24 天使が望むもの
「ハルムは…天に帰っても消えてしまうのですか」
フランカは女神に尋ねた。
たとえ天に帰ったとしても、孤独に耐えきれなかったら消滅してしまうと女神は先刻言っていたのだ。
『そうですね…ここでの記憶を消せばもしかしたら』
「そんなの嫌だ!」
女神の言葉を遮って叫ぶと、ハルムはフランカに抱きついた。
「忘れるくらいなら消えた方がマシだ」
「ハルム…」
フランカは手を伸ばすとハルムの震える背中を撫でた。
自分の歌を聴いて地上に落ちてきたハルム。
短い間だったけれど、家族のように過ごしてきたハルムが消えるのはフランカも嫌だった。
だから天へ帰したかったのだけれど…
ハムルが苦しまずに済む方法はないのだろうか。
すがる気持ちでフランカは女神を見上げた。
『もう一つ、上手くいくか分からないですが道があります』
フランカを見つめ返して女神は言った。
「それは…?」
『ハルムを人間に生まれ変わらせるのです』
「僕が人間に?」
ハルムは顔を上げた。
「そんな事が出来るのですか?」
『本来ならば不可能ですが、今宵は十年に一度の特別な夜。それに』
女神はフランカを見た。
『フランカ。未だ愛し子の力を持つそなたの子供にならば生まれ変わらせられるかもしれません』
「え…」
「フランカの子供?」
フランカは思わず声を上げたスヴェンと顔を見合わせた。
「僕がフランカの子供…になればフランカと一緒にいられるの…?」
『そうですね、少なくとも大人になるまでは』
「じゃあ、なる」
ハルムはフランカに抱きつく腕に力を込めるた。
『上手くいくかは分かりませんよ』
「はい」
強い光を帯びた瞳で女神を見て頷くと、ハルムはフランカの頬に手を添えてその顔を覗き込んだ。
「フランカ。僕が子供に生まれてきたら毎日歌を歌ってくれる?」
「———ええ…歌うわ、沢山」
「約束だよ」
「約束するわ」
「フランカ、大好き」
そう言うとハルムはフランカの頬に口付けた。
「…私も好きよ、ハルム」
同じようにキスを返すと、フランカはハルムを抱きしめた。
『それではハルム、こちらへ。フランカ、歌を捧げなさい』
女神の言葉にハルムはフランカから身体を離した。
「はい…何の歌を?」
『天使が産まれる時に贈る祝福の歌を』
「初めて聞いたフランカの歌だ」
ハルムは嬉しそうに笑顔を浮かべた。
礼拝堂にフランカの歌声が響いた。
ゆっくりとした曲調の、スヴェンには全く分からない言葉で———けれど聴いているうちに心が軽くなるような、温かくなってくるような感覚を覚える優しい歌だった。
バサリ、と大きな音を立ててハルムが翼を広げた。
光を帯びて金色に輝きだすと翼は大きく、長く広がっていく。
やがて翼だけでなくハルムも光に包まれ始めた。
歌い続けるフランカを見つめる紫水晶の瞳がゆっくりと———愛おしそうに細められた。
「フランカ」
口の動きだけでその名を呼ぶと、ハルムの姿は光の中へ消えていった。
静かな礼拝堂の床に、こぼれ落ちたように光の雫が残っていた。
「…ハルムは…本当に生まれ変われるのですか」
『それはそなた次第です』
女神はフランカの目の前に立った。
『フランカ。人間として幸せになりなさい。そなたが幸せな生活を送っていればハルムもまた戻ってこられますから』
「———幸せに…」
『フランカを頼みましたよ』
女神の言葉にフランカの傍に立つスヴェンが頷いたのを見て微笑むと、女神の身体が光を放ち始めた。
『わが愛し子よ。また十年後に歌を聴けるのを楽しみにしています』
ハルムと同じように女神も光の中へと消えていった。
空に浮かぶ女神の月と天使の星は重なり一つの光となり、海を明るく照らしていた。
金色に光る波が緩やかに岸へと打ち寄せ、心地の良い音を響かせている。
「きれい」
岬の先端で月を見上げるフランカの瞳は十年前とは異なり、穏やかな光を宿していた。
「…ちゃんとまたハルムに会えるかしら」
「大丈夫だろう」
スヴェンはフランカの手を握りしめた。
「———しかし、あいつが俺の子供になると思うと複雑だな」
「え?」
「まさか他の男と結婚する気か?」
きょとんとスヴェンの顔を見上げて、その言葉の意味を理解したフランカの頬がぱっと赤くなった。
「フランカ」
スヴェンは握ったフランカの手を自分へと引き寄せた。
「きっと幸せにする。君も、生まれてくる子供も。…俺と結婚してくれるか」
「———はい」
頷いたフランカをスヴェンは強く抱きしめた。
月明かりは静かに二人を照らしていた。




