覚醒_03
「カミル!」
救護室の一角で、ディアーナが駆け寄ってくるのが見えた。
彼女は息を切らしながら、カミルの手を握りしめる。
俺はその光景を見ながら、ハク、スラ、シルビアの前に立ち、ふたりの会話に耳を傾けていた。
「姫様……」
「テオバルト様からお聞きしました。私のために無理をしたと。敵の中に潜入するなんて、なんて無茶をしたのです!」
ディアーナは目を潤ませ、声を震わせながらカミルの顔を見つめた。
カミルは少し戸惑ってから、弱々しく微笑んだ。
「姫様、私はエスタニア王国を離れることになりました。シラー家からは除名されました」
「なぜです? シラー家にはマティアスお兄様から説明があったはずです」
「これは私が自ら望んだことなのです。姫様の護衛騎士としてではなく、アーベル家に仕えることになりました」
「えっ?」
カミルの突拍子もない発言に、ディアーナは唖然として口を開けたまま、固まってしまった。
「今後も姫様たちのおそばにおります。ただ残念ながら、侯爵家ではなく、主に伯爵家に仕えることになります。私はヴィリバルト様の臣下となりました」
えっ、そんな話は聞いていないけど?
《ヴィリバルトは、カミルの師匠となる代わりに、一生臣下として仕えることを条件にしたようです》
「カミル殿、いつ叔父様とそのような契約を交わしたのですか?」
突然、テオ兄さんがふたりの話に割り込んできた。
ディアーナとカミルは、その声のトーンに驚き、テオ兄さんの顔つきを見て息をのんだ。
テオ兄さんの顔は怒りで般若のように変わり、その目は据わっていた。
これはまずい!
テオ兄さんがこんなに怒っているなんて……。
ヴィリー叔父さん、なんで事前に相談していないんだ!
俺は心の中で激しく動揺し、思わず頭を抱えそうになった。
「ダンジョンで刺された傷が完治してすぐです」
カミルは冷静に答えたが、その声には微かな緊張が感じられた。
「テオ、知らなかったのか?」
アル兄さんが横から口を挟んだ。
テオ兄さんは驚きの表情でアル兄さんを見つめ返した。
「アル兄さんは、知っていたのですか?」
「ああ、叔父上の臣下になるとしても、アーベル家に仕えることには変わりないだろう。アーベル家の教育が終了した時点で、その話を聞かされた。父上もすでに承知している」
アル兄さんはふとなにかを思い出し、再び口を開いた。
「ああ、そうだ。テオには叔父上が直接話すと言っていたな」
《ぴきっ》
あれ、今、聞こえてはならない音が聞こえたような?
《それはテオバルトの堪忍袋の緒が切れる音ですね。私が再現しました》
犯人はお前か、ヘルプ機能。
あっ、ヘルプ機能と話している間に、テオ兄さんがヴィリー叔父さんの首根っこを掴んで引っ張っていってる。
うわぁ、あれは相当やばいぞ。
「あれは相当やばいぞ」
隣にいたニコライが、俺の思考と同じことをつぶやいた。
「ふふん、いい気味じゃ」
ベッドの上でクッキーを一枚頬張りながら、その様子を見ていたシルビアは、満足げに微笑んだ。
そして、もう一枚クッキーを手に取ってゆっくりと口に運んだ。
「シルビア、怪我人はお菓子ばかり食べないよ」
「妾はがんばったのじゃ! だからこれはご褒美なのじゃ!」
シルビアは頬を膨らませながら、手に持ったクッキーをもうひと口かじった。
「シルビア様、太りますよ」
カミルとの会話を終えたディアーナが冷静に指摘した。
「なんじゃと、小娘!」
ふたりの小言の応戦が始まり、救護室にはいつもの賑やかな雰囲気が戻ってきた。
そんな中、シルビアのベッドの脇で、ハクがしょんぼりと座っていた。
体を丸め、耳を垂らしている姿は、どこか寂しげだった。
「ハク、まだ眠い?」
俺は優しく声をかけ、ハクのそばにしゃがみ込んだ。
「ガウッ〈ハク、ジークと一緒に悪い奴倒せなかった〉」
ハクの声には悔しさが滲んでいた。俺はハクの頭をそっとなでて、微笑みかけた。
「でも、ハクは『眠り』の魔法で体の自由が利かない中、アル兄さんたちに助けを求めてくれたよね」
ハクは少しだけ顔を上げ、俺の目を見つめた。
「ガウッ〈スラが起こしてくれて、ハクはそれしかできなかった〉」
「アル兄さんたちに助けを求めてくれて、すごく助かったよ」
「ガウ?〈本当?〉」
ハクは大きな瞳で俺を見上げ、少しだけ尻尾を振ったが、まだ元気がない様子だった。
「うん。ありがとう。もちろんスラもね」
「ピッ!〈気にするな!〉」
スラは大好物のオークの肉を頬張りながら、嬉しそうに返事をする。
スラの普段通りの様子を見て、ハクは少しだけ元気を取り戻し、尻尾をもう少し振った。
ハクが少し元気になってほっとしていると、ニコライが小言の応戦を終え、ひとり佇むディアーナに近づいて話しかけた。
「そういえば、姫さん。エマはどこにいったんだ?」
「エマにはしばらく休暇を与えました」
ディアーナは目を伏せ、少し寂しそうな表情を浮かべた。
「そうか、それは寂しいな」
ニコライが優しい眼差しでディアーナを見つめ、彼女の頭にぽんと手を置いた。
ディアーナは一瞬驚いたが、すぐに微笑んだ。
俺はその様子を見守りながら、救護室に広がる温かい雰囲気を感じ取っていた。