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#50 街頭デビュー

「え?」


 電車の中。

 俺の言葉にスイコの顔がさっと曇る。

 部活は十九時近くまであった。ステージが近いこともあって、スイコとコトコが抜けた後も先輩方は練習している。

 俺とスイコとコトコはS市の中心まで向かう最中だった。電車の快速でほんの三十分ほどだ。


「だから人前で歌うのさ。前から思ってたんだけど、人前で歌うのが恥ずかしいみたいだし」


「で、でもさ――」


「人通りが多い駅前でで歌ってもらうから」


 スイコの言い訳は一切聞かないことにした。人前で歌えないシンガーがどうやってステージをやるつもりだよ。

 俺の有無を言わせない態度にスイコは押し黙る。


 隣のコトコは非難とも同調ともとれない表情で俺を見ていた。

 コトコにはあらかじめこの事を言ってある。あまりいい顔はされなかったが、他に良い方法もないのでと渋々ながらも協力するようだ。


 駅前は人の往来で埋め尽くされていた。目の前には大きい道路の交わるスクランブル交差点があり、サラリーマンや学生、デパートの紙袋をもった主婦などが行き交っている。週末ということも相まって、いつも以上の人混みだった。時間帯のせいなのか、中には酔っ払っている人たちもいた。

 すでに陽は落ちていたが、そこかしこにある照明で昼間のような明るさだった。


「ほ、本当にやるの?」


 スイコが上目遣いで俺を見る。

 俺がやると言ったらやる人間だと知らないらしい。本当はそんなことしないよね、私に嫌なことしないよね、と懇願するような目をしている。

 諦めの悪い女だ。


「取り合えず、人の邪魔にならないように端の方でやろうか」


 この辺りではあまりストリートパフォーマーを見かけない。もう少し南に行くと街中を東西につらぬく公園があり、そこでやっているのを見かけたことはある。

 なので、ここでいきなりやるのは勇気のいることだと思う。


「お前も一緒にやるんだぞ」


「分かってるぜ」


 さすがにスイコ一人にいきなりやれと言うのも可哀想なので、コトコと二人でやってもらう。

 二人はノロノロと背中のギターをケースから取り出す。スイコはあからさまに嫌そうだった。


「スイちゃん楽しいでしょ」


「楽しくないよぉ」


 本当に嫌そうだった。

 ひとまずコトコが歌って、スイコが伴奏することになった。

 演奏が始まると、突然のことに周りが注目する。が、足を止めて聞こうとする人はいなかった。


 コトコはこれだけの人がいても物怖じしてしなかった。ライブハウスでの演奏経験もあるので、人前で歌うことには抵抗がない。逆に演奏しているだけのスイコが顔を真っ赤にしている。


 スイコも去年の文化際ステージで人前に立ったはずなのに、なぜこんな体たらくなのだろう。そう思って軽音部の先輩に聞いてみたところ、スイコはステージには立ったらしいが、緊張でガチガチになってまともに演奏できなかったそうな。


 そう考えると俺と阿法が初めて軽音部と訪れた時はまだマシだったのだろうか。下手だったけど一応弾いていたし。


 一曲分の演奏が終わる。誰も二人を見ていない。当然拍手なども起こらなかった。

 俺が一人で拍手する。


「随分と堂に入ってるな。良かったぞ」


「誰も聞いてねーぜ」


 コトコは納得いかないように周りを見回す。


「まあ、そのうち足を止めるような暇で暇でどうしようもない奇特な奴も現れるだろう」


 スイコはギターをぶら下げて下を向いている。


「どうしたの、元気ないよ? 次はスイちゃんが歌う番だよ」


「う、うん」


 気のない返事だった。そんなに人前で歌うのが嫌かよ。

 スイコとコトコが歌う曲目を相談する。

 人の流れが途絶える様子はない。俺がピュアな学生だったら、この人たちは一体どこへ向かっているのだろう、などと哲学的な思索にふけってしまうところだ。


「あっ」


 遠目からでも丸分かりの青い物体が見える。向こうも俺たちに気付く。

 スイコとコトコが気付く前に俺の方から駆け寄る。


「面白いことをしています。なぜわたくしに黙っていたのでしょう?」


 ホウカだった。なぜここが分かった。


「阿法氏に聞きました」


 あの野郎。下衆女に要らんことをベラベラと喋りやがって。因みに阿法は用があるとかで今日は来なかった。


「わたくしにも虐めさせて下さい」


 いや、虐めてないから。ストレートに言うなよ。


「邪魔だけはするなよ。いいな?」


 ここで追い返そうとしても、聞くような奴じゃないし。仕方なく二人の下まで戻る。


「ほ、ほうかさん。何でここに」


 ホウカの姿を見たスイコが目を見開く。


「ここで歌うと聞いたので飛んで来ました。とても楽しみです」


 ホウカが邪悪な笑みを浮かべる。

 そういう余計なプレッシャーかけるなっての。


「は、はい……」


 ほら、スイコが萎縮してるじゃねーか。

 二人の準備が整ったところで、俺とホウカは一歩下がってギャラリーになる。

 コトコの伴奏が始まると、通行人が一瞬二人の方を向く。


 スイコは口を真一文字に結んで両手で服の側面を強く握り締めている。

 曲はコトコが作ったロック調のアップテンポで、棒読みで誤魔化しが効くものじゃない。


 そしてスイコは歌い始める。いつぞやのカラオケで聞いたときとは違う。声が震えていた。可哀想なほどに怯え、捕食される寸前の小動物のような声だった。


 背の高いサラリーマンは二人を無表情で見やり、通り過ぎていく。

 セレブなマダムたちはお喋りに興じていて、見向きもしない。

 中学生くらいの女子グループが二人を横目で見ている。すると一人が立ち止まって、つられて全員が足を止める。


「ふふっ、なにあれぇ」


 グループの一人がスイコを指差して笑っている。

 笑っている。

 嘲弄がグループに伝播して周りの通行人が注目する。


「何が可笑しい」


 俺は女子グループとスイコの間に立つ。


「え?」


「何が可笑しいのか言ってみろ」


「え、いや」


 嘲っていた女子は俺から目を逸らすと、居心地悪そうに他の女子に手を引かれて去っていく。

 背中からスイコの歌が聞こえてくる。

 ちゃんと歌っている。誰かに笑われようと。


 俺はホウカの横に戻る。


「物凄い形相でしたね。殴りかかるかと思いました」


 ホウカは顎に手を当てて、二人の様子を子細に観察している。


「崇拝するものをコケにされたら誰だって怒る」


「そうですか。伊庭さんには才能があるように見えますか?」


「見えないな。でも俺はあいつに告白したはずなんだよ」


「…………例の妄想でしょうか?」


 ホウカには俺が未来から来たかもしれないことを話している。そしてSRGグループ崩壊について予見もした。なのでこれは冗談の類なのだろう。冗談だよね?


「何で告白したのかはさっぱり覚えてないんだが、あいつに惚れる要素っていうと音楽くらいだろ?」


「さり気なく酷いことを平気で言う人ですね。本当に崇拝しているのでしょうか」


「崇拝は言い過ぎたな。死んで欲しくないだけだ」


 しばらくスイコの歌を堪能する。

 リズムは悪くない。以前コトコも同じ曲を歌っていたが、今のスイコも同じテンポだ。

 だが音域が平板すぎる。上手い下手以前問題だ。


 片鱗すら見えない。俺の中で世界の頂点にいる伊庭スイコの片鱗が。


 歌っているうちに度胸がつくだろう、と考えていたが、そうも上手くはいかなかった。次はスクランブル交差点の真ん中で歌わせようと思っていたが、それはまた今度にしよう。

 というよりも、これでは駄目な気がしてきた。何か他に問題がある。

 文化際まで時間はないが、その問題を探さなくてはならない。

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