#23 病院での夏休み
スイコの慈悲深い殺戮から一週間。
病院のベッドの上で事の顛末を聞いて、俺は心底ホッとした。
合宿で一番重要なことはヘロインを打つことではなく、打った後の禁断症状を克服させることだった。
その克服させる場に俺は立ち会えなかったが、阿法とホウカが計画通りにやってくれたおかげで、スイコは無事シャバに戻っていった。
詳しい内容については後から聞かせてもらうとして、要点をまとめるとこうだ。
・スイコは麻薬を打たれた事実を認識している。
・ホウカの話術でスイコはこのことを誰にも話さないと決めた。
・スイコはとても落ち込んでいる。
・スイコは俺にも阿法にも金輪際会いたくない。でも、俺をボコボコにしたことは謝りたい。
ということだった。
スイコに嫌われてしまった。仕方のないことだけど。
俺はもうスイコに口も聞いてもらえない。夏休みの間も軽音部の活動はちょくちょくあるので、イケメンにスイコの様子を教えてもらおう。しかし、俺をボコったせいでリードポールスミスのギターはネックからポッキリと折れてしまったらしい。よし、また新しいのを買おう。
それにしてもスイコにもあんな凶暴な一面があったことに驚いた。普段から抑圧されたものがあったんだろうか。それとも俺によほどムカついていたのか。その辺もイケメンにそれとなく聞いてもらおう。
ところで、俺は全治二ヶ月らしい。両腕複雑骨折、両手首圧迫骨折、肋骨十一本骨折、そして鎖骨の粉砕骨折。正確には鎖骨の粉砕骨折はまともに治るかどうかも分からないらしい。
病院に搬送されたその日に緊急手術を受けて、命は何とかなった。
三日後に意識を取り戻すと、お袋がわんわんと泣き出した。その後ろに妹もいて、何ともいえない顔でこちらを見ていた。
その次の日に警察と名乗るゲイ臭い男が二人現れて事情聴取を受けた。医者の所見によると、誰かから激しい暴行を受けた形跡がある、ということだった。俺は階段から落ちた、とだけ言った。当然二人のゲイは信じていなかったが、そんなのは知ったことではない。
基本的に安静にして骨がくっつくのを待つだけだが、約一ヶ月は入院するハメになった。つまり夏休み中はずっとこの陰気臭い病室のベッドの上で、何も出来ない芋虫のごとく過ごさなければならなかった。
「なぁ、退屈だよな、妹」
痛ぇ。喋るだけで、鎖骨が痛い。
何もやることのない昼下がり。外はいい天気なのに、こっちはジメジメした病院だ。
ベッドの脇には椅子に座った妹が漫画を読んでいた。
平日のお袋は仕事なので、夏休み中は妹が毎日来ていた。
「…………」
しかし、この妹、まるで俺と喋ろうとしない。
「なぁ、そんなに俺のことが嫌いか?」
「なんなの、あんた?」
うわぁ。
漫画から目線をこっちに向けるが、何か怒ってるぞ、こいつ。
「なんなの、と言われましても。せっかく来てくれてんだから、何か話そう」
「あたしは来たくなかったの。友達と遊ぶ予定だったのに、あんたのせいで全部パァなんだけど?」
そういうことですか。
そりゃ、そうか。遊びたい盛りのクソガキだもんな。
「じゃあ、遊びに行っていいよ。俺は構わないから」
「お母さんにお願いされたんだから無理」
「じゃあ、俺が妹が邪魔だから追い返したって言うよ。それならいいだろ?」
「そんなにあたしに帰って欲しいの?」
面倒くさいな、こいつ。
ほんと? やったー! って素直に喜べよ。
「そうだよ。さっさと遊んでこいよ。中一の夏休みってのは一生に一度しか来ない重要な休みなんだよ。はよ行け」
「あたしは中二なんだけど……」
あ、ごめん。
「と、とくかく、遊びたいなら俺が許可するから行ってこい」
ぐぉぉぉ、首筋が痛いぃぃぃ。喋りすぎるなってヤブ医者が言ってたっけ?
「やっぱりやめた」
妹は再び持っていた漫画に目を落とした。
俺の努力は何だったんだよ。
もういいや。子どもの気まぐれに一々目くじらを立てても仕方ない。ここは鷹揚にいきましょう。
「あんた、この頃おかしいよ」
今度は漫画を見たまま、妹がぼやいた。
「おかしいって何が。それとあんたじゃなくてお兄様な」
「そういうところがおかしい。あんた、これまでずっとあたしのこと無視してきたくせに」
ん、そうだったっけ?
子どもの頃を思い返してみるが、特に意識して妹を無視していたことはない、と思う。あんまり憶えてないけど。
「構って欲しかったんだな。じゃあこれからはいっぱい遊ぼうな、妹」
「キモイ」
この妹、口が悪くないですかね?
うーむ。もう一回思い返してみると、中高生の頃に妹と喋ったことなんか殆どないな。つまり意識してようが無意識だろうが、妹を無視していたことには変わりないのか。
当時の俺は何を考えていたんだろうな、一体?
俺がずっと疑問に思っていたことの一つなんだけど、スイコに告白した俺って一体何者なんだろう。
いや、俺には違いないんだけど。当時のスカしてた俺がメロメロになるほどの魅力がスイコにあるのかと思ってたけど、そんなことは全然ないし。
そう考えると、当時の俺の思考回路は今の俺とはかなり違っていた、となる。
「なぁ、妹。ちょっと前の俺ってどんな感じだった?」
「はぁ?」
妹は俺を小馬鹿にするように声を上ずらせる。
「実は五月九日以前の記憶があんまりなくてさ。学校帰りに頭打ったみたいで、人格が変わったんだよね、ははは」
笑うと首筋に刺したような痛みが走る。
「…………何考えてるか分からない奴だった。今もだけど」
そんなぁ。俺だって分からないから聞いてるのに。
「根暗で、無愛想で、無気力だった?」
「今もね」
いちいち『今も』を付け足すんじゃねーよ。
ふぅ、疲れた。鎖骨が悲鳴を上げてるよ。
「あんまりお母さんに心配かけるなよ。いっつもボロボロになって帰ってくるし」
俺がしばらく黙っていると、妹は低くくたびれたように呟く。
うーん、それは申し訳ないと思っているんだが。帰ってくるといっつも、虐められたの? 何があったの? と、お袋がしつこく聞いてくる。
あんまり深い意味はないんだけど、と前置きして妹に聞いてみた。
「俺が死んだら悲しい?」
痛ぇ!
漫画本を投げつけられた。顔面にヒットして右腕のギブスに落ちる。
「お母さんの前でそれ言ったら殺すから」
愚問だった。
顔を真っ赤にして憤然と立ち上がる妹を見て、後悔した。
「あのさ」
「……なに」
「プリン食べたいから買ってきて」
「………………は?」
「俺は買いに行けないから、見舞いに来てる妹が俺にプリンを買ってきて下さい」
妹は腕をプルプル震わせて、何かを我慢していたが、脱力して病室を出て行った。
あの日。
スイコが亡くなった報道があった日。
スイコ姉と親父はどういう気持ちになったのだろう。
とても推し量ることのできない気持ちが、洪水のように心を満たして、それから何もかもを根こそぎ削り取って、後には何も残らない。
そんな情動が、あの二人にはあったに違いない。
寒気がしてきた。
「はい」
いつの間にか妹が帰ってきてた。掲げた手にはビニールに入ったプッチンプリンとプラスチックスプーン。
「はいって言われても、両腕こんなんだから一人じゃ食べられないんだけど」
両腕ギブスを主張する。
「ッ!」
妹はたじろいで、一歩引く。
「早く食べたいなぁ~」
妹は無言でビニールからプリンを出して、フタを開ける。スプーンを滑らかなプリンに突き立てて、豪快に掘り起こす。
スプーンの上でプリンがプルプルと波打っている。
「やあ、嬉しいな。可愛い妹にプリンを食べさせてもらうなんて。入院して良かったよ」
「あっ」
スプーンのプリンが布団の上にベチャリと落ちた。




