8話
「……いや、本隊には合流しない。このまま南進して連合国の哨戒線陣地に向かう」
ハンスさんの意外な提案に、私達は顔を見合わせました。てっきりこのまま国境警備隊と合流するのだと思っていましたから。
「いいか? ソビエトが介入している事はまだ連合国も知らんだろう。ならば、最も安全なのは北方の国境付近じゃない。逆方向の南側だ。そちらに向かえば鉢合わせする機会も減るだろう」
彼の論理的な意見に私達は従うしか有りません。危険を犯してまで戦う必要も無いですし、何より私達は兵士ではないのですから。
……でも、何だかスッキリしないのも事実です。私達の国が、ソビエトの手で掻き回されて違う物にされるしまう不安と、そして何より……家族を奪われながら、黙って見ているしかない不甲斐無い自分に……
「あの……ちょっといいですか?」
ミケーネさんが手を挙げながら口を開きます。
「……思ったんですけれど、どうしてこの戦車は、列車で運ばれていたんですか? 何処かに向かっていたんじゃないですか?」
ミケーネさんの言葉に耳を傾けていたハンスさんは、暫くしてから話し始めました。
「……これはな、この国に贈られた二台の内の一つでな……もう一台は違うルートで運ばれている筈だ」
ハンスさんはそう言うと、どこまで話してよいもんかね、と呟いてから、彼のクセなんでしょう。困ったような顔をしながら頬を掻きつつ言葉を続けました。
「……ドイツが敗戦色濃くなる前、少しでも友好国に恩を売っておけば亡命出来る可能性が増す、そんな思惑も有っての兵器贈与を試みた訳さ。結果は、まあ……何もしないよりはマシだったろうが、現状を見ればどうだったかは、俺にも判らん」
自分は只の引率者に過ぎんが、と前置きしてから、
「……今乗っているへッツァー(突撃砲のドイツ呼称)も、細かい装備が改善されていて、エンジン出力も大きくなっている。前面装甲も厚く、同じ車両同士で撃ち合っても負ける事は無い。だが……もう量産される事は無いだろう」
そう言うハンスさんの横顔は、酷く寂しそうでした。きっと、色々な思い入れや愛着があったのかもしれません。
「……俺と同じ、無用の老兵って奴だな。ま、そんな話はよかろう。地図はあったかな……」
彼はそう言いながら傍らに置かれたカバンから地図を見つけると、ルートの選定を始めました。
「……お、これは……上手くやれば補給出来るかもしれんな。砲弾はともかく、燃料と……」
ハンスさんがそう言った瞬間、レンさんのお腹がきゅるる、と可愛らしく鳴き声を上げました。
「やっ!? はわ……こ、これはその……」
ハンスさんはわざと気付かぬ振りをしながら、地図から目を離して、私達に告げました。
「……暖かい食事に、風呂だな」
私達が向かった先は、道端に吊るされた標識にも書いてある程の立派な施設で、その大きな建物はまるで何処かの役所にしか見えません。
【国立イルブセット・サナトリウム】
ハンスさんが私達を連れてきたのは、何と治療院でした。それもドイツ式のとても大きくて立派な建物で、近くに戦車を停めると沢山の窓から人々の顔が並び、突然現れた鋼鉄の乗り物に興味津々のご様子です。
戦車から這い出したハンスさんは車椅子(サナトリウムの方に事情を説明して御借りしました)に乗り込むと、病院の偉い方とお話なさると言い、案内される治療院の方と共に建物の中へと向かいました。
と、思うとハンスさんは車椅子を停めて、私達の方に振り向くと、
「それはそのまま置いて、中で待っていた方がいいぞ? ずーっと中に居ると気が滅入るだろう」
そう言ってから、再び車椅子を動かして奥へと進んで行きました。