#30 時は動き始めた
「おい」
やっと最後の授業が終わった。今日は全授業出席という快挙を成し遂げた(四時間目は腹が減ったので途中で抜け出したけど)。素晴らしい達成感だ。これが学生生活というものか。授業の中身はチンプンカンプンだが、それは些細な問題だった。
「聞いてんのか、おら!」
「あ?」
いつの間にか、いつもの三人組が俺の机を囲んでいた。
「よう、中村。何か用か」
「舐めてんのか、てめえ!」
さっそく胸倉を掴まれる。
「すまん。何か癇に障ったなら謝るから矛を納めろよ、村松」
「来いよ、いつものストレス解消してやるよ」
またかよ、面倒くせぇ。こいつらは一体何の恨みがあって毎回俺をボコボコにするのか。
しかし非力な俺は三人につかまれてズルズルと引きずられていく。
「おっ」
廊下側の席で、ダラリと足を組んでピクニックを飲んでいたコトコと目が合う。
三人と俺はコトコの前を通り過ぎる。
「おい待て」
教室から出ようとする三人をコトコが呼び止める。
クラスが一瞬にしてシンとなり、阿法のイビキだけが教室に響く。
コトコ、お前まさかこの俺を助けてくれるのか。感動したぞ。
今まで万引きとかセコイ真似する器のちっちゃい女とか思っててごめんね。
「なんだよ、文句でもあんのか、お!?」
デカイ奴がコトコを威圧するように凄む。
しかしコトコはまるで応えていなかった。
「そいつをどうするつもりだって聞いてんだ」
「決まってるだろ。かわいがりタイムだ。金を持ってこなかった罰なんだよ」
金をぶんどっても結局ボコボコにされるんですけどね。それとさっきストレス解消とか言ってただろうが。
助けてくれ、コトコ。俺はピンチだ。
「それはいけないな。金を持ってこないそいつが悪い。遠慮なくシバキ倒すといいぜ。なんならあたしの分も頼む」
コトコはニヤリと邪悪な笑みを浮かべて、三人を快く送り出す。
おい! こいつ、俺に恨みでもあんのか…………あるな、多分。
今日は放課後なので時間制限がない。ダンゴムシみたいに身を丸めて、ひたすら嵐が過ぎるのを待つしかなかった。
最近頭が痛いから、サッカーボールのように頭を蹴るのだけはやめて欲しいな。
☆
「遅かったね。どこで道草を食っていたのかね」
食ってたのは泥だよ。
やっと三人組から開放され、俺はヨロヨロになりつつ、やっと軽音部にたどり着いた。
部室には部員の他に阿法とホウカがいて、部活動を遠目で見守っていた。
「スイコの調子はどうだ?」
「うむ。私は素人だが、氷雨君が入っただけで見違えるレベルになった。どうかね、青連院君?」
ホウカはパイプ椅子に腰掛け、気難しい顔でスイコを見つめていた。
「まるで別物ですね。そこの包帯男の目もあながち節穴ではないようですね」
何か嫌そうに言ってないか。俺が節穴の方が良かったのかよ。
「君はなぜ包帯をしているのかね? 趣味かね?」
阿法は今更俺の風体に気付いたように眼鏡を光らせる。
「んな訳ねーだろ。階段から落ちて段差に袋叩きにされただけだ」
軽音部員たちの演奏が終わる。
皆汗だくになり、ドリンクを飲んだり、窓を開けたりして各自休憩に入る。
スイコがギターを壁に立てかけて一息つくと、俺の存在に気付く。
俺が笑顔で軽く手を振ると、スイコもぎこちなく笑い、手を振り返す。
「打ち解けるにはもう少し時間がかかるようだね」
スイコの様子を見て、阿法が口を挟む。
「他人事みたいに言ってるけど、お前もそうだからな」
当然といえば当然だが、コトコがなぜ唐突に戻ってきたのかは、すぐに部員たちの知るところとなった。別に隠す必要もないことだし。
表向きは「腐っていたコトコと偶然知り合って、正しい道に戻してやろうとした」というこそばゆい理由で俺と阿法がコトコを連れてきたことにした。スイコには例の合宿事件の罪滅ぼしの意味合いを兼ねていた。
スイコは俺と阿法を許した。
ホウカに間に入ってもらい、俺らはスイコに謝罪した。「あの時はどうかしていました。もうしません。また、仲良くしてください。なんならもう一回ギターで殴ってください」と土下座した。その後で靴を舐めようとしたら、思いっきり引かれた。
こうしてスイコは普通に喋ってくれるようになったが、やっぱり元のようにはいかなかった。
しかしそんな俺たちの関係とは別に、スイコは音楽に関して素晴らしいポテンシャルを発揮し始めた。コトコが戻ってきたことで、ギターが三人になった。トリプルギターもないことはないが、ベース担当の先輩がボーカルも兼任していたので、どうもバランスが悪い。そこでコトコの提案により、一時的にスイコがギターからボーカルにコンバートされた。ベースの先輩は自分の楽器に専念できるし、良いこと尽くめだ。
「いや、ムリムリムリ!!」
最初にその提案が出たとき、スイコは首をぶんぶん振って拒否した。
しかし、先輩たちにも押し切られ、最終的に多数決という強引な方法で、スイコがボーカルを担当することになった。文化祭限定という条件付で、不承不承だがスイコも納得した。
「大丈夫かよ。あいつ音痴だぞ?」
「これから毎日氷雨君とカラオケで特訓するそうだ。氷雨君はそれなりに歌えるから教えるそうだ」
「だったら奴がボーカルやれよ」
「文化祭では氷雨君と伊庭君がギターとボーカルを代わる代わるやるそうだ。楽しみではないか」
短い休憩が終わって、練習が再開される。
「コトコは大丈夫かよ?」
「すぐに吹っ切れる問題ではないからね。彼女なら時間を掛けて何とかするだろう」
阿法が自嘲気味に応える。
軽音部に戻ってきたものの、それでコトコの問題が解決されたわけではない。むしろこれから己とスイコの間にある埋められない差を目の当たりにするはずだ。
一度逃げ出した人間が、また逃げ出さないとは限らない。
俺は正直不安だが、阿法はそうは思っていないようだ。コトコの心中の察した阿法だから、俺よりは信憑性があるだろう。今はこのまま様子を見ようと思う。
コトコの歌が途切れ、スイコのギターソロが始まる。
俺は見入った。
かつて映像の中で、輝かしいばかりのスポットライトを浴びたスイコは目にも止まらぬ指捌きで人々を魅了した。
今、目の前にいる高校生は、その映像の中での技術や経験と比べるべくもないが、確実に同じ大器が備わっていた。ような気がする。
☆
「どうしたよ?」
先に帰ると軽音部を後にしたホウカを呼び止めた。
「何でしょうか、ミイラ男」
こいつはいつも仏頂面しているが、今日は一段と表情が硬かった。
「機嫌悪いな。あの日か?」
「品性の欠片もないお猿さんはコトが上手く運んでさぞかし満足なことでしょう」
「何が不満なんだよ」
俺は知ってて聞いた。こいつはかつてスイコの唯一の楽しみを奪うのが楽しみだと言っていた。今のスイコの現状に納得できないのだろう。そんなの知ったことではないが。
「……伊庭さんはあなた方を許したようですね」
ようですね、ってお前が仲立ちしたんだろうが。
「甘い人です。あんな事をされたら普通一生許されません」
甘いという言葉に俺は言いようのない不安を覚えた。
そうなのだ。スイコは俺を許した。
それはつまり麻薬のことを許したということで、麻薬に対する恐怖感とか、忌避感とか、その他諸々の感度がスイコの中で薄れた、ということに他ならない。
これは良くない傾向だ。
スイコは未来で麻薬に手を出した人間。
結局のところ、麻薬をやる可能性のある人間に麻薬をやめさせようとしたら、外的環境を変えるしかないのだろうか。
「どうすればいいんだろうな」
「それはあなたが考えなさい。十一月の初めには文化祭です。先ほど軽音部の部長が興味深いことを言っていました。知り合いの音楽関係者が文化祭での演奏を聞きに来るそうです。伊庭さんに目が止まるやもしれません」
「あ」
俺は思わず声を上げる。
「驚きましたか?」
「思い出したよ。そろそろのはずだ」
「何のことでしょう」
今までホウカには黙っていた。言っても仕方のないことだったから。
「もうすぐSRグループは解体消滅する」




