見えてなかった存在1
「ねぇ!起きなさいよ~ねぇってば~」
若い男の声がする。口調が少しオカマっぽい感じ。温兄の声ではないと思った。
ゆっくり目を開けるとぼやけた視界がだんだんとはっきりしてきて、ここが自分の知らない場所だということがうっすら理解できた。
ピッピッピッと電子音が聞こえる。
白い天井に白い壁、入口の扉の横には小さな洗面台があるのが見えた。
左手の小さなモニター画面には63という数字。その後ろに細い線の波形が映し出されている。どうやらここは病院の個室らしい。
力を入れて上半身を起こそうとすると身体中がとにかくギシギシと痛むので断念する。
せめて頭だけでも起こそうとしたとき頭の右側がズキンと痛む。
「アイタっ」と小さくつぶやいた。
動くのをひとまずあきらめ、天井を見つめながら記憶の糸をたどり始める。
(ナッツを追いかけて寺に行って・・・黒い人影が僕を階段から落とした・・・)
自分が階段から落ちてケガをしていることは間違いないと思えた。
しかし黒い人影が現れた事に関しては自分の記憶でありながら信じられない。
そんなことに思いを巡らせていると不意に
「身体痛むでしょ?大丈夫?」という男の声がする。
あわてて視線を下すと30歳くらいの男が扉の前に立っていた。
青いデニムジャケットに白いシャツと黒のパンツを合わせている。
シンプルなファッションだが彼のスタイルが良く顔が整っているせいですごくかっこよく見える。
私服なので病院関係の人ではなさそうだ。
お見舞いの人?親戚?僕にこんな知り合いはいない・・・はず。
病室間違えてるとか?
「えーっとどちら様・・・ですか?」たどたどしく尋ねる。
「ふふっよかった。ちゃんと見えてるし聞こえるようになってるぅ~」
胸元で手を叩いて何やら喜んでいる様子だ。
(話がかみ合わない・・・・一体誰なんだ・・・)
見知らぬ彼とのやり取りに不思議な違和感を感じ始めたころ
コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「ハイッ」と返事をする。
「大仏くん。失礼しまーす。」
若い看護婦さんが扉を開けて入って来た。
扉のすぐ先には男がいる。
しかし看護婦さんはそれに気が付かないのか足を止めずに進む。
(ぶつかるっ)そう思った。
しかし彼女は男の身体と一瞬だけ重なりスーっとすり抜けてしまった。
「わぁぁ!」僕は大声を上げた。
これまで生きてきた中で間違いなく一番驚いた。
「どうしたの?」と看護師さんが僕に駆け寄る。
「いっ、いま、男の人が・・・そこにいる男の人と看護師さんとぶつかってすり抜けて・・・」
うまく言葉が出ない
「え?なに?男の人?どこに?」
若い看護師さんは怪訝そうにあたりを見回す。
僕の目にはひらひらと手を振りながらにこやかに僕らのやり取りを扉の前で見守る男が見える。
「あそこにいますよね?男の人が」
扉の方を指さして言う。
僕の指した方にちょっと振り返り
「またまた~怖い怖い。何にもいないから~。」とひきつった笑いをしながら僕の方へ向く。
彼女は全く見えていないようだ。
(見えてないなんて・・・・ありえるのか・・・僕にはあんなにはっきり見えるのに・・・)
不思議なことに恐怖というものがあまり湧いてこない。
ぼんやりと彼の方を見つめる。
「あのね、もう気が付いてると思うけど私は人ではないの。」
「いろいろ説明したいところなんだけど、今日は目が醒めたばかりだし・・・明日ね」
そう言ってからフワッと僕の視界から男は消えた。
読んでいただきありがとうございました。