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#5 スイコストーキング1

「何をやっている」


 うおぁ!

 振り返ると、そこには訝しげな目をしたメガネ、もとい阿法がいた。


「いきなり背後から話かけるなよ。びっくりするだろうが」


 朝のショートホームルームが終わり、授業が始まる前。俺はそれとなくB組の様子をうかがっていた。


「B組に何か用か」


「そういや、どうでもいいけどアホウって阿呆だったんだな」


 俺と同じE組とかやばいぞ。


「唐突になんだ」


 俺はてっきりスイコは馬鹿なのでF組かと思っていたが、いや、意外だ。B組って賢い方だぞ。


「伊庭スイコって知ってるか?」


「知らんな」


 即答だった。そりゃそうか。俺の中では有名人でも、今は普通の女の子のはず。


「その何とかがB組にいるのか」


「ああ」


「そいつは何者だ」


「将来偉大なるミュージックジャンキーになる予定だ」


「訳が分からないが、気になるということか」


 校舎に予鈴のチャイムが鳴り響く。


「アホウは教室に戻れよ。俺は今日一日中あいつを見張ってるから」


「では、私も参加しようか」


 何でだよ。と思ったが、別にいいか。

 廊下からは授業の様子が分からないので、校舎の外に移動する。


「うーん。無理か」


 漫画だと外から教室を見張るために木に登るというのが常套手段だけど、校舎の周りには木がなかった。諦めて屋上から雨どいづたいに排水管を降りることにした。


「危ないだろう」


 屋上まで来た阿法が怖気づく。


「嫌なら大人しく教室に戻れよ」


 金網を乗り越えて、B組の真上にある雨どいに手をかけようとする。

 高い。ちょっと怖いかもしれない。いや、むしろ相当怖い。俺はその場に凍りつく。


「早く進まないか」


 隣の阿法が煽ってくる。


「じゃあ先に行けよ」


「なぜ私が? 言い出した本人が先に行けば良かろう」


 自分も怖いくせに、このクソメガネが。


「これって落ちたら死ぬよな?」


 改めて下を見る。屋上はビル五階分の高さなので、落ちたら助からない。校庭に脳漿をぶちまけて、学校中の生徒に拝見してもらえるだろうな。


「嫌なら大人しく教室に戻れば良かろう」


 こいつ、むかつく。


 雨どいから排水管に足を伸ばす。排水管と校舎を繋ぐ留め具に足を掛けて、そろそろと降りる。木登りなんて小学生以来だから、十五年はやってない。あ、五年か。


 なんとか三階に到達する。教室の窓の先は人一人がやっと立てるスペースがあるだけで、ベランダのようなものはない。窓は俺の胸の高さ辺りから天井まであって、少し屈むと丁度いい感じで中の様子を覗くことができた。

 さて、スイコはどこかな。


「うぉ」


 思わず声に出た。窓のせいか、中までは聞こえていないようだ。

 スイコはすぐそばにいた。窓際の一番後ろの特等席だ。斜め四十五度の後姿でも分かる。


「そこの気色悪い猫の髪留めをしているのが、伊庭スイコか?」


 阿法もいつの間にか降りてきた。

 それは蛍光ピンクの毒毒しい猫の髪留めで、ハーフアップのワンポイント的に、後頭部にあった。


「顔が見えんな」


「廻りこんで顔を確認したら見つかるだろうが」


 しばらくこの位置で様子を見る。

 授業は数学だった。生徒は皆生真面目に板書を書き写していた。


「きゃつは何をやっているのかね」


 阿法の指差す先のスイコは、ノートを開いていなかった。その代わりに教科書の端に何か書いていた。もう少し寄って目を凝らす。


「ふむ」


 最初は何かの歌詞でも書いてるのかと思ったが、全然違った。


「パラパラ漫画のたぐいかね」


 丸と棒でできた人間がページごとに動く典型的なパラパラ漫画だった。


「授業中に遊ぶとはとんでもない不良生徒のようだな」


 お前が言うな。それにあんな程度誰でもやるだろ。

 高校生にしてはかなり幼稚だけど。

 出来栄えを確認するように、スイコはパラパラと教科書をたぐっていく。そしてまた続きを書いていく。


「授業などまるで聞いていないな」


「いや、きっと何らかの意味がある。あれは深遠なる活動の一端だ」


「そうは見えんがね」


 怪しげな目つきの阿法とともに、スイコを観察し続けた。結局、彼女はずっとパラパラ漫画をつくっていただけだった。


 休み時間。スイコはクラスメイトと喋っていた。教室の真ん中辺りだったので、話し声は聞こえない。

 二時間目は化学。起立、礼、着席、就寝。スイコは教科書もノートも出さずにずっと寝ていた。


「けしからんな、この女は」


 だからお前が言うな。


「きっと体力を温存しているんだ。雌伏の時だ」


「どうだかね」


 二時間目終了。三時間目開始。授業は英語だった。

 今度は教科書とノートを出していた。そしてパラパラ漫画も書かずに授業を聞いていた。


「ほら、どうよ。真面目に授業聞いてるぞ。偉いだろ」


「当たり前のことで何をはしゃいでいるのかね、君は」


 そういえば、スイコは世界で活躍していた。当然英語もペラペラだったはず。歌詞なんかも担当してたから、高校英語なんか楽勝なんだろうな。

 俺は感慨深く彼女の様子を安心して見守る。


「おっ」


 スイコが教師に当てられた。どうやら教科書を読め、ということだった。スイコは慌てて立ち上がり、教科書を持ち上げて、キョロキョロと字面を目で追っていた。


「アー、ユー、ドウント、ニード、トー、アンドレス、ユア、パンツ、ホエン、ユー、ロッドゲ、アン、オブジェクション。インシデンタリー、ザツイズ、グイルテー」


「酷い発音だな。聞くに堪えん」


 教室から微妙に失笑が聞こえる。英語の発音が酷いのか、英文の内容が酷いのかは判断できないが。

 どちらにしろ今のスイコはまるで英語の出来ない人間だった。


「ああ、何をやってるんだ」


 俺は頭を抱える。

 たどたどしい英語を読み終えたスイコは、何を思ったか、早弁を始めた。


「女子の早弁など初めて見たな」


 俺もだ。

 教科書を立てて、教師から見えないようにして、購買かどこかで買ったパン小さくちぎりながらパクパク食べている。

 隣の男子が呆れた目で見てるぞ、おい。


 三時間目終了。


「次の授業は何なのかね」


「次は体育だな」


 今日のB組の授業割りは頭に入っていた。


「ほう。そのために危険をおかしてここまで来たわけか」


「?」


「覗きたいのだろう。伊庭スイコの着替えを」


 はぁ? あ、そうか。そうなるな。おぉ、興奮してきた。


「い、いや、別に狙ったわけじゃないぞ。たまたまだ、たまたま」


「では、じっくり堪能させていただこうか」


 阿法はニヤリと下衆な笑みを浮かべる。

 こいつ、将来犯罪に走らなければいいけど。


「ねぇ、なにあれ?」


 校庭から声がした。振り返ると女子生徒三、四人がこちらを指差していた。校庭からこちらは丸見えだった。


「おい、やばいぞ」


「ふむ。これで女子の着替えを覗いていたと知られれば停学もあるやもしれんな」


 こいつ、何を冷静に分析してんだよ。はやく逃げないと。

 しかし、背後には教室、前方には何もない。排水管を登るのは難しいし、下に降りたら校庭に着いてしまう。


「あれ、あなたはあの時の。こんなところで何してるんですか」


 急にすぐそばの窓が開く。

 そこには昨日のイケメンがいた。


「イケメンじゃないか。B組だったのか。気付かなかったぞ」


「いえ、僕はC組です。合同体育なのでB組に着替えに来たんですよ」


「へ?」


 よく見れば、教室には野郎どもしかいなかった。


「いやぁ、そうかそうか。じゃあそろそろ戻るか阿法君」


 俺は何でもない振りをして、窓枠に手をかけて教室に入る。そして当たり前のように堂々と教室を後にした。


「なーにが女子の着替えだよ、ばーか」


 隣に並んだ阿法に愚痴った。


「君は調べが足りないようだな。次からはどこで着替えるのかも調査したまえ」


 いや、それ目的じゃないし。


「体育となると見張る場所には困らないようだね」


 俺らは屋上に戻る。家から持ってきたオペラグラスでグラウンドの様子を見守った。体育の内容はトラックをひたすら走らされる無意味なマラソンで、どの女生徒もダラダラ走りながら辟易した顔になっている。


「なかなか愉快な表情が揃っていて素晴らしい」


 阿法がニヤニヤしながらグラウンドを覗いている。なんだこいつ。気持ち悪いぞ。

 俺は阿法からオペラグラスを引ったくり、スイコを確認する。


「結構まともに走ってるな」


 軽いストライドで他の女生徒を次々と周回遅れにしていく。


「この集団ではそこそこ早いようだね」


 確かにもっと早い奴もいて、そいつらにはとても敵いそうになかった。


「ふぅ」


 監視をやめて、その場に腰をおろす。屋上へ来る前に買ったジュースを飲んでこれからのことを考える。


「君の中で伊庭スイコがどれだけ神格化されているのか知らないが、少々押し付けが過ぎないかね。私が見るに、彼女はどこにでもいる極普通の女子生徒のようだがね」


 俺がどこか気落ちしていたように見えたのか、阿法が意見する。


「あー、まぁ、うん。そうだな。だけどまだ諦めるにははえーよ」


 俺には不思議と自信があった。学校の勉強なんかではスイコの真価が分かるはずがない。あいつは音楽で輝くのだから。


「どうせだから放課後まで付き合えよ」


 部活でのスイコを知れば、阿法の見る目も変わるはず。

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