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  *


 どうしてこれを朝陽が持ってくるんだろう。朝陽が持っていたということなんだろうか。受け取りながら紗菜がそう尋ねるより早く、朝陽のほうから言ってきた。

「幹仁から話を聞いて、持ってたヤツのところから回収してきた」

 朝陽は紗菜の家を知らないはずだ。

「大変だったんじゃないの?」

「まあね。紗菜と中学が一緒だったヤツを探して、そいつから聞き出した。来ること自体は楽勝」

 じゃ、と言って朝陽は笑うと、これで用は済んだとばかりにさっさと出ていった。戸が閉まってから、紗菜は朝陽が自転車で来ただろうことを想像し、慌てて外に飛び出した。お礼を伝えていない。


「朝陽くん!」

 紗菜の読み通り、自転車はかなり向こうまで行っていた。

「はい?」

 朝陽はあっさり引き返してきた。自転車が紗菜のそばに停車し、サドルにまたがったままの朝陽の瞳が紗菜を捕えた。

 紗菜は少しもひるまずに言った。

「ありがとう」

 ん、と言って朝陽は心底嬉しそうな満面の笑みで返してきた。遠くからは見たことのある笑顔、でもこんなに間近で自分だけに向けられたことはない。


 嬉しがっている朝陽を見てこっちまで嬉しくなるんだからすごい、と紗菜は急に湧きあがった感情に驚きを隠しきれずにいる。誰かの笑顔にこんなにもどきどきするなんて、知らなかった。心臓の音がうるさいけれど、どこか心地いい。もっとこのままでなどと思ってしまった。


 それが伝わったわけではないだろうが、朝陽がぽつりと言った。

「今日のあいつらとアプリで話してたんだけど、紗菜って人気急上昇なんだよね」

「はあ」

 朝陽の話はよく頭に入ってこなかった。自分のことを言われた気がするが、人気急上昇だというのだから最近のアイドルかなにかのことではないか、と考えた。

 通じてないと理解したらしい朝陽の行動は早かった。

「あのさ、紗菜のこと言ってだよ。聞いてる?」

 下から紗菜の顔を覗きこんできた。ある程度の距離を置いてしか見たことのない見知った顔が、考えられないほど近くに急に来た。思わず紗菜は飛びのいた。

 聞いてる、と答えつつも動揺を抑えきれない。顔が熱い。


「それで」

と、なぜか朝陽のほうも紗菜から離れると同時にそっぽを向いた。

「幹仁のヤツ、紗菜が漫画借りてったー、必殺技気になるとかマジかわいいとか、自慢してきて」

 やっぱり紗菜には朝陽の言うことが理解できない。かわいいってどこが? 子供みたいってこと? それのどこが自慢?

 朝陽は横を向いたまま怒ったような顔つきだ。機嫌を損ねるようなことを言っただろうかと、紗菜はいよいよ混乱した。


「おっしゃることの意味がまるでわからないのですが」

「わからなくていい。……っつーか、わかってくれるな」

 きっぱり言い放つ朝陽。

 さっきから朝陽の態度がおかしいのは紗菜にも感じ取れた。しかしわからないものはわからない。心なしか顔が赤らんでみえるけれど、自転車で飛ばしてきたからだろう。わざわざ駆けつけてくれるなんて、本当に感謝だ。などと、この期に及んでそんなことばかり思っていた。


 おれも、となにかを打ち明ける気配に紗菜は朝陽を見上げた。いつも通りの穏やかで誰にでも好まれる優しげな顔つきに戻っていた。

「最初に紗菜に声をかけたのはおれなのに、ってイラついて。たぶん紗菜、手元に課題が足りなくて不安がっているんじゃないかなあと思って」

「ああ、当たってる」

「また当たった」

 子供じみた物言いに紗菜も笑いがこぼれた。場の空気が緩んだ。


「なんかさ」

「え」

「昼と雰囲気が違うね」


 ふっと朝陽が笑いかけてきた。

 言われて紗菜は自分の格好を改めて眺めた。膝丈のワンピースタイプの部屋着だった。Tシャツに短パンでなかっただけ救いだった。

「ごめん。お風呂入ったばっかでこんなラフな格好してて」

「それもあるけど、髪が」

「あ、うん。はい」

 学校では片側の耳の下で結わえている髪も、いまはまだ半乾きなのでおろしたままにしている。朝陽がそんな自分をまだ見つめているのに気づいて、紗菜は恥ずかしさに下を向いた。


「あの」

「うん?」

「じろじろ見ないで」

「ダメ?」

「ダメってわけじゃないけど」

「じゃあいいだろ」

「そんな」


 思い切って仰ぎ見た先で、朝陽が片手で口を覆いながらくすくす笑っている。住宅街とはいえ、まったく人が通らないわけではない。男の子とふたりでいちゃいちゃしていたなんて噂が流れたらどうしよう、と困り果てていると、やがて笑いが止んだ。


「デート行かないのかって聞いたけどさ」

 こちらがご近所の目を気にしだした途端、急に何を言い出すんだこの人は、と紗菜は気が気でない。

「おれもなんだよね」

「なに?」

「おれもそんな相手、いない」


 嘘、と言ってしまいそうなのを紗菜はようやく堪えた。堪えないほうがよかったかも、と変に冷静な自分が考える。

 朝陽にデートする相手がいない。わざわざ教えてくれる意味を嫌でも妄想してしまう。期待してしまう。   違うなら早く続けて言って! なにか言って! 

 そう思うのに、目は朝陽が乗っていたはずの青い自転車が道の端に立てかけられているのを発見する。時間をかけて話そうという姿勢に見えなくもない。

 盗み見た朝陽の顔がはっきりと赤かった。無駄に発揮される観察眼が憎らしい。


「紗菜」

 いつのまにか朝陽の顔が真横に来ていた。身じろぎひとつできないまま、かろうじて、なにと聞き返す。

 紗菜の緊張を見て優位に立ったのだろう。朝陽は持ち前の余裕を発揮して――。

「紗菜。今度、デートしよっか」

「朝陽くん」 


 夢みたいだった。どういう位置関係にあるのかすっかり忘れた紗菜が朝陽に向き直ろうとしたところ、接近しすぎていることに一瞬早く気づいた朝陽が慌てたように退いた。それだけではなかった。

「違う、そうじゃなくて!」

 朝陽の手が紗菜を押し返していた。


 男の子の力は強い。紗菜は押された肩の鈍い痛みを感じながら、成り行きについていけずにぼう然とした。拒絶されたのだと思うや否や、涙が滲んできた。気持ちは浮上したぶんだけ落下も激しくなる。俯いた。

「あ、だから違うって。泣くな」

「違うって、なにが」

 慌てた声の主が覗きこんでいるのがわかる。荒っぽく突かれた肩に今度は同じ手がそっと置かれている。

「これじゃ余り者同士でどうにかしようって言ってるみたいだから。そんなの紗菜に失礼だ、って思った」


 拒絶ではなかった、と紗菜はようやく冷静さを取り戻した。

「朝陽くんでも失礼とか、そういうこと考えるんだね」

「言ってくれるね」

 へへ、と泣き笑いの目を向けると、朝陽にも伝わったようだ。心なしかほっとしたような笑みを向けてきた。

「じゃあさ」

「うん」

「花火は? 花火しない?」



  *


 コンビニから戻った朝陽の手には外装の袋にシールが貼ってあるだけの花火があった。ナイロン袋に収まらないほど大きな手持ち花火セットだ。数が多すぎないかという心配を裏付けるように、パッケージにはデラックス版と書かれている。

 バケツの水だけでなく、風よけ用の缶詰容器まで用意していた紗菜を朝陽はさすがと短く評価すると、真剣な顔でろうそくに灯をともし、空の缶詰のなかに立てている。手際いいねと褒めても聞こえなかったのか、うんともすんとも反応がなかった。

 花火ができる場所をとっさに思いつかず、家の庭に朝陽を招き入れたものの、家族には見つかりそうだ。庭への来訪者をなんといって説明しようかと当惑する紗菜をよそに、朝陽は花火に張り付いたテープを丁寧に剥がしては一本一本ばらばらにしてゆく。


 ろうそくのほうが先に尽きそうに思えた無数の手持ち花火は、点火のあと色とりどりの光の花を散らし、朝陽と紗菜を楽しませた。遠慮がちに火をつけていた紗菜だったが、明るい火花を見ているうちに細かいことは忘れてしまった。

 花火の明るさが互いの顔を照らす。火薬の匂いが懐かしい。


 咳きこんだのを煙にむせているととったのか、朝陽が紗菜の腕を引いた。

「こっち。煙来ないから」

「あ。うん。ありがと」

 しゃがみこんだまま腕を取られて、朝陽のほうによろけたのをどうにか堪えた。ワンピースの裾を花火を持っていないほうの手でそっと伸ばす。

 なんとなく朝陽の視線を感じたものの右隣を確かめるのが怖くて、紗菜は花火の先端に視線を残したまま話を向けた。


「花火するの、今年初めてなんだ」

「おれは二回目かな。いや、三回か」

「私だけかな。今年は花火を何回やったって話を、夏になるたびにしている気がする」

 あー、と笑い混じりの声が隣で長く続いた。

「そういやそうだ。毎年言うな。なんでなんだろうな、あれ。っていうかさあ、紗菜。それ新事実。新発見。すげえ」

 子供のように朝陽は興奮している。紗菜のほうが恥ずかしくなる。

「そんな、言うほどのことでは」

「だってさ、毎年言ってるのに、毎年言ってることを意識してなかった」

 本気で褒めているらしい。紗菜は照れくささをごまかそうとした。


「毎年言っていても、去年までのことは結構曖昧になるよね。キャンプみたいな行事と一緒にやったのなら覚えていられるけど」

「うんうん、去年もそのまえもごっちゃになるな。家の近いもの同士でいつもやってるから」


 不自然に会話が途絶えた。

 紗菜にも理由がわかっていた。朝陽の花火が先に消え、紗菜の花火も光をなくした。朝陽は次の花火に手を伸ばさない。紗菜の終わった花火を奪うように取り、紗菜の側に置いてあるバケツの水に放った。

 

 朝陽は覚えていてくれるだろうか。

 来年の夏になっても、その先の夏が来ても、朝陽は紗菜と過ごした八月三十一日のこの花火を忘れずにいてくれるだろうか。


 紗菜は忘れない。思いつきをすぐに実行する朝陽の行動力に見惚れた。付き従うのが一緒にいて当然の行為に思えた。次になにを言ってくるのか見当がつかず、驚くくらい人との距離を詰めてくる男の子。

 サッカー部の人たちと思うように仲良くできず、最高とは言い難い夏休み最後の日かと思ったけれど、そうでもなかった。最後の最後に、特別なひとときをくれた。



 朝陽が次の花火を炎に伸ばした。先端に火がつくのを紗菜は黙って見ていた。

「なあ」

「うん?」

「紗菜の気になってたヤツと少しは仲良くなれた?」


 わずかに思いを巡らせたのち、紗菜は頷いてみせた。声には出せなかった。勝手な思い込みかもしれないけれど、少なくとも自分は仲良くなれたと思っている。

 おれも、と流れ落ちる火花の音にかき消されそうな声が聞こえた。花火に顔を照らされた朝陽が静かに微笑んでいた。

「夏休みの最後に、気になってた子と花火ができた」


 

 信じられなかった。紗菜は目を逸らすことができなかった。朝陽を凝視する時間は朝陽の着火した花火三本分に及んだ。

「あんまり見ないでくれる?」

「ごめん。でもびっくりしちゃって」

 朝陽も一瞬たりとも紗菜に目をやることなく花火に向き合っていた。動揺していない、わけでもないらしい。白い光に照らされているわりに、顔が赤らんでいる。

「そうかな。わりとわかりやすかったと思うけど?」

 笑いを含んで吐き出された息は今日何度目だろう。紗菜は朝陽を見つめながら、この人のこの笑いかたがとても好きだと思った。


 差し出された花火を無言で受け取り、紗菜はろうそくの火に向ける。螺旋模様の色紙の巻かれた花火はシュッと音を立ててピンク色の光を落としはじめる。

 そこに横から棒状の花火が差し入れられた。朝陽の花火だった。無言でもらい火をした朝陽は、近づけていた花火を自分の正面に向けてなんでもない顔をしている。

 暖かい色に照らし染められた横顔を見ながら、紗菜は思った。次は私から近付いてその火をもらおう、と。

 持っていた花火が終わると、紗菜は新しい花火をひとつそっと選んだ。


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