開幕:終わりの始まり
起動すると、見慣れた教室の風景が見慣れないものになっていた。
つい先程まで夕景を四角い窓枠に収めていた筈なのに、外はすっかり闇夜となっている。窓ガラスの向こう側には、月や星などの微かな光源すら見当たらない。天井の不気味に光る蛍光灯が消えてしまえば、たちまちここは真っ暗な心霊スポットに早変わりするだろう。
いや、既に心霊スポットと化しているか。夜の無人の教室に一人残されている時点で、ホラーゲームの序章を見ている気分だ。
俺はどうしてここで一人、眠っていたのだろう。居眠りしたまま夜になってしまったのかもしれないが、だとしたら見回りの教師に起こされている筈である。
そもそも、“プログラミングされている”この俺が、うっかり寝入って彼と逸れるなど、ありえない。
彼――赤月深楽の傍を片時も離れず、常に護衛をすること。それが俺、アンドロイド・ノアに最優先事項としてインプットされた最大の使命だ。
俺は機械だ。勿論、機械にもミスはある。止むを得ず深楽から離れてしまう事態もある。だが、俺にとっての睡眠は三大欲求としてのそれではなく、単なるスリープモード機能にすぎない。深楽から一定以上離れると、体温反応の消失によりすぐに感知できる。だがそれが機能していないとなると、俺は何処かが故障しているのかもしれない。
すぐに自己データの再認識をしなければ。失策を起こして失敗してしまう。エラーばかりのアンドロイドは粗大ゴミだ。粗大ゴミにマスターの傍にいる資格はない。
――おい、アナザーノア。深楽の体温反応が感知できない。俺のシステムに不具合は生じているか?
俺の奥底で眠っている自己監視システム“アナザーノア”に話しかける。このシステムには問題はないらしく、すぐに反応があった。
〈ハロー・ノア。時間にして五時間のスリープモードからやっとお目覚めか〉
俺のくせに俺に向かって嫌味飛ばす暇があるんなら、質問に答えろよ。
〈うむ、それもそうだ。お前は私で、私はお前だったな。さて、質問の答えだったか。結論から言えば起きていない。この機体は至って正常だ〉
なんだって? だったら何故、深楽を感知できないんだ。そもそも何故俺はスリープモードに入っていた? それ以前の記憶データを閲覧できないぞ?
〈矢継ぎ早と質問の多い奴め。感知できない理由は簡単だ、外部サーバに接続できていないから……つまり、インターネットに接続できない状況だからだ〉
……インターネット?
〈うむ〉
ここが圏外だって言いたいのか!? 冗談じゃない、このご時世ド辺境の片田舎だってネット回線ぐらいあるぞ! そんな訳ないだろうが!
〈そう言われても現にサーバに接続できていないのだぞ。ちなみに受信できないのはこちらの機体の不具合からではない。となるとやはり圏外か、もしくは妨害電波が流れているかのどちらかだ〉
嘘だろう……。サーバに接続できなきゃ俺はほぼ能無しじゃないか。
〈なんだ、自分でもよく分かっているじゃないか。その通り。サーバに頼りきりの超データ軽量化されているお前に現在できることは、緊急時のための戦闘モードへの切り替えのみ。つまり今のお前は、ビームをぶっ放せるだけのただの馬鹿ということだな!〉
やかましいわ! 俺はお前でお前は俺なんだから、つまりはお前だって馬鹿ってことだろうが!
〈ああ、野蛮なポンコツアンドロイドが何か喚いているが私には聞こえんな〉
いちいち癪に触る奴だな……!
〈さて、戯れはさておき。二つ目の疑問、何故ここでスリープモードを五時間も継続するに至ったかについてだが、どうも記憶データはクラッシュしているようだな。お前に閲覧できないデータが私に閲覧できる筈もない。機体のデータを分析するから、少し待ちたまえ〉
俺とお前の閲覧権限は同じだし、まあ当然か。
〈それから、私はしばらく黙ることになるからな〉
は? なんでだよ。
〈省エネモードというやつさ。できればすぐに充電してくれ。エネルギーが足りていない。では、グッバイ・ノア〉
あ、おいっ!
「…………本当に消えやがった」
しばらく待ってみたが、応答は途絶えてしまった。エネルギーが足りていないというのは俺も感じるが、すぐに電源が落ちてしまう程の危機ではない。
あのお喋りなアナザーノアが沈黙する程、これからの状況でエネルギーが必要と判断したのか?
考えても答えをくれるアナザーノアはいないので、俺は立ち上がった。とにかく、深楽を探さなければ。深楽が俺を伴わないまま帰宅するとは考え辛い。となると、深楽もまだ、この校舎の何処かにいる筈だ。
「ノア? 起きたんだね」
「深楽!?」
捜索を開始すべく教室から出ようとした正にそのときである。反対の扉が開いて彼は現れた。
男女問わず誰もが振り返るような美貌、だがアンドロイドとは違う人間らしいが故の美貌を持つ彼。柔和な顔立ちに更に柔和な笑みを浮かべてそこにいるのは、間違いない、赤月深楽だ。サーバへの接続だとか体温反応だとか、そんなものに頼らなくても断言できる。彼は俺のマスターだ。
「何処に行ってたんだ? ……というか、この状況はどういうことだ?」
深楽を守るべき立場である俺がこんなことを聞くのは情けないが、俺にはこの状況を理解することは不可能だ。
目覚めると深夜の教室に取り残されていた。
電波が届かずサーバに接続できない。
記憶データは飛んでいて、どうしてここでスリープしていたかも分からない。
こんなパズルを組み立てることは俺にはできない。何せ俺は、今や戦闘モード以外に機能のないただの馬鹿なのだ。
だが、頭のいい深楽にもそれは難問だったらしい。
「さあ? 目が覚めたらいきなり外が真っ暗になってて、ノアと二人っきりに取り残されててね」
話によると、深楽も記憶に混乱があり、目覚める前までの経緯を覚えていないらしい。
「携帯が繋がらないし、とりあえず近くの公衆電話を使おうと思ったんだけど、どうしてだか正面玄関も裏口も窓も、ついでに言うと中庭の扉も開かなくてね。どうしようもなくて戻ってきたって訳だよ」
出口が何処にもない。
連絡手段がないから、助けも呼べない。
「じゃあ俺たちは、いつの間にか学校に閉じ込められたってことか」
「らしいねぇ」
「おい」
「ん?」
「なんでそんなに呑気なんだ!?」
出席番号三十一番の甲斐田くんの席を拝借し、机の上に座ってリラックスする深楽。もはやお泊まり会のような気楽さを纏うマスターに頭が痛くなりそうだ。
どうして俺がこんなにもカリカリしているのかというと、俺のマスターである赤月深楽は、こんな安全が確認できないような空間に長時間滞在するべきではない人間だからだ。
改めて、深楽のスペックを紹介しよう。ちなみに俺の性能は最新アンドロイドに比べるとかなり劣る。俺は三年前、粗大ゴミ置場に不法投棄されていたのを深楽に拾われた中古品だ。三年も経つと、刻一刻と進化し続ける最新アンドロイドにはどうしても追いつけず――というか、俺の話はどうでもいい。
赤月深楽。十七歳の高校二年生。まず、美形。そして頭がいい。ただのハイスペックかと思いきや、運動神経はあまり良くない。
だが深楽は間違いなくハイスペックだ。何故かというと、端的に言えば家が金持ちの社長子息だからである。
深楽の父は、かの有名な赤月グループを運営している。赤月グループというのは様々な業界に影響力のある大きいグループで、うんたらかんたら――と、普段なら説明できるのだが、インターネットに接続できない俺はポンコツなので、カンニングできないとなると何一つ説明できない。
要は、大きい会社の偉い社長の息子で、頭がよくて女子にモテモテなのが赤月深楽様である、ということだ。
そんな深楽であるから、幼い頃は誘拐事件に巻き込まれたこともあり、かなり苦労をしてきたらしい。
だからこそ、俺という護衛アンドロイド・ノアがこうして付いているのである。
そして、護衛を必要とするような身分である深楽を真夜中の学校に置いておきたくないのは至極当然だ。どんな危険が迫ってくるか分からない。
だというのに深楽は、大らかというか危機感がないというか。まるで水に揺蕩っているかのような緩やかさのまま笑っている。
「でもノア、よく考えてみな。焦ったって僕たちは外に出られないんだ。どうしようもないよ」
「危機感が足りないぞ社長子息」
「危機感に怯えすぎだよ社長子息護衛」
「焦るに決まってるだろ! サーバに接続できない俺は、ただの喋って動いてビーム出せるだけの鉄の塊なんだぞ!?」
「わあ、ビーム出せる時点で凄いね」
「ビーム出せるくらいじゃ何かあったとき深楽を守れないだろ!」
ああ、サーバとの接続さえできればマスター護衛のために溜め込んだ様々な能力を発揮できるのに。尤も、外部と連絡ができる状況なら発揮するまでもなく助けを呼ぶのだが。
「……助け?」
「どうしたのノア?」
「そうだ、助けが来るじゃないか。こっちから連絡できなくても、深楽が家に帰らなければ、執事とかが探しに来るのか」
「あー、執事の田中さん心配性だもんねぇ」
田中さんにストレスを掛けないように気をつけないとねぇ、と深楽はしみじみと呟いた。そして、沈黙する。……何故黙る?
そのとき、静寂に包まれたことによって、俺はやっとこの教室に潜む圧倒的な違和感に気付いた。
静かすぎる。本来、教室にあるべきその音が、聞こえない。
「たぶん、助けは来ないだろうね」
なんてこともないような声音で、深楽が言った。
「時間が止まってる」
教室の壁に掲げられた時計は、時針、分針、秒針に至るまで全て、十二時丁度を示したまま死んでいる。
深楽がおもむろにカーディガンの袖を捲って見せてきた腕時計は凍っている。
システムとして内蔵されている俺の体内時計は、ぴくりとも動かない。
どうやら俺たちは、空間的にだけでなく、時間的にも閉じ込められているらしい。
「何に、巻き込まれてるんだ。俺たちは」
「分からない。分からないんだよ、ノア」
可笑しな世界に放り出されて迷子になった気分。容量超えしてしまって呆然とする俺に、深楽は静かに語りかけた。
「でも大丈夫、安心していいよ。ノアは僕の所有物なんだから、僕が守る。何も怖がらなくていい」
安心なんてできるものか。
サーバと接続できない俺は能無しだ。深楽の役に立てるかどうかも分からない。
その上、深楽に「僕が守る」とまで言わせてしまった。
「冗談じゃない」
俺は深楽に守られるお人形じゃない。
深楽を守るアンドロイドだ。
「……ノア、何処に行くつもり?」
「決まってる。出口を探しに行く」
「それはもう僕が探したよ。無意味だ」
「なら俺が作る。ビームで出口を作ればいい」
「無茶言わないでよ」
「行く! 俺が深楽を守らなきゃならないんだよ!」
「ノア!」
教室を出ようとする俺の身体を、深楽は引き止めた。後ろから強く抱きしめて、引き止めた。
熱を感じる。機械の俺とは違う、生身の人間の鼓動をゼロ距離で感じて、びくりと肩が跳ねた。
「ノア、言うことを聞いて。お前のマスターは誰か忘れたの?」
アンドロイドである俺の急所――枢密機能が詰まっている下腹部の辺りをするりと撫でる、深楽の指。
殴られたぐらいでは機能は揺らがない。柔らかな肌は見せかけで、システムを守るために中身は頑丈に守られている。だが、他の誰でもない深楽に触られるとぞくりと背筋が粟立った。
「お前のマスターは、誰?」
答えなければ。深楽に求めれたのなら、すぐに答えなければ。
「俺のマスターは――」
俺の言葉は途切れた。突如として流れた、耳を劈くような砂嵐によって。
『ZAaaaaaaaaaaa――!』
一瞬にして場の空気が一転し、俺と深楽は顔を見合わせる。次いで発信元を探すため視線を走らせた。それはすぐに見つかった。教室前方の壁の中央に設置された、校内放送用のスピーカーである。
砂嵐は五秒経った後、ピタリと止まった。だが、また俺は五月蝿さと不快さに眉を顰めることになる。
『ひゃははははははははは!』
スピーカーは向こう側から、気が違ったかのような気味が悪い笑い声を伝える。男か女かの判別もつかない奇妙な声。
『どォも! お取り込み中のとこ悪いですねェ、赤月深楽クンっ!』
その言葉に俺は咄嗟に深楽を庇う体勢を取り、身を硬くした。今の発言は間違いなく、俺たちを見ているからこそ言える発言だ。
何処から監視されている? 分からない。感知システムがないことが歯痒くて、そんな自分に苛立たしい。
「お前、誰だ」
声を低く問う。放送なのだから答えは望めない筈なのだが、やはり声の主は何処からか俺たちを監視しているらしい。会話は成立した。
『ひゃはははっ、殺気立ってるなァ、怖いなァ、番犬アンドロちゃん!』
「……なんだと?」
明らかに挑発を意図した発言だとは理解したが、それでも思わず息巻いてしまう。背後の深楽に肩を掴まれて、なんとか怒りを押し込めることができたが、ふつふつと腹の底には熱いものが溜まっていく。
「ノア、落ち着いて。――ねえ、天の声さん。何処の誰だか知らないけど、僕らをここに閉じ込めたのは君ってことでいいんだね?」
『おおっとォ? 飼い主の方は冷静ですねェ、駄犬の方とは違って!』
……深楽に目線だけで諌められたから何も言わないでおくが、そうでもなかったら口汚く反論しているところだ。百歩譲って番犬は許そう。だが俺はあくまでマスターに忠実な忠犬である。
『その通りですよ! 自分が赤月クンとアンドロちゃんをこの亜空間にご招待した案内人ですよォ、はい! そうですねェ。名前は、赤月クンがそう呼んだように、テンノコエとでも名乗っておきましょうかねェ!』
「亜空間……!?」
もしそれが本当なら、話には聞いたことはあるが、実際に侵入するのは初めてだ。
亜空間とは、現実世界から少し外れた空間のことを指す。管理人が設定したルール――この校舎の場合は“時間の静止”や“出入り口の封鎖”だろうか――に基づく亜空間を作ることは、今日の科学技術を以って、現実に可能となった。
勿論最新技術なので、金があればの話だ。莫大な費用を掛けてまで、こんな下らないことをする意味が理解できない。
「わざわざ亜空間なんてものを作り上げてまで僕たちを閉じ込めたい意味が分からないんだけどな」
深楽も同じことを思ったようで、訝しげに視線を鋭くさせた。
『意味? 意味ですかァ…………………………ひゃ、ひゃはっ、ひゃははははははははははははははははははは』
だが、返ってきたのは箍が外れた笑い声。キィィィンというハウリングも相まって、耳が壊れそうだ。
「何がそんなに可笑しいの?」
『可笑しいって、だって……意味なんてありませんよォ! こんなことをする理由なんて、強いて言えば楽しいからですよ!か』
「……楽しい?」
『はァい、楽しい! つまり自分は愉快犯っていう奴なんですねェ、はい!』
愉快犯とは、これまた厄介な奴に捕まってしまった。
放送が流れ出したとき、テンノコエを名乗るこいつは身代金目的の誘拐犯だと推測していた。それならば金の用意を深楽の家が約束すれば、なんとか切り抜けられるかもしれなかった。
だが、理性がちゃんと働いているのかも分からないイカれ愉快犯が相手となると、どう行動するのが正解なのかが難しい。
「おいテンノコエ。お前の要求はなんだ? 金欲しさに深楽を閉じ込めたのか?」
不安や怒りなど湧き上がってくるものを全て押し殺して、できる限り平坦な声で尋ねる。
『金? マニィ? やっだなァ、そんなもの要らないよ? テンノコエが欲しいのは金よりもォっと尊いもの!』
この世で最も尊いものはなんですか?
搭載された倫理システムはすぐさま答えを導き出した。それは、
『そう、命だよォ! テンノコエは君のマスターの命が欲しいんだよォ!』
――生命。アンドロイドの俺と違って、人間の命は一つしかない。記憶データと人格データさえ残っていれば俺は何度でも甦るが、深楽は違う。心臓が撃ち抜けば、後頭部を殴れば、頸動脈を切り裂けば、簡単に死んでしまう。そして永遠に甦らない。
『えら〜い社長の息子さんの赤月クンが殺されたら、世間は大騒ぎだねェ? 混乱する世論、怯える民衆……あァ、考えただけでゾクゾクしちゃうよォ!』
背後に庇った深楽の手を、後手にぎゅっと握った。するとそれに応えて、深楽も握り返してくれた。
決意を固める。必ずここから、深楽を無事に脱出させる。
『――さァて本題に入りましょうかね! ではこれより、テンノコエが〈裏切り者はだ〜れだ?ゲーム〉の開始を宣言したいと思いまァす! 』
例え、どんなデスゲームが待ち受けていたとしても。