#8 純粋なる下衆、青蓮院ほうか
「これは……」
一足早く帰ってきた英語の答案を見て、俺は驚愕した。というのは嘘で薄々分かっていた。
得点はなんと4点。10点満点ではなく100点満点で。選択問題で全部Aと書いたらたまたま一問だけ正解した。
うん。忘れよう。
ティーチャーが試験の解説をする傍らで、俺は答案を裏返してこれからの計画について書き連ねていく。
ここ数日の調査で伊庭スイコの周囲の状況はなんとなく分かった。
俺の採るべき方策は主に三つ。
①スイコを麻薬をやらない人間にさせる。
②麻薬をやらせて、その怖さを身に染みさせる。
③音楽をやめさせる。
さて、どれがいいだろう。
①は無理だろう。今の時点のスイコは麻薬をやるような人間には見えないし、そもそも麻薬をやらない人間にするって、どうやってやるんだよ。
②は自分的にも結構いいアイデアだと思ってるんだが、どうだろう。
スイコに「麻薬やろうぜ」と軽いノリで言えば一緒にやってくれるかもしれないが、スイコの親父とか姉が激怒することは確定している。下手したらスイコ大好きの親父に殺される可能性もある。というわけでボツ。
残った③だが、現実的にはこれしかない気がする。何か本末転倒な気がしてならないんだが、スイコが音楽をしなければメジャーデビューすることもないし、ヘックに加入することもないし、麻薬で死ぬこともない。
スイコの人生がどうあるべきか、という命題に対して確たる答えはない。
だから俺は、今自分が正しいと感じた方法をとるだけだ。それを彼女が嫌がろうとも、拒否しようとも俺は手を緩めるつもりはない。そして、出来ることならば彼女が幸せな人生を歩むことが、俺の望みである。
☆
「あれ?」
今日最後の授業が終わって、帰りのホームルーム前。
俺は答案の裏に書いた落書きを探していた。が、まったく見当たらない。机の棚を隅から隅まで探し、鞄を漁ったが、出てこない。落としたところを誰かに捨てられたのかとゴミ箱も覗いたが、それらしいものは見つからなかった。
まあいいか。内容は大体頭に入っているし。
「おい。青連院様が呼んでるぞ」
さて、どうやってアプローチしようか。
「おい、聞いてんのか?」
「ああ、俺のこと?」
すぐ目の前で見覚えのない小坊主がうろたえた様子で突っ立っていた。
「青連院様が呼んでるって言ってるだろ」
小坊主が指差す先は教室の入り口。そこには妙な雰囲気の女生徒がいた。教室中がシンと静まり返り、阿法のいびきだけが響き渡っていた。
何だあいつ。髪の毛が真っ青だぞ。危ない薬でもキメてるのか?
「あいつ大丈夫なのか?」
俺は思わず小坊主に聞いた。
「失礼なことを言うな馬鹿。青連院ほうか様の御前だぞ」
小坊主は狼狽する。
御前ってどっかの皇帝かよ。それにしても青連院ってどっかで聞いた名前だな。
俺は面倒くさそうに立ち上がると、そいつの前まで行く。
「俺に何か用っすか」
近くに寄ると目の色も淡い青だと気付いた。ハーフかクォーターかもしれない。しかしキレイな顔してんな。こんな奴が学校にいたっけ?
「話があるので来なさい」
有無を言わせない命令口調。高慢な言い草。俺を見下すような冷たい目つき。
気に入らんな。
でも素直に従うことにした。
青髪の女が階段を上がっていくので、おパンツを覗こうと少し屈んだが、ガードが堅くて見えなかった。
青髪の女は屋上まで来ると、先に行きなさい、と俺を先に行かせる。
振り返ると青髪女が出てきた扉に鍵をしていた。
何でこいつが屋上の鍵を持ってんだよ。
「これはあなたのものですね」
青髪の女は俺に向かって一枚の紙を掲げる。それは探してた英語の答案だった。
「それ、お前が盗んだのか?」
俺の言葉にカチンときたらしい女は、手をプルプル震わせてせる。
「失礼な! あなたの小汚い答案など盗みません。しかも4点なんて」
いや、4点はどうでもいいだろ。ほっとけよ。
「拾ってくれたのか。じゃあ返してくれ」
俺が手を出すと、女は底意地悪そうな顔をして、紙をひっくり返す。
「これはあなたが書いたものですよね?」
答案の裏に書かれた落書きを読んだわけね、この女。
「さあ? 答案は俺のだけど、そんな落書き知らないなぁ」
何か面倒な予感がしたので、すっとぼけることにした。
「嘘をついても無駄です。答案の筆跡と後ろのメモの筆跡は同じです」
名探偵か何かかよ。
「それで何がしたいの、あんた」
俺が半ば自分で書いたことを認めると、女は我が意を得たりとばかりに、落書きを朗読し始めた。
「『伊庭スイコに音楽をやめさせるにはいくつか方法がある』
一つに軽音部を廃部に追い込む。
一つにスイコに才能がないことを吹き込む。
一つにギターを使えなくする。
一つに音楽以外に楽しいことを見つけさせる。
一つに音楽がいかに楽しくないかを思い知らせる」
「もう読まなくていいから」
客観的に考えると、俺って碌な事を思いつかないな。
「なぜこの伊庭スイコさんに音楽を辞めさせたいのですか」
「音楽をやっていると死ぬから」
「……わたくしは真面目に聞いているのですが?」
「ワタクシは真面目に答えているのですが?」
女は俺の受け答えにムッとする。
「では、伊庭スイコさんにこの事をあらいざらいぶちまけてもよろしいのですか?」
「駄目に決まってる」
女ニヤリと微笑する。
「では、わたくしに従いなさい」
「え、やだよ」
「では、伊庭スイコさんにこの事をあらいざらいぶちまけてもよろしいのですか?」
「駄目に決まってる」
「…………では、わたくしに従いなさい」
「やだよ」
話がループしだした。
「何でもかんでも断れば話が進むと思っているのですか?」
女は腕組みして呆れたように俺を蔑む。
「それで何がしたいの、あんた。もしかして俺を従わせてバター犬にでもしたいの?」
同じ事をもう一度聞いた。
「わたくしは『あんた』ではありません。青連院ほうか様です」
自分で様を付けるなよ。
「分かった分かった。それで、放火魔はバター犬が欲しいの?」
「変な略し方をしないで下さい。それにそんな犬いりません。あなたはさっきからわたくしを馬鹿にしてるのですか? 非常に不快です」
一気にまくし立てたホウカの息が上がる。
つかれるなぁ、こういう人との会話。一向に話が進まないし、一々どうでもいいことに突っかかってくるし。
「ごめんごめん。謝るから。それで何がしたいの、あ……青連院ほうか様は」
三回も同じことを言ってるよ俺。
俺が下手にでたので、ホウカはやっと気を取り直した。
「わたくしが、この計画を手伝ってさしあげましょう」
紙面をバンバンと叩いて、ホウカは声高らかに宣言する。
「いや、結構です」
俺は小声できっぱり拒否した。
「遠慮することはないです。当然拒否することは許されません。拒否したら伊庭スイコさんに全部話します」
「素直に手伝いたいです、お願いです手伝わせてください。性奴隷にでも何でもなりますって言えば良いのに」
俺は聞こえないように独り言をつぶやく。
「聞こえています」
ホウカは腰に手を当てて顔を赤くする。この女、かなりの耳年増っぽいな。