あの時が呼んでいる
僕はその時、まだ10歳だった。
親父はいつも呑んだくれていた。
畳みに座り、勢いのよくバァン!と手を叩き付けた先には、30代前半の鋭い眼光の細目男が皆を睨む。その手に握られたものから賽が二つのぞくと、親父は「畜生め!!」と胡坐の膝を叩いた。
僕は隙間を開けた障子をパタンを閉めると、溜息をついた。
今日も親父は荒れるだろう。
なんで博打なんてもんがこの世にあるんや!
博打さえなければ、こんな明日の飯もわからぬ生活をせんで済んだのに。
誰が考えたんや。
どうして生きるて事には、こんな罠があるんや。
親父を憎いながらも憎みきれない。
その頃の僕は幼いながらに、「不条理」ってものを知ってしまっていた。
親父は女もよく連れてきた。
僕がまだ外で棒切れを持って遊んでいると思ったのだろう。
荒い息遣いが聞こえると、そこには着物の裾から艶めかしく白い脚をのぞかせた女がいる。
僕は驚き、急いで逃げ出した。
川に座り、僕は汚いランニングに短パンで、文字を書いていた。
「バカヤロウ、バカヤロウ」
何度も書いては消し、書いては消した。
ふと、何かを感じて川を眺めると、川に何か太陽の反射のような白く眩しいものが光った。
しばらく見つめていると、それはまた光った。
太陽の反射にしては眩しかった気がした。
それを見ているうちに、僕の胸の中の暗い気持ちがスーッと白くなった。
不思議だと思いながらも、子供はそんな事を長く意に介さないものだ。
毎日、親父に殴られ、酒瓶が飛んで来ようとも、今の僕よりずっと逞しかったとすら思う。
その分、喧嘩で発散していたのだから。
自慢じゃないが腕っぷしは強かった。
誰にも負ける気がしなかった。
さすがに僕より頭一つ以上、背の高い年長の者が3人がかりで大きな石を持って殴りかかってきた時には参った。
僕はあばら小屋まで駈けていった。三人は後ろから疾風のように追ってくる。
あばら屋を背にすると、ひょろ細い奴がニヤリと笑った。
ケッ、畜生め。
さぁ、誰が最初に襲いかかるか、奴らは互いに気配を計っていた。
一番小さいのが、うわあ、と叫びながら襲いかかってきた。
奴の握り締めた石が頭に降りかかってくる。
さぁ、どうする。
このままじゃ頭がカチ割られてしまう。
おののきながらも怖気づいたら負けだ。
僕は瞬間、サッと身を屈めた。
見上げると奴の手はバリバリと音を立てて、あばら屋にめり込んでいた。
木のギザギザが腕に刺さっているのだろう。
「ギャアアアア」と悲鳴が頭上から聞こえ、真っ赤な血が、ぽたぽたとしたたっている。
そいつの腕を余計に木にめり込ませてやる。
「うわあぁぁ」
僕の目は鋭い土佐犬のように、狂ったようにそいつの腹に突進していく。
「た、頼むから、勘弁してくれ…」
とうとうそいつは観念した。
あとの二人は、呆然としながらその場に立ち尽くしていた。
「こ、こいつは基地外や」
石を捨てて、哀れな友も見捨てて、後ずさりしながら、逃げていく。
「なんて奴らや」
気を失って、壁にひっかかっている「そいつ」を、木の芽に逆らわないようにそっと外すと、地面にそっとおいた。
憐れみにも似た、おかしな感情が僕の心の底から湧いてきた。
今は争ったが、こいつも俺と同じ、惨めな人間なのだ。
あばら屋の反対側ならば、誰かが気がつくだろう。
反対側まで、そいつを引き摺っていき、そっと置いていった。