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不運からの最強男  作者: フクフク
魔術学校編
205/207

始まりの気配_03


 俺は保管庫の前で、しばらく呆然と立ち尽くしていた。

 叔父によって張られた強力な結界が、扉の縁にうっすらと揺れている。


《保管庫の整理作業が終了し、通常の重警備区域に戻ったようです》


 ヘルプ機能の声が、淡々と響く。

 えっ、じゃあ俺は、どうすればいいんだ?


「ジークベルト様、今は授業時間では?」


 背後から突然声をかけられ、俺は思わず肩を跳ねさせた。

 振り返ると、穏やかな微笑をたたえた執事のハンスが、静かにそこに立っていた。

 口調はいつもどおり淡々としているのに、不思議と落ち着く。


「ハンス……どこから出てきたの?」

「企業秘密ですよ、ジークベルト様」


 柔らかな声色なのに、じんわりと圧が滲む。

 俺は息をひとつ吐いてから、正直に状況を話した。


「──そういうわけなんだ」

「シルビア様たちが保管庫内に……なるほど」


 ハンスは一拍おいて、静かにうなずく。


「私が確認した時点では、全員退室されたはずでしたが……承知しました」


 含んだ笑みを残したまま、彼はすっと扉へと歩み寄る。


「ギルベルト様には、内密にしておきましょう」


 そう告げて、何気ない仕草で保管庫の扉を開いてくれた。

 ハンス、その笑顔が、逆にこわいよ。


「では、お気をつけて。いってらっしゃいませ」


 背後から響いた声に、俺は深くうなずいた。

 保管庫の中へ足を踏み入れ、扉が閉まる音を背に受けながら、一瞬だけ目を伏せる。

 ……なにかがおかしい。


 叔父の結界内にいるはずなのに、魔力の濁りが渦を巻いている。

 外からの干渉ではない。空間そのものが、内側から曇っている。

 指先がかすかにざわついた。

 黒い剣が、わずかに震えた気がする。


 反応している?

 なにかに、呼応して……?


 その瞬間、保管庫の奥に潜んでいた魔力が、微かに波打った。

 気配の方向が変わる。魔力が傾いている。

 奥から漂う気配は、空気の層をゆっくりと押し返していた。


 俺の周囲には、誰もいない。

 ──はずなのに。

 誰かの呼吸が、耳の奥にふれてくる。


 足元にまとわりつく魔力のざらつきは、地面そのものが拒絶しているようだ。

 ひと呼吸ごとに、層の中へ沈み込んでいく感覚が、じわじわと深くなる。


 なんだ、この力は……。

 魔力じゃない。もっと大きくて、圧倒的で……威圧的な力。


 思い浮かぶのは、ただひとつ。

 湖畔の神殿で、シルビアを覆っていた、あの気配。


 彼女の主様の力──神力と呼ばれるものだ。


 黒い剣が、脈を打つ。

 かすかな震えが、柄から腕へ、そして胸へと、静かに波及してくる。

 感覚だけで言えば、鼓動だ。

 けれど俺の心臓とは、違うテンポで動いている。

 神力の波動と黒い剣が共鳴しているのか。


《ご主人様、保管庫内部に異常を検知しました。検出された力は魔力ではなく、神力です。空間全体に浸透しており、内部構造に歪みが生じています》


 その報告を受けても、なぜか俺の呼吸は乱れなかった。

 柄から伝わる黒い剣の熱と、俺自身の直感が、妙に落ち着かせてくれる。

 この状況でも『まだ大丈夫だ』と、確かにそう思えていた。

 そのときだった。

 保管庫の空間が、ぐにゃりと歪む。

 内側から、弾けるように影が飛び出してきた。


「なんじゃえー!」


 シルビアが半ば転げながら飛び出し、勢いのまま叫ぶ。


〈……たすかった〉


 ハクは床に着地し、ほっとしたように息を吐いた。


〈主! たすかった!〉


 スラは俺の足元へ、跳ねるようにまっすぐ転がってくる。


 その瞬間、足元に光の粒がぱっと弾けた。

 舞い上がる光が空間を満たすと、魔力のざらつきがすっと消える。

 さっきまで空間を圧迫していた気配は、もうない。

 保管庫の空間が、ゆっくりと静けさを取り戻していく。


 そしてその静寂の中、黒い塊がぽとりと足元へ落ちてきた。

 ……うん? これは。

 俺が塊に手を伸ばそうとすると、〈主! きけん!〉と、スラが叫び、俺の腕にしがみつく。

 全身を震わせて、まるで塊そのものからなにかを感じ取ったようだった。


「大丈夫だよ、スラ」


 俺は声を抑え、安心させるように言った。

 けれどスラは、そばを離れようとしない。


 ……これは困ったな。


 そう思いながら、俺はもう一度、塊に視線を落とす。

 塊は動かない。ただそこにある。

 けれど、見えないなにかが、ゆっくりと俺の背中を押しているような気配があった。

 黒い剣だ。

 静かに柄へ手を添えると、黒い塊がわずかに揺れた。

 触れていない。

 なにもしていないのに、空気がきゅっと音を立てた気がした。


「おぬし、神力は消えておらぬぞ! 油断するのではないのじゃ!」


 シルビアの声が響いた瞬間、ハクがすっと俺の前に立ちはだかった。

 毛並みが逆立ち、爪が床をかいた音が耳に届く。


〈ジークベルトは、ハクが守る!〉


 その声は低く、しかし確かな意思を帯びていた。

 ああ、シルビアの余計な一言で、ハクが完全に戦闘モードに入っちゃったか。

 どう収拾するの、これ?


「ハク、本当に大丈夫なんだよ」


 一応、窘めてみるが、その背は少しも緩まない。

 そのときだった。

 黒い剣が激しく震え、俺の手元から滑り落ちた。

 落下の途中で、剣の軌道がぐいと逸れる。

 ハクの前をすり抜け、黒い塊の上へ、吸い寄せられるように落下した。


「「「「あっ!」」」」


 その場にいた全員の声が重なる。

 衝突の瞬間、黒い塊が強く金色の光を放った。

 空気が震え、保管庫全体が、息を呑んだように静まり返る。

 光の中心で、黒い剣の根元に霧のような影が絡みつく。

 それは糸のような形にほぐれながら、ゆっくりと剣の輪郭に沿って編み込まれていく。


〈……なんか、つくってる?〉


 スラが俺の腕にしがみついたまま、ぽつりとつぶやいた。


「ああ、妾の目に偽りはなかったようじゃの」


 シルビアが腕を組み、どこか得意げに鼻を鳴らす。

 神力の残滓が剣を受け入れた。そんな確信に満ちた表情だった。


 なるほどね。

 あとでシルビアには、たっぷり事情を説明してもらわないと。

 そうだよね、ヘルプ機能?


《申し訳ございません、ご主人様。ヴィリバルトが『ご主人様が判断すること』と申しており、危険はないものかとばかり》


 ヴィリー叔父さんが関わっているの?


《いえ、その……最初に検出したのは、フラウでして……》


 歯切れの悪い回答に、俺はすべてを察した。

 まさかとは思うけど、ヘルプ機能、フラウへの当てつけだったの?


《いえ、まさかそのようなつもりは。ただ、ほんの数%ほどの可能性は……。それでも、ご主人様のお役に立てると判断した結果です》


 そういうことだよ、ほんと。

 俺は大きく息を吐き、目を伏せる。

 手元に視線を戻すと、そこには、もう黒い鞘ができていた。

 霧のような糸は、すでに剣の根元に定着していた。

 光の名残を帯びながら、黒い輪郭に沿ってぴたりと形を取っている。

 俺はそっと剣を持ち上げ、鞘に収めてみる。

 抵抗はない。

 むしろ、自然に吸い込まれるように納まった。

 音も、圧もない。

 ただ、空気がひとつだけ揺れた。

 それは、なにかが戻ったときの、静かな反応。

 融和。

 そう呼ぶしかない感覚だった。

 そして、声が聞こえた。


「長き眠りから覚めたこと、礼を言うぞ」


 俺は、鞘に手を添えながら、黒い剣を見下ろす。

 剣には、もはや熱も光も残っていなかった。

 けれど、その声は、間違いなくこの剣から聞こえた。

 空気が、ほんのすこしだけ薄くなる。

 俺は目を閉じ、息をひとつ吐いた。

 これは、また始まったのかもしれない。


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