#51 ごちゃごちゃしてきた
平日の昼下がり。
某大学構内にあるカフェテラスでスイコ姉と差し向かう。
文化際まで時間がない。
スイコは歌うことになったが、今のままでは駄目だ。とてもステージで披露できるレベルではない。
このまま特攻したら昨日の女子中学生みたく全校生徒の前で笑いものになってしまう。
スイコ姉にこれまでの経緯を話す。
「ふーん。ストリートミュージシャンねぇ。それより君、学校は?」
「今日は創立記念日です」
「スイちゃんは普通に学校に行ったけど?」
「……お宅の妹さんは抜けているので、休みなのを忘れているのでしょう」
「私もそこの卒業生だけど、創立記念日って六月だよね?」
「…………すいません。サボタージュです」
スイコ姉と会うのはクソ親父主催の食事会以来だ。あの後すぐに合宿でスイコをトリップさせたので、出来ればスイコの家族にはあんまり会いたくなかった(それがなくてもあの親父には会いたくないけど)。
ヘロインの禁断症状から開放されても、スイコの様子から家族は何か察するかもしれなかった。その辺はホウカが上手いことやってくれたようで、合宿後に姉や親父が何か言ってくることはなかった。
「それで私に何を聞きたいの」
「スイコさんがなぜ音痴なのか知っていますか」
「そんな事分かるわけないよ」
即答だった。スイコ姉は、こいつは何を聞いているんだ? って感じの顔をする。
ですよね。
なぜスイコが音痴なのかなんて、音痴だから音痴だとしか言いようがない。
本当は何かトラウマがあって、それを克服できれば劇的に上手くなる、なんていうご都合展開を希望していたが、そうはならなかった。
「え? もしかして用はそれだけなの?」
真っ向から分からないと言われて絶句していると、逆に聞かれる。
「それだけって、重要なことです。今週末に文化際で歌うんですよ。妹がステージで『引っ込めや、このド下手くそ。金返せボケが!』って罵られてもいいんですか?」
「ボケがって……口が悪いね君は」
いや、例えばの話だって。そこはどうでもいいでしょう。
「じゃあ、スイコさんはどうやったらすぐに上手くなると思います」
正直どうしたらいいか分からん。
スイコを一番身近で見てきたこの人なら何か分かるかもしれないと思ったが。
「そんな方法ないと思うよ。というより君は何をそんなに焦っているの」
俺とスイコ姉では温度差が完全に違う。
スイコ姉はたかが文化際と思っている。
「スイコさんが笑われるのは我慢なりません」
「笑われればいいよ」
「は?」
何言ってんだ、このアマ。笑われてもいいとはどういう了見だ。
「私、スイちゃんが歌っているところなんてほとんど見たことないよ。だから歌の練習なんてしたことないんじゃないかな。だから下手なのは当たり前だし、すぐ上手くなるなんて虫のいい話なんてないよ。だからこのまま文化際で歌うんなら笑われても仕方ないよ」
確かに言われてみれば、高校生のスイコが歌っているのはほとんど聞いたことがない。ダブルデートの時のカラオケと昨日くらいだ。
スイコは元々ギター担当で歌う必要はないし、自分の歌が下手だって認識があれば、率先して歌おうとは思わないだろう。実際にカラオケでは俺が無理やり歌わせたみたいなものだし。昨日の路上ライブだってそうだ。
俺はスイコの未来の歌声を知っているから、現在の彼女とのギャップはどうしても気になる。
でもスイコ姉からしてみたら当たり前のことなのだ。自分の妹で、最近ギターを覚え始めた歌の上手くない普通の妹だ。
それはスイコ姉だけじゃない。俺以外は皆そうなのだ。阿法やホウカも根本で俺とは違う。
少し頭が冷えてきた。
「笑われたら……スイコさんが泣いちゃいますよ?」
すかさずスイコ姉がニヤニヤする。
「そしたら君が慰めてあげればいいよ」
☆
「ほう、諦めるのかね」
「何だよ。その『途中で投げ出すのか情けない奴め』みたいな言い方は」
昼休み。視聴覚室で弁当を食いながら阿法にこれまでのことを相談していた。
「そうは言っていないがね。君にしては珍しいと思っただけだよ」
「うーむ。ちょっと考えたんだとけどな――」
そもそもスイコはどうやって歌が上手くなったのだろうか。その過程を俺は知らない。
俺が知っているのは、スイコはデビューした時からすでに歌が上手かったこと。その時すでにギターが上手かったのかどうかは覚えていないが、少なくとも弾いてはいなかった。デビューからしばらくして、弾きながら歌うスタイルが確立された。
スイコはどうやってデビューしたのか。
いつかのテレビでチラッと見たが、オーディションだったらしい。つまりスイコにはプロへの志向があったのだ。そしてそのオーディションには歌で臨んだ。
「分かっていたはずなんだけど、俺はスイコの音楽への道を潰しているのかもしれない」
前の世界でスイコが華々しく活躍している過程には、当然彼女の才能と弛まぬ努力もあるが、それに加えて大きな運も絡んでいるはず。特に少し前のスイコを見ているとそう思う。
スイコはコトコなしでどうやってギターを上手く弾けるようになったのか。それとも前の世界でもどこかでコトコと仲直りしていたのか。どうやってオーディションで目を付けられたのか。その時は上手かったのか。それともその時点では下手でも見る人が見れば光る原石で、オーディション後に開花したのか。
考えても詮なきことだけど、次から次へと考えが浮かぶ。
俺はスイコの華麗でか細い道程をどこかで塞ぐような真似をしているのではないだろうか。
「今更何を。そんなことは承知の上で干渉したのであろう?」
それはそうなんだけど、苦境に喘ぐスイコを見ていると、俺のやり方は間違っているんじゃないかと思えてくる。
「それよりも君はどうするつもりだね」
「スイコの歌は一週間でどうにかなる問題じゃねーよ」
それとも何かきっかけがあればギターの時のように急に伸びるだろうか。いや、あれは違うか。ギターに関しては元々伸びていたものが止まっていただけだ。
「そうではないよ。君は伊庭君に好かれているのであろう。その好意に対して君はどう答えるつもりかね?」
そっちの話かよ。
「答えるって何だよ。そんなのホウカが吹かしてるだけでろ。スイコは栄坂が好きなんだよ」
スイコが栄坂を好きというのもホウカがもってきた話だが、そんな話は棚上げだ。
俺の発言に対して阿法は少し申し訳なさそうな顔をする。
「それとなしに伊庭君に聞いてみたのだがね」
「あ?」
「栄坂を好きというのは憧れに近いもののようだね」
阿法が聞いたところによると(勝手に聞くなよ)、スイコが惚れたのは栄坂の園芸に対する一途な情熱に対してらしい。彼女の中でその一途さは見習いたいもので、こうありたいと思わせる存在なのだそうだ。
「それに対して君のことを聞いてみたが、栄坂と比べるだいぶ心持ちが違うようだね」
前からそうだったが、特に球技大会を通して、スイコに構いすぎたのが仇になったみたいだ。
「まあ本人の目の前で『俺のスイコになにすんだ』などと叫べば嫌でも気になるだろうがね」
自業自得とでも言いたいわけかよ。
「矛盾した行動とってるのはわーてるけどさ、スイコは俺を肯定しちゃ駄目なんだよ。それは麻薬を肯定することに繋がる。でもスイコに嫌われると色々と行動しづらくなるんだよ。それにやっぱり嫌われたくないし」
「わがままな男だ」
阿法は俺のごちゃごちゃした言い訳にもなっていない弁明を聞いて深く息を吐く。
「ったくよ。ただでさえ面倒くさい局面なのに、これ以上余計なこと考えさせるなよ。一度は俺を振ったくせに――」
自分の言葉でふと思い返す。
過去の俺は一度スイコに告白した。細部まで覚えちゃいないが、その事実だけを覚えている。告白した理由を知るには当時の俺をよく知る人間がいればいい。そんなの本人が一番知っている、と言いたいところだが、過度の擦り切れた社会人生活のせいで高校の頃の記憶は定かではない。
では俺をよく知る人間は誰か。
家族?
それもある。というか家族が一番知ってるはず。俺には友達とかいなかったし……。
でも、今は違う。
俺が学校でどんな奴だったか、だ。
俺は随分前から気になっていた。クラスの例の三人組。あの三人はなぜ俺を執拗に痛めつけるのだろうか。そこにはなにがしかの理由がある……かもれしない。




