私は快楽殺人鬼
春の日曜日の昼時。
一人の少女が公園のベンチに座っていた。
公園、とは言うものの、そこは腹筋を鍛えたり、柔軟性を測ったりするための健康遊具が置かれているため、昼時だというのに子供の姿はない。
同時に、その時間帯ゆえにお年寄りもいないのだが。
少女はちょうど陽のあたるベンチの上で、携帯をいじるのでもなく、読書をするでもなく、ただただぼぅっと無為を貪り、また堪能していた。
そこに、一つの影が近寄る。
「おや、先客がいたとは驚きだね。こんにちは。」
「……?こんにちは……」
話しかけてきたのは40代くらいの中年と言って差し支えないであろう人だった。
中年が驚いたように少女に話しかけると、少女は不思議そうにしながらも挨拶を返す。
中年は「隣り、いいかな?」と言いながら少女の隣りに座った。少女はその態度に思わず中年を半眼で睨めつけてしまうが、過ぎたことだと諦めて少し腰を浮かし、ベンチの端に寄った。
「そんなに睨まないでよ。私だってこの時間にこの公園に人がいて驚いてるんだから。」
からからと中年は笑いながら少女にそう話しかける。
そのセリフが少し引っかかったのか、少女は中年に質問をする。
「……ここにはよく来るんですか?」
「ん?うん、よく来るよ。ここは気分が落ち着くからねぇ。」
中年は少女との会話が楽しいと言わんばかりに目を細めて笑った。
「好きなんですね、この公園が。」
「そうだね。特にこの時期なんかはポカポカした日差しが気持ちいいし、風は少し寒く感じる時もあるけど涼やかでいい。休みの日には必ず来てしまう。」
中年は少し遠くを見るように視線を前へと滑らす。
その目は虚ろで焦点があっていなかった。
その目はまるで現実逃避をする少年少女のようだった。
その目のまま中年は少女に語る。
「たまに思うんだ。いっそ全てを投げ出せたらなぁって。時々思うんだ、私はどうしようもないほどの社会不適合者なんじゃないかってね。」
少女は中年がここではないどこかに行ってしまったかのような感覚に襲われる。
このままどこかへ消えてしまうのではないか。そういった疑念が少女の中を駆け巡った。
少女は中年をここに繋ぎ止めようと質問をする。
「……そういえば、【休みの日には必ず来てしまう】って言ってましたよね?お仕事は何をされてるんですか?」
「人殺しだよ。誰かに頼まれて人を殺すのが仕事さ。」
他愛もない質問のだった。
他愛もない質問のはずだった。
少女は何を言われたのか分かっていないかのように、分かってはいても理解を拒むかのように口をぱくぱくと動かすだけで二の句が継げない。
それを知ってか知らずか中年は続ける。
「私はね、快楽のために人を殺しているんだ。」
「え……ぁ…………!?」
少女は中年を見て絶句する。無理もない、温厚そうだと思っていた中年が、自らは快楽殺人鬼だと言ったのだ。
少女の奥歯はガタガタと鳴り、腰が抜けてしまっているからか足が震えているからかベンチから立ち上がることが出来ていない。見開かれた目は逸らすことができないかのように中年を見つめている。
しかし中年は心ここに在らずといった具合に少女のことなど気にもとめず話し続ける。
「昨日も一人殺したよ。この時期は多いんだ……クリスマスの影響かな?彼か彼女か知らないけれど……まぁ彼にしようか。彼らを疎ましく思う人がこれほど多いなんて、この仕事をやる前は思ってもみなかったよ。」
そう言って中年は自嘲気味に笑う。
中年は変わらずどこか遠くを見ている。
「どう……して……?」
「ん?」
「どうして……人を、殺すん、ですか……?」
少女は中年にそう訊ねる。そう訊ねられて中年がどこか遠くから少女の隣へ戻ってきた。
少女はまだベンチから立ち上がれずにいる。
「頼まれたからだよ。」
中年は少女の質問にそう答えた。
「頼まれたから、殺した。快楽のために、殺した。」
少女は意味がわからないといったように頭を振る。それは拒絶の意を示しているのか、はたまた自らの頭に浮かんだ考えを振り払うためか。
そんな少女を見て中年はため息を吐いて喋りだす。
「……私だって、こんなことはしたくはないさ。でもさ、仕事だからやらなくちゃいけないんだよ。」
そう言われて少女の表情は、まだ怯えが見えつつも疑念に彩られた。
中年は少女をまっすぐ見据えながら話し続ける。
「私だってこんなことになると思って今の仕事に就いてはいないさ。仕事を頼んだ彼女たちの快楽のために人を殺して、その誰かの笑顔を見るなんて、胸糞悪いよ。彼女たちには人の心がないんじゃないかとさえ思う。」
中年の声音はだんだんと激しくなり、怒りにも似たその激情はヒートアップする。
中年はその激情に身を任せて立ち上がり駄々をこねる子供のように叫び散らした。
「私がしたかったのはそんなことじゃない!私は白無垢な彼らを言祝ぎたかったんだ!私がしたかったのは誰かの快楽のために人を殺すことじゃない!本当は彼らに精一杯の祝福を、福音をあげたかったんだ!出来ることならこんなことなんて、したくはなかったんだ!!」
少女は叫び散らす中年の様子をただ呆然と眺めていることしかできなかった。
中年は肩で息をしている。しばらく当てもなく歩いた後に、落ち着いたのか少女の隣りに座り直した。
その姿は初めて会った時よりも小さく、不用意に触れれば砕けてしまいそうなほど華奢に見えた。
少女の表情に恐怖の色はもうなく、足も震えてはいない。
だが、少女はその場から離れられずにいた。
しばらくの無言が続いたあと、中年が急に少女に言う。
「……ちょっと感情的になりすぎたね。ごめんね?私は明日仕事だから帰るよ。」
中年はベンチから腰を上げ、来た道の方へと戻って行った。
しかし中年は何かを思い出したかのように途中で振り返ると少女に向かい言った。
「君は、私の世話にならないようにね。今はまだ早いかもしれないけど、彼か彼女かの命を粗末にはしないでね。」
そう言って中年は今度こそ帰っていった。
それ以降少女はあの中年には会っていない。
少女は中年と会わずに済むように、しっかりと注意を払うように心がけていたらしい。
虚木 那奈白と申します。
全体的に書く話は暗いものばかりだと私自身は思っております。
別の角度から物事を見るとこうなるかも、みたいなものを書くのが結構すきです。
が、下手の横好きですので文章力についてはご容赦ください。