顕現:ハロー・アナザーノア
ルールは簡単! 現在、赤月クンとアンドロちゃんを含む五人が、この亜空間校舎の中にいまァす! そしてなんと、五人の中には裏切り者の殺人鬼が潜んでいる訳ですよ。
殺人鬼は赤月クンを殺そうとしますから、ここから脱出したければ、殺人鬼を見つけ出して逆に殺しちゃってくださァい!
つまり、赤月クンが殺されたらゲームオーバー。テンノコエの勝ちですねェ!
逆に殺人鬼が殺されたら、赤月クンの勝利です!
赤月クンはペットの手綱……おおっと失敬、アンドロイドの操縦桿を握ってうまァ〜く従えつつ、殺人鬼を殺してくださいネ!
なお、赤月クンか殺人鬼かのどちらかが死ぬまで、亜空間からは解放されませんので、悪しからず。
では! ご武運をお祈りしてますゥ! いっぱいテンノコエを愉しませてチョウダイな!
***
「冗談じゃねえよ!」
衝動を抑えきれず、俺は教室の花瓶を怒りのままに叩き割った。放送が途切れて再び静かになった教室の中、甲高い音を立てて破片が飛び散り、半分枯れている忘れ去られていた花が床に放り出される。
物に八つ当たりしても解決しない。だが、どうしても納得できなかった。
俺にだって分かる。このゲームで圧倒的に不利なプレイヤーは、深楽だ。
殺人鬼も狙われる点では深楽と同じだが、正体はばれていない。深楽はハンデを背負いすぎだ。
……でも、まあいい。
今しがた決意を固めたばかりじゃないか。どれだけ不利な状況でも、俺が守りきれば済む話だ。
俺は深楽の方に向き直った。深楽は命が狙われている状況だというのに、動揺もせず怯えもせず、黙って何か考え込んでいた。
「深楽、ここから移動しよう。とりあえず隠れるべきだ」
「隠れてるだけじゃ事態は解決しないっぽいよ?」
「深楽は隠れてていいんだよ。解決するのは俺の仕事だ」
だがその発言は深楽の癇に障ってしまったらしい。明らかにむっとして、優しげな目尻を吊り上げた。
「またそうやって突っ走ろうとして。マスターが誰か忘れたの?」
「そういうんじゃないっての。さっき放送に遮られて言いそびれたけど、俺のマスターは深楽だ。他の誰でもない」
「そう、そうだよ。だったら僕の言うこと聞くべきじゃない?」
「でも、マスターを守るのもアンドロイド仕事だろ」
俺は愛玩用のアンドロイドとは違う。深楽を守ることが第一優先だ。
「深楽が隠れてる間に、他の三人を俺がビームで撃ち殺す。そうしたらこんな亜空間とはおさらばだ」
「……まさか全員殺すつもりなの?」
「全員殺せば誰かしらが殺人鬼」
「不許可。マスター命令ね」
呆れたとばかりに額に手をやり吐息を漏らす深楽。
俺だって倫理システムを積んでいるのだから、それは非道徳的だと分かっている。命は一つ限り、尊いものだ。
だがその他大勢の命と深楽の安全を天秤にかけると、どうしてもそういう結論に至ってしまう。
「他の三人には殺人鬼だけじゃなくて、僕たちみたいにただ巻き込まれただけの一般人もいるかもしれないでしょ? それこそ、この学校の生徒とか」
「………………」
「それを考えた上で撃ち殺すつもりだった、と?」
「…………悪かった。…………………ごめんなさい」
マスターに怖い笑顔でいびられてしまえば、アンドロイドとしては素直に謝るしかない。
「じゃあ逆に訊くけど、深楽はどうするのが最善だと思うんだよ?」
サーバに接続できないアンドロイドより、深楽の方がよっぽど出来がいい筈だ。意見を伺うと、深楽は腕を組んで唸った。
「うーん……」
そのまま目を閉じて瞑想すること、十秒。
「取り敢えず購買で腹拵えでもしようか」
にっこりと満面の笑みを浮かべて提案する深楽を見て、俺は悟った。
マイマスターはノーアイディアだ、と。
***
何はともあれ、このような状況になってしまった以上、隠れるところも碌にない教室に留まり続けることは危険だ。
よって深楽に従い、二年A組の教室を出て、一階の食堂に立ち寄ることにした。
「わぁ、人がいない食堂って新鮮だ」
私立の中高一貫校であるため、食堂は極めて広い。二階のテラス席まで誰もいない無人の食堂というのは、奇異な光景だった。
「なんでそんなに楽しそうなんだ……」
その無人の食堂の中を楽しげに歩き回る深楽の後を追いながら、俺はぼやいた。自分の命が狙われているのを忘れたのかと思う程に、深楽は危機感がない。
俺の言葉に振り返った深楽は、やはりいつもと変わらない笑顔を浮かべる。
「どうしてだろうね? 非日常感に刺激されて躁状態なのかも」
「殺されるかもしれないのに?」
「心配はしてないよ。だって僕にはノアがいるしね」
くそ。それを言われると何も言えなくなるじゃないか。
嬉しさと上手く丸め込まれた悔しさに悶絶している俺を横目に、深楽は食券機の脇にある購買ブースを物色し始めた。
「どうしよっかなぁ。あ、ノアも食べる?」
「俺はいいよ。有機物からのエネルギー摂取は効率悪いしな」
アンドロイドである俺だが、人間と同じように食物からエネルギーを得ることも可能だ。
だが最も効率がいいのは、機体にプラグを差し込み、電気をエネルギーに変換すること。つまりは携帯みたいに充電するのがいいってことだ。
深楽のすぐ傍にコンセントを見つけたので、早速充電するために、ポケットからコードを取り出す。
「ノアって普段からコード持ち歩いてるんだね」
「非常用だから効率悪くて時間かかるけどな。それでも有機物から充電するよりは全然マシだ」
「非常用? ノア、今エネルギー足りてないの?」
「いや、そんなことはないんだけど」
意図せず心配をかけてしまったので、慌てて否定した。
「なんか、アナザーノアがさっき充電しろって言ってたから……って、うわっ」
『ハロー・ノア。ハロー・マイマスター。自己監視システム、アナザーノア参上だ』
弁解しながらコードを自分の尾骶骨に挿し、プラグをコンセントに繋いだ瞬間、アナザーノアの声が響いた。
唐突な登場の上、しかもいつもと声の聞こえ方が少し違う。理由はすぐに分かった。
「君がアナザーノア? ノアから話は聞いてたけど、話すのは初めてだよね」
深楽が少々驚いた顔で視線を彷徨わせている。身体を持たないアナザーノアに話しかける際、何処に向かってすればいいのか計り兼ねているらしい。
そう、聞こえている。普段のアナザーノアと俺との会話は、俺の意識の中でのみ行われていた。自問自答を心の中でしているようなものだったのだ。
『非常事態だからな。自己監視システムが自己以外と会話するというのも可笑しな話だが、止むを得ず、だ。自己監視システムにもハンズフリー的機能は付いているのだよ』
「便利だね」
『腐っても次世代型アンドロイドだからな。……元・次世代型アンドロイドだったか』
「わざとらしく言い直しやがって。型遅れはお前も同じだからな……?」
相変わらずの嫌味っぷりに釘を刺すが、今度はこれまたわざとらしい沈黙。だんまりかよ。
「まあまあ。自分と喧嘩する程無意味なことはないでしょ?」
コードに繋がれて座る俺の隣に腰を下ろした深楽が、苦笑混じりに俺の頭を撫でた。これは完全に子供の喧嘩扱いをされている。
『教えてやろうか、マイマスター。ノアは今、深楽に撫でられて喜んでいるぞ』
「お前、本当に黙れよ?」
余計な口しか挟まないアナザーノアに凄み、ついでに隣で笑いを噛み殺しきれず震えている深楽の手を振り払った。
『では、ノアのご機嫌レベルが最低値に達する前に、今後の施策について討議でも始めるか』
どうでもいいことを計測する自己監視システムだが、これ以上何を反論しても無意味としか思えないので、突っ込むのは止めておくことにする。
気を取り直して、アナザーノアの言う通り、今後について考えることにした。
外部サーバと通信はできないが、俺も一応、思考システムは内蔵している。尤も、この応用の効かないチープな内蔵システムよりは深楽の方がよっぽど賢いかもしれないが。
『初めに明言しておくが、私はいかにも“頭が良さそう”な語り口をしているが、決して高度な人工頭脳は持ち合わせていない。何せ、ただの自己監視システムだ。基本的にはノアの各機能についての計測が専門なのだよ』
「それは分かってるよ。考えるのは僕の仕事だ。ビームを出して戦うのがノアの仕事で、君の仕事は戦うノアをサポートすること。ノアもそれでいいね?」
「……ああ」
深楽の方が頭がいいのは分かっているが、はなから期待されていないというのも、それはそれで複雑だ。
「改めて確認すると、テンノコエが言うに、この亜空間校舎に現在いるのは五人。僕とノアと、他に三人。ここまでは合ってるね?」
「そうだな。俺もそう認識してる」
「それから、この五人の中に殺人鬼が紛れ込んでるってことだけど……」
「深楽?」
妙に歯切れが悪くなったことが気になって右隣を見ると、深楽は端正な眉を八の字にして、少し困った顔をしていた。
「……うん。ここから生き延びて脱出するためにも、頭脳を担当する僕は考えなきゃいけないね」
「何の話だ?」
「シンプルなことだ。殺人鬼の容疑者を五人にするか三人にするかって話」
「………………えっと……?」
シンプルと言われても、何が何だか分からない。どういう意味だ?
『これだから旧型には困ったものだよ』と自分のことを棚に上げるアナザーノアのことはひとまずスルーして、深楽に説明を求める。
すると深楽は、自分の白い指を五本立てて俺に見せた。
「五人の中に殺人鬼がいるとテンノコエは言った。それはつまり、僕とノアも容疑者に入ってるってことだよ」
「は…………?」
俺も容疑者に入っているのは理解できる。だが、
「深楽は殺人鬼に狙われる標的だろ? 標的が殺人鬼なんて矛盾してるじゃないか」
「分からないよ。もしかしたら何らかの状況に陥れて僕に自害させるつもりかもしれない。そしたら僕は僕を殺す、僕が殺人鬼ってことで話は通るでしょ?」
「そういう可能性もあるかもしれないけどな……それは、除外してくれ」
深楽に深楽自身を疑ってほしくない。こういう状況になった以上、自分のことを一番信じてほしい。心を強く持たなければ、可笑しくなってしまう。
人間はアンドロイドと違って、身体も脆弱だが心はもっと脆弱だ。
「もしその話が現実に起こったとしても、俺が絶対にそんな真似はさせないから。だから、俺のことを疑うのはいい。でも、自分のことまで疑うなよ」
「――うん。ありがとう、ノア」
広げていた深楽の掌は、優しく握り締められた後、再び俺の頭を撫でた。今度ばかりはアナザーノアも茶化しはしなかった。
「でも、ノアを疑うこともやっぱり止めておくよ。可能性としてはあるかもしれないけど、考えるだけ無駄だからね」
訊き返すこともできなかった。深楽があまりに当然のような口調で、静かに言ってのけるから。
「もしもノアが殺人鬼だったとしたら、僕たちは一緒にここから出ることはできない。だって、標的《僕》が殺人鬼かのどちらかが死なない限り、ここからは出られないんだからね」
――でも、僕はお前を殺すなんて到底できないし、お前に殺されてやるつもりもさらさらないからさ。ねえ、ノア、
「そのときは心中させてやるから、覚悟してね?」
俺が深楽を裏切って殺人鬼になるなんて、絶対にないと断言できる、けど。
そのときの深楽の綺麗な笑顔はやけに狂気染みていて、疚しいことは何もないのに背筋が冷えた。