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9話



 「順番はともかく、シャワーを使わせて貰える事になった」


 ハンスさんがそう告げた瞬間、私達は思わずため息を漏らしてしまいました。だって……戦車の中ってエンジンの熱が(こも)って凄く暑くて、汗まみれになっていましたから。


 「まあ、年頃の娘さん方が揃っているからな、気持ちは判る。だが……いや、いいか」


 ハンスさんは何か言おうとしながら止め、私に着替えも用意してあるそうだから、付いてきてくれと促します。


 残された三人が順番を決める為、掌を突き合わせながら【王様家来平民】を始めたのを横目に、私はハンスさんの後を追います。


 「……済まんな、きっと君が最後になるかもしれないが、許してくれ」

 「いいんです、別に気にしていません。まあ、いつまでも汗臭いのは嫌ですが」


 ほんの少しだけ強がりを言いながら、元の丈に戻したスカートを翻してハンスさんの横を歩きます。

 

 「……三人にはまだ言っていないが、あの戦車はソビエトには渡せない。連合国にも……だがな」

 「それは何故ですか?」


 話し始めた彼の言葉に、質問を重ねるとハンスさんは一瞬だけ周囲の様子を窺ってから、


 「確かにドイツは戦争には負けた。だが、これからの事を考えれば、培った技術を容易く外部に漏らすべきでは無いだろう。前に言った事とは随分と違うだろうが、二両の戦車は人目に付かない場所に隠すか、最悪の場合……爆破して処分する」


 「では、事情を説明して乗組員を探す、とはいきませんね。暫くの間は私達が乗ると言う事で宜しいですか?」

 「……申し訳無いが、協力して貰えると……ん?」


 私の言葉にハンスさんが驚き、少しの間だけ考えてから、答えました。


 「……本当にいいのかい?」

 「四人で既に話し合って決めていました。ただ……レンさんは『私の乗る場所が狭いのは何とかしてほしい』と言っていました


 その言葉に苦笑いしながら、それは善処する、と答え、改まって手を差し出しながら告げました。


 『……では、車長代理として、四人を正式の乗組員に任命しよう。これからも宜しく頼む』

 「はい、了解しました」


 ハンスさんの手を握り返しながら答えると、では新しい服を取りに行こう、と言いながら車椅子を動かしました。




 結局、予測通りシャワーを浴びる順番は最後になりましたが、それはそれ。一人きりで脱衣所を独占しながら裸になり、タイル敷きの浴室に足を踏み入れます。


 ヒヤッとする足の裏の感触で、まだ春は遠いなと思いながら浴びる久々のお湯に、緊張の連続で強張った気持ちが少しづつ解されていきます。


 (……はあ、本当に色々と有り過ぎて……)


 暖かいお湯を浴びた後、私はシャワーを止めて髪を掻き上げてから、身体にシャボンを使って泡立てたタオルを当て、ゆっくりと擦ります。


 それから髪の毛も同様に泡を付けて洗います。ああ、指先が絡まってしまいます。この二日間、同じ服を着たまま、蒸し暑く狭い車内で籠り通し……お陰で髪の毛がゴワゴワです。


 ふと気付くと銀色の髪の毛先が視界に入り、滴る湯の粒が水銀のように輝きながら流れ落ちるのを見ていると、マリアの綺麗な髪の毛を思い出して、不意に涙が溢れてきました。


 「ああっ!? ……んっ、うううぅ……」


 今まで圧し殺して来た悲しみが後から後から押し寄せ、涙が止まりません。私はシャワーのお湯を更に強く流し、そのまま顔に当てながら泣きました。


 「……ああああああぁ!! お母さん!! マリア!! 何でっ!? どうして……何で私だけ置いて……いやああああぁーっ!!」


 もう、ヘレンの柔らかな髪に触れる事も、お母さんの優しい笑顔を見る事も出来ないと思うだけで、私は悲しくて悔しくて……ずーっと、みんなの前では見せなかった弱い自分が、シャワーの音に隠れながら泣き続けました。


 「えっ……ええぇ……嫌だよ、独りは嫌だよぅ……」


 そうして暫くシャワーを浴びたまま、しゃがみ込んで壁のタイルに頭を押し付けて、小さな子供のように悲しみに身を委ね、心の中の涙が止まるまで泣きました。


 そして涙が止まったその瞬間、私は立ち上がってシャワーのお湯を掌に溜めて、


 「……だから、お母さん……私、独りでも泣かないように、強くなりたい……マリア、あなたの分も沢山生きたい……だから……」


 そのお湯をザバッと顔に叩き付けて、バシャバシャと掌で顔を擦り涙を払い落としてから、


 「……私、生き残る為なら何でもする」


 決意と共に唇を固く結び、シャワーのお湯を止めました。


 ポタポタとお湯を滴らせる髪をタオルでゴシゴシと擦り、それから洗面台の片隅に置かれたカミソリを手に持つと、鏡の前で髪の毛を束にして掴みました。


 「……お母さん、マリア……ごめんなさい。暫く二人のいる所には行けない」


 そう言うと、鏡の中の自分がカミソリを髪の束に当てて、ゆっくりと動かしながら切り取っていきます。


 ぞりぞり……と、襟元から綺麗に切り落とされた銀の髪束を手に持ち、私は再度、鏡の中の自分に向き合いました。


 目を赤く腫らし、弱々しい視線で見返す自分をキッと睨み、手にした髪束を突き出しながら宣言したのです。


 「……戦場に神は居ないなら、悪魔でも誰でもいい。私に生き抜く知恵と……容赦無く相手を殺せる、無慈悲な心を寄越しなさい」


 すると鏡の中の自分はニヤリと笑い、手にした銀髪を受け取ると何も言わぬまま、元の自分の内に戻って消えてしまいました。


 いえ、そんなものは最初から存在せず、興奮して見えた幻だったのでしょう。でも、私は確かに誓ったのです。


 ……生き残る為ならば、何でもする、と。


 昨日までの、何も知らない浪人生のエレナ・シュミットはもう居ません。今居るのは母親と妹を殺されて、その仇を討たんと心の中に鋼を打ち込んだ、一匹の戦車乗りだけ。


 そう思いながら髪をタオルで擦って乾かすと、服を身に付けてみんなが待つ応接室へと戻りました。


 「エレナさん……その髪、どうしたの!?」


 レンさんが私の髪の毛を見て、血相を変えながら駆け寄ってきました。


 三人はサナトリウムの患者さんと同じ白い服を着て、テーブルの周りに座りながらハンスさんと話していたようですが、私の姿の変わり様に驚いたようです。


 「……狭い戦車の中では、邪魔でしかありません。どうせ何時かまた伸びてきます」


 淡々と語りながら、私はみんなと同じように椅子に腰掛けると、車椅子に座ったハンスさんに自らの考えを切り出しました。


 「……私を、冷徹な戦車兵として鍛えて貰えませんか?」









 グラウニーさんはそこまで話を聴くと、掌で顔を覆い、ゴシゴシと擦ってから瞬きし、机に置いてあった冷めたコーヒーを一口啜ってから、私に真剣な表情で言いました。


 「……驚いたな。エレナさんは出版された本と違う話を君にしたのか……」

 「えっ? そ、そんな筈は無いと思いますけど……だって、いつもお話の最中でも、日記を捲ったりしてキチンと話されてましたし……」


 そう伝えると、グラウニーさんは更に驚きながら、


 「日記だって!? そんなモノが有ったのか……なぁ、俺は【戦車に乗った乙女達】を何度も読んだし、書いた奴とも知り合いだが、一度も『ハンス』なんて男の話は出てこなかったぞ?」


 言い切るとおもむろに立ち上がり、近くに置かれた本棚から【戦車に乗った乙女達】のハードカバー本を抜き取り、パラパラと捲りながら、


 「……この本では、列車に載せられていた戦車に乗り、その場を離れて国境警備隊と合流、そこで実車訓練を受けてから義勇兵として乗車した……って書いてあって、ハンスとか言う元戦車兵のドイツ人の事なんか一言も記されてないんだ」


 本をヒラヒラと振りながら天井を仰ぎ見て、暫く黙った後、私に向かってグラウニーさんは告げました。


 「……君が日記を元にしながら聴いてきた話が真実なのか、出版された本の内容が真実なのか……いや、それよりもハンスってドイツ人はどこの誰なんだ?」

 「えっ? ハンスさんって戦車兵で、亡命みたいに我が国に戦車と共にやって来たってエレナさんは言っていましたが……」


 グラウニーさんはふむ、と言いながら椅子に座り、先ずはキチンと整理するべきだな、と前置きしてから、


 「……君は知らんだろうが、我が国は戦時中にドイツからの亡命者を受け入れた事は無いんだ。国交が途絶えていたのも有るが、国境を封鎖し難民の流入を受け入れていなかった、というのが正しいな」


 机の上のパソコンを起動させ、ゆっくりとキーボードを叩きながら検索エンジンを使い、私に向けて画面が見えるようにしながら続けます。


 「……1945年に連合国の命令で国境を封鎖した我が国が、一両の戦車も国内に入れた事実は記録されていない。それに……ハンスって名前はドイツにゃ沢山居るし、君の聞き取りの際に苗字が出てこない、と考えると……偽名なのかもしれん」


 彼が見せてくれた資料は、国内に有る戦争博物館や記念館の調査員が纏めた機材や展示車両の目録で、それには【Ⅲ号突撃砲戦車】の文字は一つも有りませんでした。つまり、戦後に個人的に運び込んだ物以外は無かった、と言う事でしょう。


 「……怪しい車椅子の元戦車兵に、国内に有る筈の無いドイツ軍戦車。俺は今までエレナ・シュミットと言う女性の事は救国の英雄だと思っていたが、果たして彼女は本当にそうだったのか?」


 柔和な印象を一変させて、真実を追い求めるジャーナリストの顔になったグラウニーさんはそう言うと、険しい表情になりながら考え事をしていたかと思うと、急に私の方に顔を向けて、


 「……悪いが、今度の取材に同席させて貰ってもいいかい? 俺もエレナさんの話を一度聴いてみたいんだ」


 そう懇願する彼の言葉は、有無を言わせぬ迫力があり、私は黙って頷くしか有りませんでした。






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