまでオーナーとは別行動をしていた。船に乗ってきたアーニャは奴隷なのに明るく俺を見つけるとすぐに自己紹介をしてきた。
「あちきの名前はアーニャにゃ」
「アーニャニャ?」
変な語尾と始めて見る獣族に俺は圧倒されながら俺はアーニャと出会った。燃えるような真っ赤な髪に猫のように見開いた金色の瞳。褐色の肌と口元から時折見える鋭い八重歯が印象的だった。
「違うにゃ。名前はアーニャだけで語尾のにゃは方言だにゃ」
「そ、そうですか。アーニャさんですね。僕の名前はアースといいます」
「アースの言葉はカタッ苦しいにゃ。口うるさい老人と一緒だにゃ。子供なんだからもっと気軽に話して欲しいにゃ」
「じゃあ、普通に話させて貰うよ」
「そっちの方がずっといいにゃ。ちなみにアースは歳はいつかだにゃ。あちきは十二歳にゃ」
「俺は八歳だよ」
「じゃあ、アースはあちきの弟にゃ。アースはあちきのことをお姉ちゃんとして敬うにゃ」
アーニャは自己紹介が終わると俺を軽々と持ち上げで船内を走り回った。好奇心が旺盛なのか、始めて見る船が気になるようで俺にいろいろと質問してきた。
「この船にはどうして布を張っているにゃ?」
「布は帆と言って風を受けるために備わっているんだ。帆で受けた風の力で船を進ませているんだ」
「風の力で進むなら水掻き用のオールはないのかにゃ?」
「それもあるけど普段は使わないみたいだよ。人力で船を動かすの大変だから緊急時に使用するだけみたい」
「じゃあ、あの支柱にいる人は何をしているにゃ?」
「見張りだよ。遠眼鏡で船の進路先を確認しているんだ」
アーニャの好奇心は尽きることがないのか、自分の知らない物を片っ端から聞いてきた。俺も全てを知っているわけではないので、判らないことは船員さんに聞いて回った。アーニャとの出会いはそんな感じでそれからずっと一緒にいる。寝るときも奴隷同士なので同じ部屋が割り当てられ、夜はお互いの身の上話をしていた。
「あちきは五人兄妹の末っ子だからずっと弟が欲しかったにゃ。だからアースが年下で嬉しいにゃ」
「アーニャは五人兄妹だったの? うちは四人兄妹だったよ。俺が長男で、次が四つ違いの次男。それと双子の妹達だ」
「うちは兄様が三人いて、その次に姉様で最後にあちきにゃ。上の兄様達とは歳が離れていたけど姉様とは一歳しか違わなかったにゃ。姉様は頭が良くて文字や計算が得意だにゃ。勿論戦うことにも長けていたにゃ。同年代で姉様に勝てる人はいなかったにゃ」
アーニャの話からすると獣族は武勇に優れている者は部族の中でも位が高く尊敬される存在らしい。族長は世襲制ではあるが弱い者は族長にはなれないほど獣族にとって武勇は大事だ。だから女性でありながら頭脳と武勇に優れているアーニャの姉は将来を期待されている。
ちなみにアーニャは武勇は平均以上だが頭があまりよろしくない。頭を使うことが嫌いで文字の読み書きや計算は全然できない。このままでは商品として問題がでるのでオーナーからの命令で俺がアーニャに文字の読み書きや計算を教えることになった。
「屈辱だにゃ。姉が弟から教わるなんて屈辱だにゃ」
「愚痴はいいから文字を覚えようよ。勉強の成果がなければご飯抜きになるよ」
「それは困るにゃ。焼いたお魚が食べられないのは辛いにゃ。でも、アースに教わるのは屈辱だにゃ」
「だったら時間があるときに武術の稽古をしてよ」
「武術? アースは何かの武術を習っていたのかにゃ」
「父さんから体術と剣術。母さんから魔術を習っていたよ」
「それはいいことを聞いたにゃ。あちきがアースを強くしてやるにゃ」
それから俺とアーニャは互いに勉学と武術を教え合うことになった。お昼前の時間はアーニャと船内で文字と計算の勉強をして、昼食を食べたら甲板で武術の訓練を行った。武術の訓練は主に組み手がメインだった。アーニャは徒手空拳が得意でしかも動きが猫のように俊敏だ。それに足場が不安定な甲板なのに自由に動き回る。
アーニャの戦闘スタイルは地面には足だけでなく手も付け、四足歩行で移動するのでトリッキーな動きをする。予想もできない角度から攻撃がくるので対応が難しい。一度船の支柱を数秒で登って上から攻撃をされたときは本当にヒヤッとした。
俊敏な動きと予想不可能な動きをするアーニャはまだ十二歳なのにこの船の中では誰よりも強い。船員の中で一番の腕自慢の人と腕試しをして勝ってしまったほどだ。
「あちきに勝てる人族は滅多にいないにゃ」
船員との腕試しで勝利したアーニャは誇らしそうに高笑いしているが俺はある疑問を抱いた。そんなに強いのにどうして奴隷になってしまったのか。俺みたいに人攫いにあってもアーニャほどの実力があれば切り抜けられる筈だ。俺はオーナーにそのことを尋ねると意外な返答が返ってきた。
「アーニャはあんなに強いのにどうして奴隷になったの?」
「アイツの部族の習わしで十二歳になると旅に出る必要がある。旅と言っても二十日ほど街を離れて周囲の村や集落を訪れる簡単な旅だ。だがアイツは街からでると全力で国境を越え、人族が暮らす国まで来てしまった。獣族が治める国と人族が治める国では秩序や法律、価値観が異なる。アーニャはそのことを知らなかったために詐欺にあったのさ」
「詐欺?」
「街をあるいていたときに人にぶつかって高価な壺を割ったらしい。普通ならそんなの言いがかりだと無視すればいいのに、アーニャは弁償すると言ってしまった」
「なんて古典的な詐欺にあって、しかも自分から非を認めるんだよ……」
「アーニャは壺の価値を知らなかったんだ。獣族にとって壺は生活の道具で、美術品として扱うことは滅多にない。アーニャは族長の娘だったが、他の獣族と同じでその辺の感覚が薄かった」
「たかが壺と思って侮ったのか……」
「そうだ。結局アーニャがその場で負担できる金額ではなかったから奴隷になってしまった。俺がたまたまその場に居合わせたから壺の代金は俺が立て替え、アーニャを引き取った」
「それならアーニャを国に帰せば謝礼を貰えるのでは?」
「あいつが自分の生まれ故郷をちゃんと覚えていると思うか? 獣族の国は広い。どこの出身か判らない獣族のために探し回るのは不可能だ。それに本人は部族の長の娘だと言っているが、小さな部族だったら支払われる謝礼は少ない可能性がある。そこまでしてアーニャの世話を焼くことはできない」
オーナーの言うことはもっともである。アーニャとの勉強中に世界地図を見せたときにアーニャは自分の生まれ故郷の場所を知らなかった。人族の国が獣族の西にあることは知っていたので全力で向かったようだ。まったく獣族らしい猪突猛進さである。
「海はいいにゃ。お魚がいっぱいいるからあちきはここに一生いたいにゃ」
アーニャは海を見ながらそんなことを呟いた。アーニャの住んでいたところでは魚は希少で滅多に食べられなかった。だから、毎日三食必ず魚がある船での生活はアーニャにとっても極楽ようだ。俺としては魚や干し野菜が飽きてきたのでそろそろ普通の食生活に戻りたかった。
「船に乗って半年以上も経つからそろそろ目的の東大陸に着く頃だよ。だから船との生活はもうすぐ終わるよ」
「ええ、それは残念だにゃ。もっとここにいたいにゃ」
「オーナーが許さないから無理だと思うよ」
「ううう、諦めるにゃ。でも、海がこんなにもいい所だとは知らなかったにゃ。もっと怖いところだと思っていたにゃ」
「怖いところ?」
「アースはお子様だから知らないかもしれないけど、創世記の伝承では海は神様達が作ったところであるけど同時に無秩序な場所でもあるにゃ」
「無秩序な場所?」
「神様はいろいろな生き物を創ったにゃ。人や動物は勿論山や川、そして海。神様は人々が幸せになれるように数多くの物を創ったけど、海には神様が危険と判断した生き物が多くいるにゃ。神様は人や他の生き物に害すると判断した生き物は全て海に住まわされたにゃ。勿論お魚のように無害な生き物もいるにゃ。それ故に無秩序な場所といわれているにゃ」
「危険な生き物って具体的には何?」
「いろいろいるけど一番危険なのは海魔リヴァイアサンだにゃ」
リヴァイアサン。前世の地球でもよく耳にした名前だな。いろいろな小説や映像作品に出てくる生き物で、その姿は作品によって異なるが俺が一番印象に残っている姿は大きな海蛇だ。
「海魔リヴァイアサン。どんな姿をしているのか」
「言い伝えでは人が判断できない姿と言われているにゃ」
「判断できない姿? どう言うことだ」
「判らないにゃ。あちきが知っているのは途轍もなく恐ろしい生き物だと言うことだけにゃ」
アーニャはそう言うとそれ以上はリヴァイアサンの話はしなくなった。俺としては興味があったが、何処か怯えているアーニャにそれ以上は問い詰めることはできなかった。
(でも、リヴァイアサンって名前の生物がいるなら、フェニックスやベヒーモス、バハムートもいるのかな?)
俺がそんなことを考えていたが、答えが見つかるわけもなく、いよいよ東大陸が船から見えてきた。
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