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死出山史実譚集  作者: 無名人
6/9

優太 〜記憶を行く者〜

志手山町は、僕のもう一つの故郷だ。僕の両親はそこで生まれ、様々な人の死を目の当たりにしてきた。

その町はもう滅んだが、両親も、僕もこの町を忘れる事は無いし、どんなにに痛ましい事があっても嫌いにはならないだろう。


僕には忘れられない事がある。それは一歳の時、志手山で、父さんに初めて抱かれた事だった。その時お父さんは、どういう訳か泣いていた。

あの時、何故泣いていたのだろう、直接本人に聞くこともなく、いつの間にか時は流れ、僕は両親から離れて一人暮らしていた。


そんなある日、奇妙な夢を見た。上下左右も分からないくらい真っ暗な所に一人居て、ずっと歩いている。自分の足音だけが頼りで、場所の感覚も時間の感覚も失われていく。

ずっと歩いているような気もするが、とうとう疲れて動かなくなってしまった。そして、地面に座り込んで休んでいると、背後から何者かが近づいて来た。

立ち上がって振り向くと、暗いのではっきりとはしないが、そこには長い焦げ茶色の前髪に、深緑の着物を着た男がこちらを向いていた。

僕はなるべく感情を表に出さないようにした、そうでもしないとあの男の何とも言えないような気迫に押されて、何処かへ飛んでいってしまうかも知れないからだ。


男はずっと本を広げていたが、僕を見てこう言った。

「ここは一体何なんだ?」

それは僕にも分からなかった。これが夢だと分かっていればそうだと答えるのだが、夢の中の自分にそんな事が分かるはずが無い。

僕が無言になっていると、また男の方からこう言って来た。

「私はずっと、この本を『完成』させようとしているのだ。だがそれには『死出山』で起きた出来事と、もう一個必要なものがある。それは……、」

男は僕に顔を近づけていた。

「…ここは闇の世界さ、きっと君の中にもこんな世界がある。見せてくれないか?私は君の心の闇が見たいんだ…」

その時、僕はこの男の目が見えた。それは人間の物とは到底思えないような不気味さで、血のように赤く、見開いていた。

僕は男から顔を背けようとしたが、身体が思うように動いてくれない。

僕がその場で跪くと、男は不気味は笑みを浮かべて、立ち去って行った。


目が覚めた、今まで暗い所しか知らなかった蝉が初めて地上に上がったような感じだった。

夢だというのに未だ自分の身体が傷んでいる。僕は支度をした後、彼女の萌にメールを送った。

『おはよう

萌、目覚めたのは良いけど変な夢を見たんだ。萌はそんな時はどうするんだ?』

朝ご飯を食べて、会社に行こうとした時、携帯電話のバイブが鳴った。

『Re:おはよう

優ちゃん、おはよう。なんかあったのかな?私もたまにそんな事があるんだ。

私はね、夢は自分への大事なメッセージだと思ってるけど、何かあった?もし、何かあったら私にも教えて欲しい。』

僕は色々考えたが、その時は心当たりは無かった。


しばらく経った日の事、大気はだんだんと熱されていて、蝉は地上に上って行く。そんな時、萌から急に呼ばれて、青波台の海辺にやって来た。

「大事な話って何?」

「実はね…」

萌は心なしか、顔色が悪いように見えた。

「私、妊娠したかも知れない。」

「えっ?!」

萌のお腹は以前とさほど変わらなかったが、萌の表情は不安と苦しみがあった。僕はそんな萌を見たくなかった、ましては、これから産まれる子供に自分と同じ目に遭わせたくなかった。だから…

「結婚しよう、この子は僕と萌の子だ。僕は二人の側に居て、共に困難を乗り越えたいんだ。それに、ずっとこうして付き合ってきたんだろう?萌以上に僕を分かってくれる人は居ないよ。」

萌は一瞬驚いていたが、瞳を潤ませて、抱き締めてきた。

「優ちゃん…、ありがとう!そっちからこんな事を言ってくれるなんて思わなかったよ、これからも、一緒だよ。優ちゃん…、いや、優太さん」

僕は嬉しくてしょうがなかった。だが、両親にどうやって伝えれば良いのだろう。


その週の休み、僕は久々に実家に帰った。

中は相変わらずで、僕の部屋もずっとそのままになっている。

母さんは居なかったが、父さんはずっと書斎で仕事をしていた。

僕がその襖を開けると、こっちを向いてこう言って来た。

「お帰り、優太。一体何があったんだ?」

僕は父さんの姿を見て、背筋に何かが打ち付けられるような感じがした。ずっと前に見た夢に出て来たあの男、その姿が父さんに物凄く似ているのだ。

ひょっとして、あの夢の男は父さんなのか?

僕は一息置いてから、こう話出した。

「実は…、夢の中に父さんに似ている人が出てきたんだ。その人は本をずっと持ってて…、それで僕の心の闇を見たいって言ってきたんだ。その時の目が狂ったような赤だった。あれは、一体何だったの?」

父さんはしばらく呆気にとられていたが、どういう訳か泣いて僕に抱き着いて来た。

「優太、ごめんな、ごめんよ……。ああ、間違いない、あれは昔の私だ。あの時の事、ずっと悔いてるんだ、だからあの時……」

その時、僕は一歳の記憶を思い出した。あの日、父さんは今のように泣いて、僕を抱き締めていた。

大切な人が出来て、やっと意味が分かった。ずっと抱えていた心の氷が溶けていくように、僕の中で答えが見つかったのだ。父さんは、あの一年間、僕を無視し続けた事を、大切なものを見失ったり、間違っていた事をずっと悔いていたのだ。

だが、今の涙はあの時と違う。悲しみと後悔ではなく、感謝に満ち溢れたもの。僕のいつの間にか涙を流していた。

「でも、父さん。あの時から変わったよね?ずっと僕を大切にしようって、独り立ちするまでずっと側にいようって、思ったよね?

僕をここまで育ててくれて、本当にありがとう……」

僕と父さんはずっと泣いていた、途中で母さんが帰って来たが、そんな事は全く気にしなかった。二人の涙が入り混じって、果たしてどっちがひどく泣いているのか分からなくなった。


ようやく心が落ち着いた僕は両親にあの話をした。

「実は…、萌さんと結婚する事にしたんだ。それと、子供も出来た。」

二人は突然の事で驚きながらも喜んでくれた。

「そうか…、孫の顔が見えるのだな。」

「うん、また顔出すからね。」

「優太、君には幸せになって欲しいんだ。私達はずっと苦しい思いもしたし、何かを失ったりもした。だから、それを乗り越えて、私達がどんなに頑張っても手に入れられなかったものを手に入れて欲しい。それが、今の私の願いだ。」

父さんはそう言って笑った。その表情はとても穏やかだった…。

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