新しい風
ユリアーナとの決戦から三日が経ち、朝の光が窓から差し込む玉座の間には、荘厳な雰囲気が漂っていた。
修復された玉座の背後には、王家の紋章が誇らしげに掲げられ、大理石の床には赤い絨毯が広がり、その上を歩く足音が静かに響く。
決戦の痕跡は完全に消え去り、玉座の間はその威厳と風格を取り戻していた。
エリーアス殿下とマティアス王太子殿下、シャルロッテ王妃とアグネス側妃の四人が揃って玉座の前に並び、その堂々たる姿が目を引く。
エリーアス殿下が一歩前に進み、王族を代表して口を開いた。
「アーベル侯爵家の皆様、今回の内乱におけるご尽力に心から感謝申し上げます。あなた方の勇気と献身がなければ、我々はこの危機を乗り越えることができなかったでしょう。エスタニア王家は、アーベル侯爵家の支援を永遠に忘れません」
エリーアス殿下が頭を深く下げると、その動きに合わせてほかの王族たちもいっせいに頭を下げた。
彼らの動きには、心からの感謝と国の危機を救ってくれたことへの深い敬意が伝わってきた。
「我々はジークの婚約者であるディアーナ様の願いを叶えただけです」
叔父が穏やかに言葉を紡いだ。
「それで、我々をお呼びになった理由は、覚悟を決められたのかな」
「すべてお見通しですね」
エリーアス殿下が微かに息を吸い込み、マティアス殿下と目を合わせた。
ふたりの間に無言の了解が流れる。
「はい。私が新国王となります」
その言葉が響き渡ると同時に、玉座の間に一瞬の静寂が訪れた。
全員の視線がエリーアス殿下に集まり、場の空気が張り詰めていく。
「しかし、これは一時的なものです。マティアスが成人し、安定した政権を築けるようになれば、私は身を引きます」
この宣言に、玉座の間の空気がいっそう重くなり、沈黙が支配した。
「エリーアス、あなた……」
側妃が思わず漏らした言葉に、エリーアス殿下がゆっくりと彼女に向き合った。
「母上、心配なさらず。これは私の意志による決断です」
エリーアス殿下の落ち着いた声には、揺るぎない決意と深い思慮が感じられた。
「アグネス様、エリーアス様にお任せしましょう。王の証も受け継いだのでしょう?」
王妃は側妃の肩に手を置き、エリーアス殿下を見つめた。
「はい。父王が亡くなる直前に受け継ぎました」
王妃は一度目を閉じて深く息をつき、マティアス殿下に視線を移した。
「それなら、私たちが意見する立場ではありませんね。マティアス、あなたも納得しているのでしょう?」
「はい。私はまだ成人していませんし、今回の出来事から多くのことを学びました。自分がまだ未熟であることを強く感じました」
「そう」
王妃は短く答えたが、その瞳には、マティアス殿下の成長を誇りに思う喜びが浮かんでいた。
エリーアス殿下はふたりのやりとりを静かに見つめ、しばらくの沈黙の後、表情を引き締めしめて口を開いた。
「ユリアーナの処断は私が責任を持ちます」
エリーアス殿下は毅然とした態度で王紙を手に取ると、両手でしっかりと握りしめた。
彼の手から魔力が流れ込み、王紙は淡い光を放ち始めた。
光はしだいに強まり、やがてエリーアス殿下の言葉が紙の上に浮かび上がった。
「ユリアーナ・フォン・エスタニアは、国王弑逆罪及び国家反逆罪として、公開処刑とする」
その言葉が宣布されると、玉座の間にいた全員が息をのんだ。
エリーアス殿下の表情には、決意と責任の重さが滲み出ており、その眼差しは鋭く揺るぎなかった。
手は微かに震えていたものの、声には一片の迷いもなかった。
「国民には私から伝える」
「エリーアス兄上、それでは兄上が……」
マティアス殿下の言葉は途中で途切れ、その目は不安に揺れていた。
俺にはマティアス殿下の心情が手に取るようにわかった。彼がエリーアス殿下を心配しているのはあきらかだった。
ユリアーナは国民に絶大な人気があり、博愛の第二王女として長く慕われてきた。
そのユリアーナを公開処刑とすれば、エリーアス殿下への風当たりはいっそう強くなるだろう。
「トビアス兄上には、毒杯を与える」
その決断に、誰かが息を詰める音が聞こえ、場の空気が一気に張り詰めた。
「長年ユリアーナに精神支配されていたとしても、兄上の行動に意志がなかったわけではない」
俺はエリーアス殿下の言葉に耳を傾け、その冷徹な判断に驚きを隠せなかった。
「ユリアーナが魅了を手に入れたのは、ここ数年の出来事だ。それまでの兄上の行動を顧みても、同情の余地はない。最期は王族として責任を果たしてもらう」
エリーアス殿下の冷徹かつ公平な判断は、その場にいる全員に王族としての責任の重さを痛感させた。
沈黙が場を包む中、エリーアス殿下は表情を和らげ、穏やかな眼差しでマティアス殿下を見つめた。
「マティアス、君はまだ幼い。よく学び、立派な王になるのだ」
エリーアス殿下の声には、弟への深い愛情と期待がこめられていた。
「兄上」
マティアス殿下は目を見開き、唇をわずかに震わせながらも微笑んで兄を見上げた。
エリーアス殿下はその視線を受け止め、優しくうなずいた。
次にエリーアス殿下は、俺の隣にいるディアーナに目を向けた。
「ディアーナ、君はマンジェスタ王国で幸せを掴みなさい」
ディアーナは一瞬驚いたものの、すぐにエリーアス殿下の気持ちを理解し、感謝の気持ちをこめて微笑みかけた。
最後にエリーアス殿下は視線を俺に向け、強い意志をこめた眼差しを投げかけた。
『ディアーナを頼む』という無言のメッセージを受け、俺は静かにうなずいた。
◇◇◇
王城での会談の翌日。
青く澄み渡った空の下、バルシュミーデ伯爵の広大な領地内には一面の草原が広がっていた。
心地よい風が吹き抜け、草花が優雅に揺れている。草原の真ん中に、帰国の準備を終えた俺たちが集まっていた。
「さて、この件も片づいたし、本来の目的である迷宮に潜ろうか」
叔父ののんきな声が草原一帯に響くと、テオ兄さんが素早く駆け寄り、その腕をしっかりと掴んだ。
「逃がしませんよ、叔父様」
その声は静かだったが、決意の強さがはっきりと感じられた。
「テオ」と叔父は少し驚いたように目を丸くし、しだいに苦笑いを浮かべたが、すぐにあきらめたように肩をすくめた。
「まずは父様に報告して、ユリウス殿下に謁見です」
「だが、約束は」
叔父が言葉を続けようとするも、テオ兄さんの鋭い声がそれを遮った。
「叔父様ならいつでもエスタニア王国へ転移することができますよね? エリーアス国王にも親書の手形をいただきましたしね」
「そっ、それは、そうだが」
叔父はテオ兄さんの正論にたじろぎ、言葉を詰まらせた。
「叔父様の迷宮巡りは、この話をすべて報告してからです」
テオ兄さんは冷静な表情を崩さず、鋭い視線を叔父に向け続けた。
叔父は一瞬視線を逸らし、深く息をついた。
「それに父様や姉様に、ジークを会わせないつもりですか? 予定より滞在が長引きましたし、ここで迷宮に行くとなったら相当怒ると思いますが?」
追い討ちをかけるテオ兄さんの言葉に、叔父は肩を落とし、ため息をついた。
「マリーはともかく、兄さんはダメだ。テオ、わかったよ。おとなしく帰るよ」
叔父の声には、ほんの少しの抵抗とあきらめが交じっていた。
テオ兄さんが叔父の説得に成功した瞬間、外野にいた俺は心の中で拍手を送った。
テオ兄さんの冷静な判断と強い意志に、改めて感心せずにはいられなかった。
その時、少し離れた場所からパルの声が聞こえてきた。
「姫様、申し訳ありません。護衛としておそばにいたかったのですが、今回の件で伯爵家に戻ることにしました」
「いいのです。パル。後遺症がないとはいえ、エトはまだ不安定な状態です。今誰かに精神攻撃を加えられたら、すぐに堕ちてしまいます」
ディアーナは優しく微笑みながら、そっとパルの腕に手を置いた。
「それに私の近くには、カミルもいます」
カミルがディアーナの背後に立ち、静かにうなずいた。その姿は頼もしく、ディアーナを守る決意が感じられた。
伯爵家の家人たちと別れの挨拶を終えたエマが、俺の横にやって来た。
「エマ、もう戻ったんだね?」
「ジークベルト様、休暇をいただきありがとうございました」
エマは一瞬目を伏せ、深呼吸をしてから、俺の目をまっすぐに見つめた。
そして、静かに口を開いた。
「事実はとても残酷で悲しいのですが、私は姫様とジークベルト様のおそばで一生お仕えしたいのです」
そう言ってエマは微笑んだ。彼女の笑顔はどこか寂しげではあったが、その目に迷いはなく、事実をありのまま受け入れたんだと悟った。
「さてそろそろ、アーベル家に戻るよ」
叔父の合図で、別れを惜しんでいた人々が離れていく。草原に静けさが戻り、風がそよそよと吹き抜けた。
エマは一瞬、遠くを見つめた後、再び微笑みを浮かべて俺たちに向きなおった。
「ひめさまー、ジークベルト、またあそびにきてねー!」
ヨハンの元気な声が響くと、俺たちの顔に自然と笑みが浮かんだ。彼の無邪気な笑顔が、別れの寂しさを和らげてくれた。