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不運からの最強男  作者: フクフク
魔術学校編
208/218

アーベル家の至宝_02


 革張りのソファの背もたれが、妙に硬く感じる。

 たぶん、緊張のせいだ。

 背中の力がうまく抜けないまま、小さく息を吸った。

 ここは、父上の執務室。

 どの部屋とも違う、緊張感を持って整えられた場所だ。

 俺は応接用のソファに腰を下ろしている。

 向かいには叔父がいて、主座には父上が、いつも通りの穏やかで厳しい気配をまとい、黒い剣を見つめていた。

 張り詰めた沈黙の中で、叔父が、ゆっくりと口を開いた。


「君からジークに接触した理由は、なんだい?」


 その問いは、俺に向けられたものではなかった。

 ゼレムが、沈黙を破る。


「無意識だ。我と同じ欠片を持つ者、『アーベル家の至宝』だったから、かもしれん」


 ああ、またそれか……。

『アーベル家の至宝』と俺が呼ばれる理由を、俺はまだ知らない。

 生まれた時からずっと、その名でささやかれてきた。

 家の中でも、外でも、みな一様に、それが俺だと認識していた。

 だから、俺のことを指しているのは分かっている。

 けれど、その意味を知らない。

 何度か尋ねたこともある。

 けれど、いつも、はぐらかされるだけだった。


 ──あの時、叔父に俺の秘密を告白したあと、父上にも、勇気を出して打ち明けようとした。

 その気配を感じ取ったように、父上は、先に静かにこう言った。


「ジークベルト、まだいい」


 拒むでも否定するでもなく、迷いごと、包み込むような、穏やかでまっすぐな響きだった。

 焦りも、不安も、言葉にしなくても伝わっていたんだと思う。

 そしてその時、もうひとつ言葉が添えられた。


「成人を迎えた時に、すべてを話そう」


 それが、父上との約束になった──。


 それなのに、ゼレムは今の俺をそう呼び、その意味まで、知っているようだ。

 保管庫で、俺が黒い剣に手を伸ばした理由さえ、あの選択が、初めから定められていたかのようだった。

 俺はゼレムを見た。


「ゼレムは、僕のことを知っていたの?」


 鍔の深紅が、ほんのりと脈打った。


「知らぬ……いや、知らぬとは言えぬ、か。すべてではない。我もまた、過去を持たぬ者のひとりだ」


 叔父が、わずかに目を細める。


「なるほどね。君は、彼とは別の人格なんだね?」


 ゼレムは、なにも答えなかった。

 ヴィリー叔父さんの言う、別の人格って、どういう意味なんだろう。

 ゼレムのような黒い剣が、他にもあるってことだろうか。


「兄さん」


 叔父が声をかけると、父上は、短く、けれど確かに、うなずいた。


「『アーベル家の至宝』とは、()()()()()()()()だと伝承されている」

「創造主……ですか?」

「突拍子のない話だよね。でも、それは、たしかに存在するんだ」


 叔父の赤い瞳に、影が差す。

 その深みは、底知れず、冷たい。触れてはいけないものが、そこに潜んでいるようだった。

 思わず、声が漏れる。


「ヴィリー叔父さん……?」


 その呼びかけに応えるように、叔父はゆっくりと瞬きをした。

 次の瞬間には、いつもの穏やかな顔に戻っていた。


「とまあ、今伝えられるのは、ここまでかな? ねえ、兄さん」

「そうだな」


 話が終わりかけるのを感じて、思わず前のめりになる。

 場の流れに置いていかれる前に、事実を知りたくて、言葉がこぼれた。


「待ってください。僕は、その魂の欠片を見たこともないし、受け継いでなんて、いません」


 鍔の真紅が、ふわりと脈打った。

 ゼレムの声が、低く響く。


「そなたの母が、そなたを宿した時に『アーベル家の至宝』は、受け継がれた」


 執務室の空気が、ぴたりと止まる。

 誰もが言葉を発することなく、ただその一言を深く、受け止めていた。

 ゼレムは、周囲の気配に気づいたのか、すぐに言葉を継いだ。


「これは、まだ語るべきではなかった、か」


 俺は息を呑む。

 それでも、言葉は止まらなかった。


「母上が、『アーベル家の至宝』だったことは、聞いています」


 沈黙のなかで、父上と叔父の視線が、わずかに揺れる。

 その動きに、説明されていないなにかを感じ取った。

 胸の奥に、違和が広がっていく。

 あの時、叔父が俺に語ったことは、嘘だったのか。

 そんな馬鹿げた疑念が、頭をよぎる。


「やはり、僕を宿したから、『アーベル家の至宝』が僕に移ったから……母上は、亡くなったんですか……? だから、ゲルトも、僕をっ」

「ちがう!」


 涙がこぼれる直前、父上の声が鋭く空気を断ち切った。

 拳が重厚な机を打ち、大きな音が響く。

 その衝撃に、言葉が止まった。


「ジークベルト、リアは、お前に救われたんだ」


 父上は拳を固く握ったまま、俺をまっすぐに見つめていた。


「ち、父上……」

「ゲルトは我々大人の責任なのだ。ジークベルトは、なにひとつ悪くはない」


 握られた拳が、わずかに震えていた。

 ゲルトの名を口にする直前、父上の瞳に痛みが走った気がする。

 それは、父上がずっと背負ってきた苦しみに見えた。


「それに、リアは……仮の至宝だっただけだ」

「仮至宝であっても、体に影響はない」


 ゼレムの声は、静かに添えるようだった。

 それは、俺に向けられた気遣いにも思えた。


「君は、どこまで知っている」


 叔父の声には、探るような鋭さがあった。

 ゼレムは答えず、ほんの一瞬だけ沈黙する。


「今、それを語るべき、か」


 その言葉の響きに、叔父の瞳が細く揺れた。

 ゼレムを見つめたまま、ゆっくりと口角を上げる。


「君にお願いがあるんだ」


 急に態度が変わった叔父を見て、ゼレムの言葉が、叔父のなにかを動かしたように思えた。


「なんだ」

「長年追っている事象があるんだ。どうしても、その糸口が見つからなくてね。君には……その調査に協力してほしい」

「我は構わぬが」


 その言葉が、どこか俺への問いにも聞こえた。

 叔父はゼレムに視線を落とし、それから俺をまっすぐに見つめる。


「ジークベルト、当分の間、この黒い剣を私に預けてくれないか?」


 突然の申し出に、意味は掴めなかった。

 けれど、叔父が協力を要請するほどのことだ。

 ゼレムは魔剣で、俺には想像もつかないほどの時を生き、豊富な知識も持っている。

 それに、ゼレム自身も受け入れている。

 俺がここで断る理由は、ない。


「わかりました」


 その言葉が、執務室の空気に沈んだ。

 誰もなにも言わなかったが、なにかが決まった気がした。



 ***



「そろそろ、私は帰るよ。フラウも待っているしね」


 叔父はカップを持ち上げ、残った紅茶をゆっくりと味わったあと、静かに置いた。

 所作は最後まで優雅で、さすが叔父だと密かに感心する。


「もうそんな時間か……すまないな、ヴィリバルト」


 父上がゆったりと立ち上がり、窓の外へ視線を移す。

 茜の光が差し込み、執務室の空気は静かに夕の色へ染まり始めていた。


「久しぶりに、兄さんとジークと話せて、楽しかったよ」


 そう言いながら、叔父は俺の方へ視線を向ける。

 その瞳には、柔らかい温度と、少しだけ皮肉めいた光が滲んでいた。


「はやく、魔術学校の生徒たちと馴染めるといいね」

「頑張ります」


 素直にうなずきながら、少しだけ背筋を伸ばす。

 口にした言葉に、自然と力がこもっていた。


「じゃ、ジーク。彼を借りていくよ」

「はい、お願いします」


 俺は両手で、黒い剣を丁寧に持ち上げ、叔父へと差し出した。

 鍔の深紅が、静かに脈打つ。


「いってくる」


 ゼレムがそう告げると、叔父は「じゃあね」とだけ残し、魔力を呼び起こした。

 光が音もなく揺れ、ゼレムとともに、叔父の姿は執務室から消えていった。

 わずかな静けさのあと、俺は父上の方へ向き直る。


「では、父上。僕も部屋に戻ります」


 礼節を整えて一礼し、扉へ向かおうとした、その時だった。

 執務室の扉に、控えめなノック音が響く。


「入れ」


 父上が許可を与えると、静かに扉が開き、マリー姉様が現れた。

 柔らかなドレスに身を包み、頬を少しだけふくらませながら、そのまま優雅に一礼する。


「申し訳ありません、お父様。なかなかお声がけがないもので」


 父上は眉をひそめ、少しだけ困ったように答えた。


「マリアンネ……すまない。もう話は終わった」


 マリー姉様は一瞬、目をぱちぱちと瞬かせてから、ふわりと父上のそばに寄る。


「お父様、ひどいです。私、ジークとの会話を楽しみにしていたんですよ」


 俺は苦笑いを浮かべながら、そっと執務室をあとにした。

 背後では、マリー姉様に問い詰められている父上が、やや押され気味に立っていた。


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