4話
車を走らせる事一時間。緩やかな丘陵地帯を抜けて気色が畑混じりになると、目的地が見えてきました。比較的裕福な人々が暮らす住宅が並ぶ、静かな地域。その一角にエレナさんの自宅があるのです。
車を家の前に停め、私がドアをノックすると直ぐに扉が開き、
「おはようございます、カルビアさん。さあ、上がって」
肩からショールを掛けたエレナさんが顔を覗かせて、私を手招きします。
「お邪魔します。朝早くから押し掛けて申し訳ありません」
「いいのよ、気にしなくて。私からお願いした時間なんですから」
早朝の訪問にも嫌な顔をせず、親切に応じてくれます。彼女の好意にまた今日もすがってしまうのですが、お話を伺える事は間違いなく楽しいのも事実です。
……さて、今日もお話を……あれ? エレナさんがいつも座っている椅子の横、小さなテーブルの上に黒い皮の手帳が……
「……見つかってしまいましたね。これはあの頃に書いていた日記なの」
そう言うとエレナさんは手帳を手に取りパラパラとページを捲ると手を止め、愛おしそうに撫でながら、
「随分と昔の事も良く覚えている、って誉められてしまうとね……なかなか言い出し辛くなるものね」
照れ臭そうに笑ってから、エレナさんはいつものように、言葉を選びながら静かに語り始めます。
……遠い昔の出来事を、まるで昨日起きた事のように……
破壊されて脱線した車両から、生き残った人々が降りて来ます。ある人は怪我人に肩を貸しながら、またある人は私達と同じように、肉親を失い涙を流しながら。
私達は互いに慰め合いながら、悲しみに沈んでいたのですが、彼だけは違いました。そう、ハンスさんは唯一人、鋭い視線で遠くを見ていたのです。
「申し訳無いが、亡くなった方とゆっくりお別れをする時間は無さそうだ」
ハンスさんはそう言うと、遠くに立ち上る砂煙を指差しながら、
「……榴弾を発射出来る車両なんざ、そう速くは動けないだろうが、目的が何であれもうじき此処にやって来るだろう。こうなったら俺達で迎え撃つしか手はない」
私達四人に向かって告げると、今までの柔和な態度を一変させました。
「……此処はもう、戦場だ。誰かに頼って生き抜ける程、状況は甘くない。俺に従って戦車に乗って戦い生き延びるか、俺から逃げて僅かの間だけ時間稼ぎするか……だ」
一瞬だけ、何故に私達が、と思いましたが、周囲を見回しても満足に歩けるだけの男性は見当たらず、お年を召した方か負傷者を運ぶ方が居るのみ。つまり、戦車に乗れるのは私達しか残されていなかったのです。
私はミケーネとオリビア、そしてレンの顔を見ました。みんな血の気の引いた真っ白な顔で、唇も青ざめていました。でも、決意を秘めて澄んだ瞳で私を見返したのです。
「判りました。ハンスさん、戦車は何処ですか?」
私がみんなの代わりに答えると、彼は車両の一番後ろに繋がれた貨車を指差しながら、
「あれだ。偽装で木材運搬車に見えるよう、木の板を張り付けてあるが、直ぐに動かせる筈だ」
と、教えてくれました。確かに、一台だけ繋がれた貨車には丸太が積まれて戦車が載っているようには見えません。けれど、ハンスさんの言う通りならば……
「ミケーネ、ハンスさんをお願い。私とオリビアとレンは木の板を外しましょう」
私はオリビアとレンの手を借りて、木の板を外す為に手を伸ばそうとしたのですが、車椅子を近付けようとするミケーネを制しながらハンスさんが叫びます。
「待て、エレナ!! 動かしてしまえば偽装は外れる!」
そう言うと私達に戦車に乗り込むよう促します。当然ながら戦車に乗った事は有りません。何処から乗り込めば……あら?
「ミケーネ、レン!! 此処に隙間が有ります!」
貨車の後ろ側、車両の連結部分で隠される場所に、色の違う箇所があり、そこだけ若干柔らかいようです。
「……何か壊す物……釘抜き? これでこうして……ッ!!」
真っ直ぐな方を隙間に挿し込みミケーネと二人で持ちながら押すと、バキッ、と鈍い音が鳴って板が外れました。すると、目の前に金属製の扉が現れて、その真ん中に丸いハンドルが付いています。
「そのハンドルを回せ! ロックが外れて扉が開く!」
言われるままにグルグル回すと、扉が軋む音を立てながらこちら側に開きます。
「参ったな……まさか、這って乗り込む事になるとは……」
傍までやって来たハンスさんが四つん這いになりながら車内に入り、暗い車内を照らす照明を点けると……
「これが、操縦席なんですか、それにしても……」
私と三人は初めて見る車内に圧倒されます。機械油と火薬の匂い、そして何とも形容し難い……ええ、人の匂い、って言えばよいのでしょうか。汗と脂の匂いも染み付いて、ほんの少しだけ、気分が悪くなりそうです。
「そんな顔をするな。何せ、狭い車内に何時間も野郎共が汗だくになって押し込められていたんだ。慣れろとは言わんが、我慢してくれ」
四脚有る椅子の一つに腰掛けて、機器を点検しながらハンスさんが言います。オリビアとレンは顔の前にハンカチを押し当てて眉を歪めています。ミケーネは……何となく嬉しそう。まあ、好きな機械に囲まれているのですから当然でしょう。
私が何をすればよいのかと思っている間にも、ハンスさんはテキパキとスイッチやレバーを操作し、やがてエンジンが動き始めます。
ゴッ、ゴゴゴゴゴ……
腹に響く地鳴りのような音が車内を揺らし、私達は小さな声で凄い……と呟きました。
「まだまだ……少し回しておかんと直ぐには出せない。今の内に役割を決めておく」
ハンスさんはそう言うと私達の服装を見てから、
「……悪いがエレナ、君のスカートは何とかしてくれ。丈が長過ぎて車内には不向きだ」
言われて自分の格好を改めて見てみると、確かに床に着きそうな長さは踏んでしまいそうですし、何より機械に挟まれて危険かもしれません。
仕方がないので途中からウエストの内側に折り込み、カボチャのように膨らんだ形にしてみます。まあ、何とかなりそうですが……ハンスさんったら、一瞬だけ私の姿を見て、
「……健康的な足だが、まあ……今はいい。後で何か見繕うしかなかろう」
鼻の頭を掻きながら視線を外してしまいました。照れているのでしょうか?