乳マシン
私は、乳マシン。乳マシンとなるために女に産まれた訳ではないが、
どんなに努力しても男には出来ないことだ。そのことを、時折誇らしく思う。
しかし私は、大量に出る乳マシンではない。
私の乳だけでは足りない息子は、しょっちゅうギャンギャン泣いてミルクも欲しがる。
そのたびにスプーン数杯の粉ミルクと熱した薬缶のお湯を哺乳瓶に注ぎ入れて、
流水で冷まして与えてみるが、彼の中でミルクだけでは足りないものがあるらしい。
ミルクを飲ませた後にフガフガ言いながら泣き続けることもある。
その時は、私の乳房を口に含むと落ち着いてくる。寝てしまうこともよくある。
乳マシンは、息子にとって必需品。目覚ましい成長を促す初めての食事であり、
寝つきが悪いときの眠り薬であり、私の免疫細胞まで溶け込んでいる特効薬だ。
それが、彼の身体の中にどのように行き渡っているかまでは分からないけど、
確かに彼は未だ病気というものに掛かっていない。
出産する前、乳というものは、当たり前に出るものだと思っていた。
乳を出す、乳を飲むという行為は、双方にとって初めてのことで、
母親の私は慣れずにおろおろするし、彼においては全く飲めなかった。
というより、彼は乳房を咥えても、すぐに離して泣き出すか、すうすう小さな寝息を立てて寝始めた。
出産の入院中に出会った多くの助産師たちは、私の乳がほとんど出ていないことを察して、
一日二リットルの水を飲めと言った。しかし、その水分は乳房には行き渡らず、
毎日、毎日、大量に尿として排出されて、私を戸惑わせた。
家に帰っても、彼は乳房を目の前にして、真っ赤な顔で泣くばかり。
これというのは、チョコレートの香りがして咥えてみたけど、
チョコレートドリンクはちっとも出て来ないではないか!という類の憤りに違いない。
私は彼の泣き声をそのように理解し、毎日祈るように大量のミネラルウォーターを飲み続けた。
乳の出を助けるという豆腐や納豆の類も、毎食欠かさなかった。
やがて私の乳房に幾本もの静脈が現れて、それが火照るように熱くなり、
パンパンに膨張してきた頃、枕の上に彼を横たえると、やっと咥えてゴクゴクし始めた。
これが出る、ということなのか、と私はホッとした。
彼が乳房を離すと、パンパンに張っていた乳房はしなしなと萎んでいて、
私は大きな犠牲を払いながら彼の小さな胃袋を満たした、という充実感を感じた。
母親の乳房を飲んでいたことは、きっと大きくなった彼の記憶には残らないだろう。
初めての乳マシンは、恋人ではなく母親なのだ。それは、母親自身の記憶として大事なことである。通常なら一年少し。長くても数年。いつか終わってしまうから。
こうやって立派な乳マシンであろうと苦労しながら、
愛おしい想いを持って大切に育てても、彼は他の女に取られてしまうのだ。
ともかく今は、彼の中で、世界一大好きなのは母親である私だ。彼は母親に恋をしている。
なぜなら、その場を少しでも離れたら、目を泳がせて母親を探す。やがて泣きだす。
そして抱っこを求めて、甘えながら乳房を含む。そのことに私は毎日幸せを覚える。
女に産まれて良かった。人生の中で、今いちばん化粧気もない私だけど、
私の中で、彼は夫よりも恋人だ。だから、これからもずっと乳マシンであり続けたい、と願う。