Blaue Tasche
「わあ、ごん君! 見て、見て!」
その女性は、海風に飛ばされそうになる麦わら帽子を押さえながら、10センチ以上は背の高い、隣に立つ青年の半そでシャツの裾をくいくいと引っ張ってはしゃいでいた。
「あたし、こんな街中から水平線を見たの初めて!」
耳をすませば潮騒が聞こえそうなほど、目と鼻の先に青い揺らめきが広がっている。それでいて、都心部を思わせる喧騒の地。それがいま、彼女たちがいる街なのである。
無邪気に笑いながらぴょんぴょんと跳ねるたびに、麦わらのトートバッグも嬉しそうにつられて跳ねる。しかし、彼女に同行している彼だけは、喜びを分かち合えずにいた。
その青年は、高級そうなサングラスを額の上にかけ直して、機嫌を推し量れないほど小さな溜め息をついた。
「ミヤちゃんさ、早くホテルに行こうよ。暑すぎて干からびちゃうよ」
表情にこそ出ていないものの悲痛な彼の主張は、容赦ない日差しの中に空しくひびいた。そして、彼女は涼しい顔をして、見たことのない風景に魅入られたままだった。
「それと、『ごん君』って呼び方、やめてほしいんだけど」
身長の半分はあろうかという旅行用のカートを引きながらも、軽やかな足取りで一歩先を行く彼女に向かって、彼は不服そうに付け加えた。
「なんで? 『権三郎』だから『ごん君』でしょ?」
踵を軸にして器用に振り返った彼女に権三郎は驚いた。この茹だるような暑さの中で、彼女は玉の汗を浮かべながらも満面の笑みだったからだ。
「ていうか、よくそんな体力残ってるよね。僕はもう、限界が、ちかくて……」
足を踏み出すごとに息づかいが荒くなっていく権三郎を見かねた麦わら帽子の女性は、彼に持参した水筒を「はいっ」と手渡した。命の水を受け取った権三郎の手は女性よりも蒼白で、いかに外出と縁遠い生活を送っているか想像に難くないほどだった。そして、権三郎は震える手でワンタッチ式の蓋を開けると静かに口をつけた。
一方、水筒を手渡した女性はと言えば、元気を持て余していた先ほどまでとは打って変わって、権三郎の上下に動く喉仏を熱心に見つめていた。その様子は、さながら得物を狙う猫のようで、今にも喉の奥に潜む何かに飛びつきそうなほどだ。それに気付いた権三郎が、水筒を返しながら問いかけた。
「どうかした? 何かついてる?」
「ううん、別に。ごん君の数少ない男性らしさを堪能してただけだよ」
目を合わせた二人の間に、一瞬の静寂が訪れる。
「はあ……」
肯定とも否定ともつかない曖昧な声を出した権三郎の手を、女性がカートを引く手とは反対の手でぐいっと引っ張った。その拍子に態勢を崩した権三郎は素っ頓狂な声をあげる。
「ごん君のおかげでここに来られたんだもん。あたしが楽しまないと悪いと思ったの」
ああ、と納得半分、権三郎はこの美弥子という女性に恋をしていることを思い出した。