#56 阿法典清の受難3
放課後の軽音部を訪れると、阿法が壁にもたれかかって部員の様子を眺めていた。
「よう」
「君か」
阿法のやつれた表情が清明の顔と被った。さすが兄弟だけあって顔立ちもかなり似てる。
「玄関で話そ――」
「あ、あのさ、ちょっといいかな?」
いつの間にかスイコが傍にいて、俺のシャツを引っ張っていた。部活はちょうど休憩中らしく、他の部員たちは水分をとったり喋ったりしている。
「部活が終わってからでいい? ちょっと急用があるから」
「あ、うん」
スイコは残念そうだったが、大人しく引き下がった。
俺はそれを確認して、阿法に目配せする。
部室を出ると俺らは購買に寄って、下駄箱に向かう。
「伊庭君は大層君の事を心配していたよ。彼女の父上に痛めつけられたそうだね」
スイコから話を聞いたのか。阿法は昨日と比べると随分余裕を取り戻しているように見えた。
他人の心配をしている場合かよ、お前は。
玄関から校舎外に出る。陽はすでに落ちかけ、かなり肌寒い。本格的な冬は近かった。
「昨日。お前の兄貴に会ってきた」
話を切り出した。
多分、阿法は親から色々と聞いているだろうが、被るような話も含めて、兄貴の状況を説明した。
特に強く感じたことだが、阿法の兄貴は死に対してある種の達観のようなものをもっている。そして残り少ない時間の全てを自分がすべきだと思っていることにつぎ込んでいる。
阿法の両親のように入院して延命して欲しいという気持ちも分かるし、兄貴のようにやりたいことを好きなようにやる、という気持ちも分かる。どっちも正しいし、どっちに正解があるわけでもない。
ただ、阿法がこの場でどうしようもなく立ち尽くしているのが正しいとは俺には思えない。
「今日の午前中にもう一度研究室に行ったんだけどな」
本当は朝一番でこっちに帰ってこようとしたが、思うとところがあってもう一度尋ねた。兄貴はちょうどデスクで短い仮眠を取っている最中だったので、昨日少し話した助手を捕まえて、兄貴の研究についてもっと詳しく聞いた。俺は頭が悪いので、分からないことは都度聞き返していたら随分と時間がかかってしまった。
そして俺は聞いたことを噛み砕いて阿法に聞かせた。その研究の社会的意義だとか、学問的重要性だとか、そういうことは全部省いて、兄貴がのめり込んでいる研究の楽しさ、中毒性とでも言うべきものを話した。本当は助手のように恍惚として滔々と喋りたかったが、聞きかじりなので上手く出来ずにもどかしかった。
「ふむ、良く分からないな」
長々と話したが、結局阿法からいただいた有難い感想がこれだった。
俺の努力は何だったんだろう。
「ほら、これ」
俺は制服の裏ポケットから封筒を取り出し、阿法に渡す。
阿法は黙って中身を確認する。
今日出発予定の新千歳⇒羽田の飛行機チケットと旅費だ。
「行ってこい。兄貴に会って確信した。お前は行くべきだ。そこにこれからのお前の道がある」
「いや、しかし、これは」
阿法はまだ躊躇っている。
「ほら来たぞ」
親指で校庭に入ってきたタクシーを指差す。
「呼んでおいた。早く行かないと間に合わないぞ。飛行機の時間は結構ギリギリだ」
阿法はチケットの時間を確認する。
「おら、早く乗れよ」
まだ動こうとしない阿法のケツを蹴飛ばして無理やりタクシーに乗せる。
最初はそのまま送り出そうと思ったが、心配なので空港までついて行くことにした。
☆
世話のかかる奴だ、まったく。
阿法を送って学校に帰ってくる頃には、とっぷりと日は暮れていた。
空港から帰る途中でお袋と妹からマシンガンのように電話がかかってきたので、今日は帰るから、と逃げるように一言述べて電源を切った。
はぁ……。帰ったら説教地獄確定だ。一応、東京銘菓ひよこを買ってきたけど、これで矛を納めてくれないだろうか。無理だろうな。
文化際の準備期間ということもあり、学校には多くの生徒が残っていた。
軽音部の練習はすでに終わっていて、部員たちは各々帰るなり、クラスの出し物の応援に行くなりで、すでに部室を後にしていた。
いや、一人だけ部室に残っていた。スイコが。
部屋の端の方で座り込んでギター抱えながら寝ていたので気付かなかった。
「スイちゃん、スイちゃん。こんなところで寝てると腰が冷えるよ?」
優しく彼女の肩をタップすると、スイコは薄目を開いた。
「あっ……ハンバーグ……」
「ん? ハンバーグ食べたいの?」
何か寝ぼけてるな。と思ったらすぐに正気に戻った。
「わっ! こんな所で何してるの」
俺を見て、スイコが目を丸くする。
こっちのセリフなんだけど。
「他の部員はもう居ないよ。帰ろう」
コトコの奴、スイコをほったらかして帰ったのかよ。と思ったが、
「待ってたんだよ。話したいことあったからさ」
「とりあえず帰ろうか。親父やお姉さんが心配するよ」
「う、うん」
スイコは立ち上がって、ギターを背負う。
俺らは文化祭の準備をする生徒たちを横目に、校舎を後にする。スイコは一言も発することなく、時々俺の方をチラチラと確認しつつ、両手を合わせてモゾモゾと動かしていた。
バス停までくる。冬期間は俺もスイコと同じバスを使う。
しばらく二人で立っていると、スイコがやっと口を開いた。
「あ、あのさ。昨日はごめんね。お父さんが、その、乱暴して」
「それはいいよ。俺も売り言葉に買い言葉で酷いこと言ったし。親父は何か言ってた?」
俺の言葉に対してスイコは少し言いにくそうに、言葉を選んだ。
「反省は……してないけど、謝罪……らしきものを、えっと、私も悪かった……とは言ってないけど、その…………」
何となく言いたいことは分かりました。
「と、とにかく私が怒ったから、次に会ったときはきっと謝るから」
「親父は俺に二度と近づくな、みたいなこと言ってなかった?」
スイコはためらいがちに首肯する。
「正しいかもね。俺にはあまり近づかない方がいい」
俺は何を言ってるんだろうか。自分から近づいといて「近づかない方がいい」って、馬鹿じゃなかろうか。
「お姉ちゃんも同じこと言ってたよ」
スイコが弱ったように微笑む。
誰も乗っていないバスがやってくる。最後尾の席に二人で腰掛けると、バスはゆっくりと発車した。
俺は聞きたくなった。スイコはなぜ俺たちを許してくれたのだろうか。
俺は許されないことをした。この先スイコがずっと俺を恨み続けようとも、あの行為が彼女の人生にとって大きな陰となり、麻薬への抑止力になれば、それで良かったのだ。
しかし俺は許された。少しは予想していたが、スイコは麻薬への忌避感が薄いのかもしれない。
良くないことだ。
「スイちゃんは何で俺を許してくれたの。俺は一生スイちゃんに話掛けることも近づくことも出来ないと思ってたんだけど」
スイコは目を落としてから、手袋を擦り合わせる。
「よく分からない。でも、分かったんだ。あれは何か悪いことを思ってやったことじゃない。きっと私に関わる何か理由があってやったことなんだって。そう思ったらあんまり怒れなくなっちゃった」
スイコはそう思っていたのか。じゃあ、本物の悪意に晒されたらどうするつもりなんだ。
バスがターミナルに着いた。
バスを降りると、俺の腹が鳴る。そういえば昨日から何も食ってなかったな。
目の前にハンバーガー屋がある。
「あのさ――」
「私も食べたいな、ハンバーガー」
俺の考えを読んだように、スイコが同調してくれる。
夕食時で店はそこそこ混雑していた。
せっかくだから俺が奢るよ、と言うとスイコは恐縮しまくって結局奢らせてくれなかった。二人でハンバーガー二個を頼んで外で食べることにした。
ターミナルのバス停に設置してあるベンチに二人で腰掛ける。
「あのさ、私からも一つ聞いていいかな?」
紙袋を剥いてハンバーガーに目を落としたスイコがポツリと漏らす。
「ピクルスが苦手なら食べてあげようか?」
「違うから。…………あのね、…………なんで合宿の時にあんな事したのかと思って」
スイコの言う『あんな事』というのは、夏の合宿でお薬を打ったことだろう。
合宿初日、俺はスイコのギターで激しく殴打されて退場入院したのだが、その後の経過についてはホウカから聞いていた。
俺をいたぶり尽くして満足したスイコはそのまま意識を失った。スイコは別室に運ばれ、そのまま合宿の間中ずっとホウカが彼女についていた。
目を覚ましたスイコは怯えるように身を寄せ、傍にいたホウカに何かを言おうとして思いとどまった。
ホウカのそこでの仕事は二点。俺たちの行動にホウカが関与していないとスイコに思わせること。そしてもう一つはスイコが自分に起こったことを公表しないようにすること。
ホウカはその二つを難なくこなした。喋ることを躊躇ったスイコから上手く話を引き出し、自分が関与していないことをスイコに信じさせた。
最初スイコはこの事を警察に言おうとしたが、ホウカは家族を引き合いに出して思いとどまらせた。ホウカは自分をパイプ役として俺らと話し合うように提案したそうだが、スイコは拒否した(この辺については俺は違うと考えていて、ホウカの奴が俺らを悪役にして話し合う余地はないとスイコに吹き込んだと思っている)。
その他、俺をボコボコにしたことに対する罪悪感、警官を親に持つ子どもの社会性が崩されたこと、などなどがスイコの心の中で渦巻いて、数日は情緒不安定だった。合宿が終わるまでには落ち着いたものの親父やスイコ姉には結局何かあったのはバレバレだった。
ともあれ、この合宿の間で俺が一番期待していたことは達成されていた。スイコはまたヘロインが欲しいとは言わなかった。
俺はスイコに本当の事を言うべきか迷った。何も言わないのは彼女を不可解な気持ちにさせるだけだが、自分の未来など知るべきでないと今までは何も言わなかった(偉大なるミュージシャンになるとかは言っちゃったけど)。
俺の中でのスイコは才能に溢れている。一方で、一人で立って先へ突き進んでいく強さを持たず、多くの人に支えられて大成していく、という側面もあるだろう。その多くの人の中には彼女を悪い道に引き込んで、溶かしてしまおうとしている者もいて、そんな奴らから誰かが彼女を守らなければならない。
「必要だったんだ。だからヤッた」
言えなかった。自分がスイコの立場だったらと考えると、どうしても言えなかった。
俺の脳裏には実験台に向かって黙々と作業している阿法の兄貴が浮かんだ。あれみたいに超然とした奴なら言ったかもしれない。
でも、スイコはごく普通のメンタリティをもった女の子だ。
俺はこれまで色々動いてきたけど、残酷にもスイコの行く先には以前と同じ道しか用意されていないかもしれない。
未来は誰にも分からない。
「そうなんだ」
俺の理不尽極まりない答えに何が可笑しいのか、スイコはうっすらはにかんだ。
☆
「起きたまえ、君」
頭上から二日ぶりの懐かしい声が聞こえた。
机に突っ伏して寝ていた俺は顔を上げる。
教師が教壇の前で唖然とし、クラスメイトたちがこっちを見ている。
「授業中みたいだぞ、阿法」
「そのようだな。来たまえ」
阿法は何でもないように教室を後にする。注意しろよ、教師。
「どこへ行く」
そうそう、そういう具合にさ。って俺かよ。教師は俺を指差していた。
「機嫌が悪いので、外の空気吸ってきます」
間違えた、気分だった。まあ、どうでもいいや。
廊下に出ると不機嫌そうな青い髪もいた。こいつこそ機嫌が悪いので外の空気を吸いたそうだ。
「生徒会長様が授業をサボるとは問題ですね。これは職員会議モノですか?」
俺がニヤニヤしながら問いかけると、
「五月蝿いです」
一蹴された。
「阿法さん、これっきりにして下さい。迷惑です」
どうやらホウカも俺と同じように呼び出されたらしい。
「気にせずともこれっきりだがね。購買にでも行こうか」
二日前と比べて阿法は落ち着いていた。呼び出した罪滅ぼしか何か知らないが、自販機で激甘お汁粉を買って俺たちに寄越した(いらねー)。
阿法はお汁粉を一気飲みすると話を切り出した。
「青連院君には話していなかったが、私はさっき学校を辞めてきた」
「あ? 俺も聞いてねーぞ、そんな事」
「そうですか。辞めてどうするつもりでしょう?」
俺とは対照的にホウカは冷静そのものだった。
「東京に行く。兄貴の仕事を継ぐのだ」
「は? 何言ってんだ、お前」
「話が見えません。順を追って話していただけますか?」
「ふむ」
性急だったと反省したらしく、阿法は両腕を組んで一からホウカに説明した。
「――というわけで、東京に行くことにした」
「まてまてまてまて。話が繋がってないぞ。兄貴は言ってたじゃないか。『あいつにはあいつの道があろう。私にとらわれることない道がな。そこを進むといい』ってな。兄貴の仕事を継ぐって真逆だろうが」
阿法が一通り話し終わるのを待って突っ込んだ。
「そういえばそんな事を言っていたな。私の知ったことではない。私はしたいようにするだけだ」
勝手な奴だな、こいつ。
「継ぐって簡単に言うけどな、お前馬鹿だから兄貴が何やってるのかさっぱり分からないだろ」
俺もさっぱり分からなかったし。
「これから覚えればいい」
「大学生でもないのに勝手に研究が引き継げるわけないだろ」
「指導教授は話の分かる老体でな。問題ない」
いや、問題あるだろ。というか問題しかない。
「せいぜい頑張るとよろしいです」
俺が憤っていると、横からホウカの激励が飛ぶ。
「ふっ、終わりはいつになるのか分からないがね」
余裕の笑みを浮かべる阿法。
何だよこのやり取り。阿法の行動を否定してる俺が子どもみたいじゃないか。
「本当にやるのか?」
一種の冗談かと思って真偽を確かめる。……までもない気がするけど。
「無理というのは嘘つきの言葉なんだろ? ここへは君たちに挨拶しに来ただけだ。すぐに東京に戻る。兄が生きている間に出来るだけ吸収する必要がある」
阿法の表情には一片の迷いもなかった。
なんというか、うん。
これでもいいか。
俺が阿法を東京に行かせたのは、こいつが燻ってるのを見てられなかっただけだ。結果なんて考えてなかった。
でも、一つだけ。
「親は何て言ってんだ」
「ははっ、大反対だ。学校を辞めたら勘当だと言われた」
駄目じゃねーか。一笑に付しているけど、笑いごとじゃないからな。
「うーむ、つまり金とかは出してもらえないわけか」
「なぜそこで私を見るのでしょうか?」
俺の視線に気付いたホウカが睨み返す。
「阿法に金貸してやってくれ。バイトなんかやってる暇ないし」
「ありがたい話だが、必要ない。なんとかなるだろう」
なんとかって何だよ。計画性のない奴だな。
「ではそろそろ行くとするかね。軽音部の御方々によろしく言っておいてくれたまえ。文化際ステージの成功を祈ろう」
言いたいことは終わったとばかりに、阿法はお汁粉缶をゴミ箱に投げ入れる。
俺はもう止める気も起こらなかった。
校舎から外に出る。
校庭には阿法のバイクが止まっていた。
「このバイクだが、相良君にでも譲ろう。欲しければ空港まで取りに来るように言いたまえ」
阿法がバイクに跨ってヘルメットを被り、エンジンを始動させる。
俺とホウカは無言で見守る。
準備を終えた阿法がホウカに顔を向ける。
「青連院君。彼を助けてやってくれたまえ。君がいれば彼も心強いことだろう」
「ええ」
お前らは俺の親か何かか。自分の心配してろよ。
「阿法。お前もキッチリとケリをつけてこいよ」
「ああ。いつ終わるかは分からないが、終わったら必ず君の元に戻ってこよう。伊庭君を救わねばな」
バイクのけたたましい排気音を上げて阿法は去っていった。
「良かったのですか?」
「良いも悪いもあるか。それよりあいつの研究を助けてやれよ。金と権力でさ」
「今の私にそんなものはありません。ですが、○○大学の△△研は多少知っているので都合をつけましょう」




