13 月と海と過去
「十年前の祭りの時の事、覚えているか」
「え?」
唐突な言葉にフランカは首を傾げた。
「教会で祭りが終わったあと、ここへ来ただろう」
「…ええ」
祭りの夜はいつもより月が大きく、明るく輝く。
月明かりに照らされる海を見ようと岬へ向かったフランカを、一人で行かせる訳にはいかないとスヴェンが追いかけてきたのだ。
フランカは孤児院に来てすぐから、岬に来ては海を見つめていた。
毎日毎日、雨の日も、飽く事なく。
最初は危ないからと神父たちがやめさせようとしたのだが、海を見つめるフランカのひどく悲しげな眼差しと誰も近づけさせない雰囲気に、決して崖には近づかないよう約束させて認める事にしたのだ。
「あの夜。怖かったんだ」
「怖い…?」
「初めてフランカを見た時、天使だと思った。———それは単に、あまりにも可愛かったからだけど」
町の子供たちとは明らかに異なる、整った顔立ちの女の子。
スヴェンだけでなく当時孤児院にいた他の男の子たちも、皆が一目惚れしたようなものだった。
「だけどあの夜は…本当に天使になってしまうんじゃないかと思った」
フランカを抱きしめる腕に力がこもった。
「いつもここで海を見ているのに、あの時はずっと月を見ていただろう。目を逸らさずにずっと見つめ続けていて———あのまま月に攫われるんじゃないかと思った」
月の光を反射して金色に光る瞳は八歳の少女とは思えないほど大人びて。
透き通るような白い肌はまるで…人ではないようで。
翼が生えて飛んでいってしまうのではないかと幼いスヴェンは無性に不安に駆られたのだ。
———そういえば、あの時も月を見ていたら突然こうやってスヴェンに抱きしめられたんだ。
フランカは思い出した。
やがて出てきた雲に月が隠れ始め、月明かりがなくなり危ないからと諭され名残惜しみながらスヴェンに手を引かれて孤児院へ帰ったのだ。
「フランカ…どこへも行くな」
「え…?」
「ずっとここに、俺の側にいてくれ」
顔を上げると、不安そうに揺れる黒い瞳があった。
「———どこにも行く所なんてないわ」
スヴェンを見つめてフランカは答えると、視線をゆっくりと海へと向けた。
「私は…この海から離れないもの」
「海?」
「そう、海」
海と同じ色の瞳が前方を見つめる。
「全部消えてしまったけど…海だけは変わらないの」
「フランカは…いつも何を見ているんだ」
海を見つめながら、海を見ていない。
フランカの瞳はいつも目の前にないものを映しているのにスヴェンは気づいていた。
「———失くしてしまったものよ」
「失くした?」
「私の心の中にだけあるの」
フランカは視線をスヴェンと合わせた。
「…忘れられない人がいるの。もう二度と会えないけれど…私はこの先もずっと、その人の事を忘れないわ」
「…それは、男?」
「ええ…」
「いいよ、それでも」
そう言って自分を見上げるフランカの額にスヴェンが口付けると、フランカは戸惑うように視線を落とした。
「そいつはもう居ないんだろう」
「…ええ」
「フランカの心がここにないのは知っているから」
ぐ、とスヴェンは腕に力を込めた。
「今はどこにも行かないでここに居てくれるだけでいいから」
「でも…」
「フランカが居なくなるのが、俺は一番怖いんだ」
こめかみにキスが落ちる。
「今は心が他の男に向いていてもいい。だけどどこにも行かないと…俺の側にいると、約束してほしい」
「スヴェン…」
「俺にはフランカだけなんだ」
言葉と共に温かな感触がフランカの唇に落ちてきた。




