第2話・神との出会い
「――――――マサル」
(マサル?)
「――――マサル」
(マサル……そうか、俺か)
「――そうです。目を覚ますのです。マサル」
(誰だ?)
誰かの呼ぶ声に、俺は重い瞼をゆっくりと上げる。すると、暗かった世界に光があふれた。
俺はあまりの眩しさにふたたび瞼を閉じそうになるのをなんとか堪える。
目のピントが合ってくると、だんだん世界の輪郭がみえてきた。
とても広く白い場所に俺はいた。
病院かと思ったが、周りを見回してもベッドどころか壁もない。
本当にただ広くて白い場所だ。
あまりに不可思議なこの場所と、なぜこんな場所に自分がいるのかなど、たくさんの疑問が一度に頭の中に湧き上がる。
だが、そんな中でも頭を石で殴られたような衝撃と共にある記憶が思い出された。
「――えっ!?」
俺は慌てて自分の姿を確認する。
(てっ、手も足も付いているし、ちゃんと動いてる……でも、でも俺は確か――)
「そうです。あなたは死にました」
先ほどから聞こえていた誰かの声が抑揚のない調子でそう言った。
俺は勢いよく顔をあげる。
「そっ、そんな嘘だッ! だって俺はこうして生きているじゃないか!?」
「――いいえ、死んでいます。ですがそれは貴方の元の世界でそうなったというだけの事です」
と、俺の間近で目もくらむような強い光が生じた。
するとその光の中から黒い点のようなものが滲みでる。そしてその黒点は光を飲み込むようにして膨れ上がり、その形を徐々に人の形へと変えていく。
光が消え、あらわになった人影――それはひとりの女性だった。
その女性をみた俺は息を呑む。
その人の事を俺の少ない語彙力で表現するのならまさに天使。年は俺よりも上そうだが、絶世の美女と言ってもおかしくないだろう。
しかも絵画などから直接飛び出してきたかのようなその美女は――全裸だった。
人生20年。友達もほとんどいない奴が女性との縁などあるはずもなく、俺はお察しの通りの童貞だ。
健全な青年である俺も女性の裸をみたことがないわけではないが、それはすべて画面越しや写真でのこと。
そんな俺が目の前の――すごい綺麗なお姉さんの裸から目をそらすことなど――
「――ッ! す、すいませんっ!?」
俺は慌てて目をそらす。
一瞬欲望に支配されていたが、正気に戻った。
(ダメだダメだ! あんまり見ては失礼だ! 犯罪だ!)
「ふふふっ、マサル。顔をお上げなさい」
はじめて感情のようなものが感じられる声でそう言われ、俺はどきどきしながら恐る恐る顔をあげる。
――裸をもう少し見てもいいのだろうか。
だがそんな俺の淡い期待はたやすく打ち砕かれる。
「えっ?」
「どうしましたマサル?」
「いや、えっと、その……いつの間に服を?」
そう、目の前の美女はいつの間にか白い服を身にまとっていたのだ。
……ちょっとがっかりしたとか思ったらいけないよなぁ。
「あら、先ほどの方がよかったですか? それならばこの服は消しますが……」
「あっ、いえ! 嘘です! その嘘というか、そのままで! そのままでお願いします!」
俺は己の欲望を押し殺し、なんとかそう言った。
目の前の美女はそんな俺の心の内を見透かすような笑みを浮かべる。
そして柔らかそうな唇をゆっくりと開いた。
「マサルあなたはやはり純粋な人のようですね」
「いや、純粋というかチャンスに恵まれなかったというか――って、そんな事はどうでもいいんですよ! ここはどこですか!? あなたは誰なんですか!? 俺は一体どうなってるんですかッ!?」
おかしな事が起こりすぎてすっかり忘れていた疑問を俺はぶちまけた。
「いいでしょう。お答えします」
美女はそう言うと淡々とした口調で説明をはじめる。
いわく、彼女は異世界の神であると。
いわく、ここは狭間の世界なのだと。
いわく、俺は元の世界では死んでいて魂だけでここに在るのだと。
いわく、俺は勇者になるために神に選ばれたのだと。
「――意味わかんねぇ」
話を聞いた俺は素直な気持ちを口にした。
だが目の前の自称神様はきょとんとした顔で首をかしげる。
「そうですか? では最初から説明を――」
「いやいやいや、何回説明されたってこんなのわかんないでしょ!? っていうかありえないだろ!?」
「なぜそう思うのですか?」
「自分が死んだっていうのも実感がないのに、よくあるアニメの異世界転生ものみたいな展開が起こるわけ……」
「マサル――ですが、あなたの世界にもそのアニメと呼ばれる名前で異世界は在ったのでしょう? それならば、それが私たちの世界で在ってもおかしくはないのではないですか?」
「なんかますますよくわからないんですけど」
「よくわからなくてもいいのです。わかる必要もありません。在るものは在るのですから」
ふふふっと、自称神様は微笑む。
下手に美人だからなんかむかつく。だが、ひとつだけわかった事がある。
この人と話していても埒が明かないという事だ。
だが、いま起こっている事が不思議な出来事であるのは認めよう。でも、きっとこれは夢だ。そうに違いない。
よく言うじゃないか。死にそうになると三途の川を見るとか……きっとこれはそういう類のもので、目を覚ませばまたあの何もない、代わり映えのしない世界が待っているんだ。それがいいか悪いかは置いておくとして――そうだ。きっとそうなんだ。
「マサル、残念ながら貴方がその世界で目覚めることはもうできないのです」
俺の心の声に応えるように自称神様はそう言った。
少し気味が悪くなってきた俺はごくりと息を呑む。
この人――俺の心が読めるのか?
「ええ、先ほど言ったように私は神ですので心を読むくらいはできますよ」
「じゃあさっきから話してる事は――」
「本当の事です。あなたは元の世界ではもう死んでいる。そして貴方は私に勇者として選ばれました」
「それは間違いないんですね」
「ええ、間違いありません」
……死んだ。やっぱり俺は死んだのか。
認めたくない。でも、トラックが迫ってくる記憶が俺の最後の記憶だ。ここで目を覚ました時もその事を思い出した。
あの生々しい記憶が本当だとしたら、確かに俺は死んでいることになるだろう。
目標も夢もなく生きてきたからいつ死んでもいいとは思っていたが、いざ本当に死んだとなるとやはりいい気分はしない。
ふと両親の顔が頭に浮かぶ。
父さんや母さんより先に死んだのはさすがに申し訳ないな。
「ご安心なさい。貴方のご両親は優しく強い方です。今は悲しんでいますが、必ず前を向いて進んでいきますよ」
「はは……神様がそういうのなら少しは安心かな」
「あら、マサル。ようやく私を神だと認めてくれたようですね」
「認めたというよりも考えるのを諦めたというか……俺ってそういう奴なんですよ。
自分でなにか決めたりとか面倒じゃないですか、流れに身を任せる方が楽だし、まあだからあなたが神様だって言うならもう信じますよ。うちの両親にはよろしく言っておいてください」
「私は貴方の世界の神ではないのでどこまで出来るかわかりませんが――善処はしてみます」
「それはどうも。それでなんでしたっけ? 勇者とかやればいいんでしたっけ? どうするかはよくわかりませんけど、これだけは言っておきますよ。俺にあんまり期待しないでいてください」
「あら、なぜですか?」
「なぜって……俺って勇者っていうよりモブキャラみたいな奴ですから」
「モブキャラというのは私の世界にない言葉なのでよくわかりませんが――マサル、貴方なら大丈夫。私が選んだ者なのですから、自信をお持ちなさい」
「そんな事言われてもなぁ……そもそもなんで俺なんですか? もっといい人がいたでしょうに」
「ひとつは貴方の魂が穢れなく清らかだったこと。ですが、それよりも大事だったのは貴方が自分でも気づいていない大きな力を持っていたからです」
「俺に大きな力?」
「ええ、それは多くの人も持っていますが、きっと勇者になれるほどのモノを持っているのは貴方だけでしょう」
「それはなんなんですか?」
「残念ながらそれをお教えする事はできません。勇者には試練を与えねばならないのです。ですが、貴方ならきっといずれわかるでしょう」
「……なんかテンプレみたいなものはどこにでもあるんですね」
「ふふふっ、ですが私もそんなに意地悪ではありません。あなたにひとつ力を授けましょう」
そういうと、美人の神様が俺の頬にそっと両手を伸ばす。
そして潤んだ瞳で俺を見つめながら距離を近づけてくる。
(こっ、これは!?)
穢れなき清らかなる魂――童貞魂を持つ俺は、この後起こるであろうことに胸を高鳴らせながらぎゅっと目を閉じて迫る美女に向かって唇を尖らせた。
だが、やってくるとはずの感触はいつまでもやってこない。
と、唇ではなく俺の額にとても柔らかいものが触れた。
「貴方に神の祝福を」
そう言う神様の声が聞こえた。
その声を聞いてそっと目を開けると、突然白い世界全体が大きく揺れた。
そして白を塗り潰す黒がそこかしこからあふれ出し、世界が文字通り崩れていく。
俺は驚いて周囲を見回しながら言った。
「ちょっと神様! どっ、どうなってんですかこれ!?」
「どうやら魔王に気づかれたようですね」
「ま、魔王!?」
「そうですマサル。私たちの世界――アイテールは、いま再び魔王という存在に脅かされています。魔王は私の力も及ばぬ異なる存在。同じ異なる存在である貴方ならばあの者を討ち滅ぼす事も可能でしょう。突然で無茶なお願いなのは承知しています。ですが、どうか私たちの世界を、あの人を――」
いまにも泣き出しそうな顔をした神様の姿や声が、白い世界を飲み込む暗黒に蝕まれて消えていく。
「――ッ!」
俺はそんな神様に向けて、手を伸ばした。
だが神様は伸ばした手を掴むことなく微笑む。
そして彼女の言葉が俺の頭の中に響き渡った。
「世界を救ってください勇者よ。お願いします」
神の言葉と共に俺の額が燃えるように熱くなる。その熱さは額から胸に、手に、足に、全身に伝わった。
そして神をも飲み込んだ暗黒が俺を飲み込もうとしたその時、眩い光が闇を払う。
「―――――――!」
―――――――
――――――
――――
――